えびすこ

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えびすことは、大相撲隠語で大食い、または大食漢力士のこと。語源は、恵比寿講(えびすこう)の集まりでお腹一杯にごちそうを食べる風習があったことに由来しているとか、お腹一杯食べた丸いお腹がえびす様みたいであるからなど、諸説ある。

大食漢の力士のことを、「あの力士はえびすこが強い」などと表現するが、2010年代に入ってからは単に「メシが強い」と評するなど「えびすこ」という単語自体相撲界でもあまり自然に使われなくなっている[1]そっぷ(痩せ型)の力士の場合、体重を付けるために無理にたくさん食べることで「えびすこを決める」こともあるが、もともと痩せ型の力士にとって無理な大食いは苦痛を伴う行為であり[2]、真の大食漢の力士はやはり体格も大柄である場合がほとんどである。

えびすこを決めた力士

ここでは酒1升を約1.8リットル、米の飯1升を約3.4kg、焼き肉1人前を約200g、丼飯1杯(米1合)を約340gとして計算する。また、大食いではなく短時間での早食いに関する記録も一部紹介する。

  • 大空武左衛門(江戸時代後期の看板大関
    • 身長7尺5寸(約227cm)と言われた超巨漢で、熊本藩主に招かれた際、酒3(約5.4リットル)を飲み、飯2升半(約8.5kg)および体長16(約48cm)の3匹(うち1匹は煮付け、あとの2匹は刺身)を食べたが、本人はまだ物足りない様子であった。そのため、傍にいた役人から「遠慮するな」と言われたが、本人は「食べ過ぎは体に毒だから腹八分目にしろと両親から言われたので」と答え、それ以上は食べなかったという。
  • 大砲万右エ門(第18代横綱
    • サツマイモが大好物で、毎日二貫目(約7.5kg)を焼き芋にしておやつにしていたという。また、鯛めしを一度に36杯食べた記録を持つ。
  • 宮城山福松(第29代横綱)
    • 身長173cm、体重113kgと小兵ながら、一度に鰻丼15人前と刺身10人前を食べた記録を持つ。
  • 出羽ヶ嶽文治郎関脇
    • 全盛期には身長207cm、体重203kgと言われた巨漢で、普段の食事は丼飯を十数杯、そば屋でざるそばを一度に大盛り32杯食べた記録を持つ。また、丸ごと1匹のを昼食のおかずにしていたこともある。
  • 男女ノ川登三(第34代横綱)
    • ジャガイモが大好物で、毎日一貫目(約3.75kg)を塩ゆでにしておやつにしていた。しかも、そのジャガイモが1個減っただけでもすぐに気付き、「こら、1個食っただろ」と付け人を怒ったという逸話もある。
  • 大内山平吉(第185代大関)
    • 時津風部屋の後援者が、大内山を含む3人の力士に向かって「3人で2時間以内に飯を3升(約10.2kg)食べることができたら祝儀をやる」と賭けを持ちかけたところ、大内山は「よっしゃ、1升半(約5.1kg)は俺にまかせろ」と言い、これを聞いた後援者は慌てて賭けを撤回したという逸話がある。
  • 若瀬川泰二小結
    • 幕下時代、午前7時に鰻丼3人前と蒲焼き3人前と吸い物3杯、午前9時にかけうどん3杯、正午に鰻丼4人前と蒲焼き4人前と吸い物4杯、午後3時にかけうどん3杯、午後6時に鰻丼3人前と蒲焼き3人前と吸い物3杯、午後9時にかけうどん3杯という同じメニューを10日間続けたことがあった。また、親方時代、62歳の時にも鰻重を毎食3人前ずつ1週間食べ続け、血糖値が600に上昇して、そのまま入院する結果になったという。
  • 松登晟郎(第186代大関)
    • 幕下時代、カレーライスを2合以上入る特製の大皿で、いつも4~5杯(一)平らげたという。また、関脇時代には、料亭で御膳2人前を食べた後、寿司屋で握り寿司83個、うどん屋で大盛りうどん2杯、部屋に戻って丼飯2杯を平らげてから床に就いたにも関わらず、夜中に腹がすいて目が覚めたという逸話もある。
  • 吉井山朋一郎(西前頭11枚目)
    • 食事の時に何度もお代わりをするのが面倒で、洗面器を3つ並べ、1つに飯、1つに味噌汁、1つに飲み水を満杯に入れて食べていたという逸話がある。
  • 豊登道春(東前頭15枚目)
    • プロレスラー転向後の記録であるが、一度に握り寿司を250個食べた記録を持つ。同じくプロレスラー転向後、レスラー仲間の山本小鉄ラーメンを食べに行った際、山本が1杯目を食べ終わる前に彼は3杯目を注文し、山本に「色々なレスラーの中で胃袋は別格」と言わしめた。
  • 栃ノ海晃嘉(第49代横綱)
    • 鶏モモのローストが大好物で、一度に23本食べた記録を持つ。
  • 柏戸剛(第47代横綱)
    • エビの天ぷらが大好物で、一度に130匹食べた記録を持つ。
  • 若獅子茂憲(小結)
    • 仲間の力士たちと一緒に寿司屋を借り切って大食い競争を開催し、握り寿司180個を食べて優勝した後、口直しと称して近くの中華料理店へ行き、さらに湯麺カツ丼など4品を食べたという逸話がある。
  • 竹内山幸男(1960年代に高砂部屋に所属していた幕下力士)
    • 新幹線が開通する直前の頃、大阪場所へ行くため他の力士たちと一緒に東京駅から東海道本線の急行列車に乗った際、列車が停車するたびに全ての駅で駅弁を買って食べ続けた挙げ句、列車が目的地の大阪駅に到着すると、「やっと着いたか。じゃあ、メシにしよう」と言い、他の力士たちを呆れさせたという。また、「ジャンボ餃子完食で賞金出します」という料理店の看板を見付けて、小遣い稼ぎを目的に2.5kgのジャンボ餃子を毎日完食し続けたため、赤字続きで困り果てた店の主人が高砂部屋を訪れて、「お宅の竹内山を出入り禁止にしてほしい」と懇願したという逸話もある。
  • 北の湖敏満(第55代横綱
    • 中学1年生で入門した時、ちゃんこで丼飯8杯・うどん大盛り2杯・お茶漬け2杯を食べて寝た翌朝に「空腹で眠れなかった」と語ったという逸話がある。
  • 隆三杉太一(小結)
    • 現役時代には「鉄の胃袋」というあだ名があり、一度に焼き肉を75人前(約15kg)食べた記録を持つ。しかも、75人前で食べるのをやめたのは、満腹になったからではなく、肉をかみ過ぎて顎(あご)が疲れたためであったという。
  • 双羽黒光司(第60代横綱)
  • 貴ノ浪貞博(第228代大関)
    • 仲間の力士2人と一緒に寿司屋へ行き、3人で握り寿司を数百個も平らげた翌日、その寿司屋は腱鞘炎を起こして店を休業したという逸話がある。
  • 瀬王錦誠吉(1990年代に若松部屋に所属していた序二段力士)
    • 部屋で丼飯3杯を食べた後、カレーショップCoCo壱番屋へ行き、20分以内に完食すれば無料になるという1300グラムのジャンボカレーを6分で完食した記録を持つ。
  • 旭鷲山昇(小結)
    • ホットドッグ早食い世界大会の日本予選で、制限時間12分の間に約20cmの特大ホットドッグを16本食べたが、優勝には及ばず、試合終了後も残ったホットドッグを食べ続けていた。彼はこの日、部屋でちゃんこを腹いっぱい食べてきたことを悔いていたという。
  • 雅山哲士(第233代大関)
    • 引退後に行われた二宮清純との対談で、1度に肉を4kgから5kgを食べることがざらであったと明かした。[3]
  • 魁皇博之(第234代大関)
    • 2011年7月場所に幕内通算白星記録となる1047勝を記録してこの場所を最後に有終の美を飾る形で引退した魁皇は、場所後の8月に福岡県民栄誉賞・直方特別市民文化栄誉賞の授賞式に出席するべく地元の直方市へ帰郷した際市内の企業である明治屋産業を訪れ、その明治屋産業が展開する事業「びっくり市」で販売される「レンガステーキ」4kgを軽々平らげた。
  • 臥牙丸勝(小結)
    • 2013年11月場所におけるNHK総合・大相撲中継では北の富士勝昭・舞の海秀平・藤井康生の3人が「場所入り後に熊本ラーメンを12杯も食べた」と具体的に証言していた。ちなみに臥牙丸の初土俵は九州場所であり、当時は熊本に九州場所用の宿舎があったため、現在でも九州場所前には宿舎の元貸主のいる熊本へ挨拶に出掛け、お気に入りの豚骨ラーメンを食べるのが恒例となっている[4]アイスクリームも大好きであり、三段目や幕下の頃は1日に2~3kg食べていた。
  • 舛ノ山大晴(西前頭4枚目)
    • 2013年11月場所中、ちゃんこの後に出掛けた先で替え玉ラーメンを毎回15玉ほど食べる食生活を続けていた[5]
  • 山本山龍太(西前頭9枚目)
    • 身長191cm、体重277kg(日本人力士最重量記録)の巨体で知られており、中学2年時は回転ずしを63皿も平らげ、すでに180kgに達していた3年時には毎食米1升を平らげたという[6]
  • 大露羅敏(幕下)
    • 身長193cm、体重271kgを記録したこともある巨漢で、「替え玉ラーメンを30玉食べたことがある」「おやつにみかん1箱を食べる」などの噂が立ったことがある。これについて相撲記者の佐々木一郎は大露羅本人に真相を尋ねたが、本人は「噂は噂にしておきましょうよ」と言い、肯定も否定もしなかった[7]。実際のところ、かつて焼き肉店で最大50人前を注文し、ラーメン丼のご飯を4杯分とラーメン6杯を食べたことがあった[8]。2017年2月の報道によると、1食で茶碗1杯しか食べない小食であるようであり、そのため一般的に30~149が基準値とされる中性脂肪は、本人によれば「46~48くらい」[9]
  • 遠藤聖大(小結)
    • 2013年12月25日、「永谷園」のお茶漬けのCMを収録した際にOKが出るまでお茶漬けを30杯食べた。遠藤は猫舌であるにも関わらずこれだけの量を平らげたが、収録後には「水っ腹になった」とこたえた様子を語っていた。[10]
  • 大砂嵐金崇郎(西前頭筆頭)
    • イスラム教徒であった大砂嵐はラマダンに入ると日中断食をしなければならず、ラマダン期間中は起床から日没まで飲まず食わずであったという。2014年6月30日の夕方に番付発表会見が終わった後には、会場として使用された大嶽部屋宿舎のある愛知・稲沢市内のレストランで24時間ぶりの食事を行い、チキンカツカレー、ピラフ、空揚げ、エビフライなど、合計10人前の食事をたいらげた(その前日は2014年のラマダン初日であった)。その翌日には、日没後に牛すじ入りガーリックチャーハン10人前で胃袋を満たした。[11]。なお、イスラム教徒は豚肉を食べることを禁じられているため、大砂嵐が所属していた大嶽部屋では彼の食習慣に配慮して、食事の材料に豚肉を使わないよう気を使っていた。
  • 逸ノ城駿(関脇)
    • 2013年9月の全日本実業団選手権前には鳥取城北高校相撲部監督・石浦外喜義の経営する料理店で食事を行い、その時に板長の好意で振る舞われた山盛りの唐揚げやあんかけ丼など3キロ分を平らげ英気を養った[12]。入幕後のある時期、毎日おやつにヤマザキコッペパンを20個(ジャム&マーガリン10個 ピーナッツバター10個)食べていた。
  • 琴奨菊和弘(第242代大関)
    •  普段から夜食として部屋の近くの焼き肉店の出前を取ることがあり、その際にはビビンバステーキ丼を3、4個食べるという。過去に部屋の若い衆を含めて25人でしゃぶしゃぶを食べに出掛け、合計600人前(1人あたり24人前、約3.6kg)平らげたこともあると伝わっている。[13]
  • 白鵬翔(第69代横綱)
    • 入門当初は体重62kgとまさしく一般人と変わらぬ体格であったが、入門後2ヶ月間は体作りとして稽古をせず増量に専念。無理やり牛乳を5リットル飲み、どんぶりの大盛りを3杯食べ、吐いてもまた無理やり食べたという。[14]
  • 日馬富士公平(第70代横綱)
    • 2015年1月場所中日を終えた夜、すっぽんの炭焼き12匹(1匹あたり700~800g)を平らげて翌日の取組に備えていた。[15]ただし白鵬の証言によると「あの人は本当に小食で驚いた」とのことであり、白鵬と日馬富士がラーメン店へ出かけたとき、白鵬が1杯を食べ終えて替え玉を注文する際、横の日馬富士を見るとまだ半分も食べてなかったという。[16]
  • 玉鷲一朗(関脇)
    • 2016年12月1日、福岡県行橋市の保育園へ訪問した際、園児から食事量について聞かれ、付き人の序二段(当時)が「昨日、(玉鷲と)2人でもつ鍋を20人前(1人あたり10人前、約3kg~4kg)食べました」と答えた[17]
  • 稀勢の里寛(第72代横綱)
    • 横綱昇進から2日後の2017年1月27日、稀勢の里は田子ノ浦部屋がある東京都・江戸川区の小学校で開かれた横綱昇進報告会に出席し、そこで「どのくらい米を食べるのか」と子供たちに質問された際に苦笑いしながら「10代、20代前半は1升ぐらい食べたこともあったけど、いまは茶碗1杯ぐらいです」と答えた[18]
  • 高安晃(第247代大関)
    • 地元・土浦市の行きつけの「レストラン中台」のオーナー一家の人物である中台理香から「友人と3人で来たとき20人前ほど注文したことがあります。そのうち17人前は高安関が食べました」と証言されている。大関昇進伝達式が行われた日の深夜11時、六本木の高級キャバクラで酒を飲む前にドライブスルーで牛丼を6杯注文してタクシーの中で牛丼をかき込んだ[19]。牛丼のエピソードに関しては、酒を本格的に飲む前の食事であったことに留意されたい。
  • 飛翔富士廣樹(十両)
    • 2015年7月場所12日目の夜、ニンニクたっぷりで鉢のような丼でのラーメンに、丸ごとの鶏の空揚げ2羽、カレーライス5杯を食べた[20]
  • 垣添徹(小結)
    • 現役時代に、焼肉30人前と丼飯を7杯を平らげたことがある。
  • 豊ノ島大樹(関脇)
    • 小学校時代、毎朝特大のおにぎり6個(米6合分)を食べて登校していた。2015年5月1日放送分の『櫻井有吉アブナイ夜会』では里山大喜鵬、付き人の4人でタン塩20人前、ハラミ20人前、ロース」10人前、豚足など、計60人前(1人当たり15人前)の料理を頼み、4人で平らげた。少なくとも3㎏以上の料理を平らげた計算になるが、この量について豊ノ島関は「これでも抑えている」と一言[21]
  • 琴錦功宗(関脇)
    • 入門当時、下っ端の新弟子たちは関取たちの食事が終わった後の残り物しか食べることを許されず、琴錦は具の欠片だけが残ったちゃんこ鍋のスープとポン酢で丼飯12、3杯を掻き込んでいたという[22]。入門当時の琴錦は当時の新弟子検査の基準ギリギリの175cm、80kgであったにも関わらずこれだけの量を常食していたが、あくまで具の欠片が残っただけのスープポン酢の他に丼飯のおかずが無かった点に留意されたい。

脚注

  1. 公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』44p
  2. もともと痩せ型の力士にとって無理な大食いが相当な苦痛を伴う行為であることを証明する具体的な例として、次のような逸話がある。若嶋津六夫(元大関)は入門時に「割り箸」とあだ名されたほどの痩せ型の力士で、彼は力士に必要な体重を少しでも増やすために人一倍の苦労を強いられていた。ある時、若嶋津が、同期で同部屋の太寿山忠明(元関脇)と一緒に焼き肉屋へ行った際、大食漢の太寿山は焼き肉16人前を楽々と平らげたため、若嶋津もこれに対抗して焼き肉12人前、丼飯3杯、冷麺1杯とアイスクリームを何とか胃に詰め込んだが、店を出た途端に全部吐き戻してしまい、彼は余りのつらさに「俺、もう普通の人になりたいよ」とこぼしたという。
  3. この人と飲みたい(第2、4木曜日) : 二子山親方(元大関・雅山)<後編>「モンゴル勢の意外な弱点」 SPORTS COMMUNICATIONS 2013-07-25 12:00:00
  4. 『相撲』2013年11月号57ページ
  5. 舛ノ山 ラーメン効果/九州場所 nikkansports.com 2013年11月14日8時30分 紙面から
  6. 2008年12月25日 サンケイスポーツ
  7. 相撲デスク・佐々木一郎 22:14 - 2011年11月19日
  8. 大露羅やせてるはずが歴代最重量、小錦超えちゃった 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社) 2017年8月23日9時20分 紙面から(2017年8月23日閲覧)
  9. 最重量283キロ大露羅、血管が脂肪に隠れて採血できず 2017年2月7日6時54分 スポーツ報知
  10. バレリーナばり!遠藤半回転で土俵際残った「ラッキー」 Sponichi Annex 2014年1月16日 05:30
  11. 大砂嵐 ラマダン中に初金星へ挑戦 nikkansports.com 2014年7月1日8時43分 紙面から
  12. 【デキる選手の育て方2014】モンゴルの怪物・逸ノ城(4/4ページ) SANSPO.COM 2014.12.10 10:00
  13. 琴奨菊は酒が苦手。奈良漬10本で記憶が飛んだ! J-CAST テレビウォッチ 2011/9/29 12:38
  14. 白鵬32回目V:まさか62キロの少年が… 毎日新聞 2014年11月23日 21時45分(最終更新 11月23日 22時40分)
  15. 日馬スッポンパワー 前夜12匹食べた nikkansports.com 2015年1月20日8時28分 紙面から
  16. 日経プラスワン2013年12月28日付
  17. 小結・玉鷲関が園児らと交流 行橋 /福岡 毎日新聞2016年12月2日 地方版
  18. 【隆の里から稀勢の里へ】稀勢の里、チャンコ鍋でつくった175キロ 先代師匠は現代っ子の食生活に激怒 (1/2ページ) ZAKZAK 2017.03.04
  19. 週刊FLASH 2017年6月20日号
  20. 元十両の飛翔富士、21連勝で三段目優勝 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2015年7月24日15時48分(2017年8月23日閲覧)
  21. 豊ノ島関行きつけ 力士が次々焼き肉を頬張る「焼肉屋 巨牛荘」 amebaニュース 5月8日(木) 19:10(株式会社サイバーエージェント、2018年3月28日閲覧)
  22. 週刊FLASH 2018年2月6日号

関連項目


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