わかしお銀行

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株式会社わかしお銀行(わかしおぎんこう、英称The Wakashio Bank, Ltd.)は、かつて存在した日本の銀行。2003年に商号変更し、三井住友銀行となっている。

設立の背景

さくら銀行[注釈 1]富士銀行東海銀行三和銀行などからによる2度にわたる支援を受けたものの、バブル崩壊とその後の地価下落によって不良債権処理が進捗せず、1996年3月、太平洋銀行は経営破綻した。同年3月29日に発表された4行声明に基づき、太平洋銀を救済するための具体案の検討が開始されるが、受皿銀行の設立に関しては、さくら銀から公正取引委員会に対する事前相談の席で、4行出資によって受皿銀行を設立することに関しては「一定分野における競争を実質的に制限することとなるおそれがある旨の指摘」があった[1]。こうしたことから同年6月6日、さくら銀が資本金の全額である400億円を出資しわかしお銀行を設立[1]。さらに富士、東海、三和の各行はわかしお銀に総額933億円の劣後ローンを供与した。このほか、預金保険機構から1,170億円もの金銭贈与を受けた[1]

同年9月17日、わかしお銀は営業を開始。中小企業を中心に営業を展開し、頭取にはさくら銀常務経験者が就任したほか、支援三行や日本銀行も役員を派遣した。また同年10月には、さくら銀が金融法人部内にわかしお室を設置した[1]2001年4月1日、さくら銀が住友銀行合併したため、三井住友銀行完全子会社とされた。

金融機関コードは第一相互銀行→太平洋銀行と同じ0524を使用していた。なお、本店旧館の建物は関東大震災時の震災復興建築として知られている。

三井住友銀行との「逆さ合併」

親会社だった三井住友銀は、前身銀行も含めれば3度に渡る存亡の危機を何とか乗り切って営業を続けていたが、バブル崩壊後の不況で保有する株式等の有価証券の価格が下落して含み損(約8,000億円)を抱えていた。そこで、子会社のわかしお銀を存続会社とし三井住友銀を消滅させる合併で、同行が保有していた財産の含み益(約2兆円)を帳簿上現実化させて、有価証券の含み損を一掃し経営の健全化を図ろうとした[2][3]

合併の場合、合併差益として消滅会社の財産については簿価ではなく再評価して存続財産の資産に計上することができる。しかし、有価証券の時価での再評価をすると、銀行の営業に必要な自己資本比率が基準を下回ってしまう恐れがあった。

法人格で見れば、第二地銀が都銀を吸収合併したことになる。また、これにより、戦前の住友財閥以来の伝統を誇る旧住友銀行の法人格が消滅した。この手法は、三井住友銀行がプライドを捨ててがむしゃらに再建をしようとしているとして、関係者から驚かれた。このように、小さな会社を存続会社とする合併を逆さ合併という。

なお、合併直前に、(旧)三井住友銀は、保有していたわかしお銀の全株式を三井住友フィナンシャルグループ譲渡している。このため、合併の時点では、わかしお銀と(旧)三井住友銀は、ともに三井住友フィナンシャルグループの完全子会社とされている。これによって両行が資本関係上対等な立場になり、2003年3月17日、わかしお銀が(旧)三井住友銀を吸収合併した。合併後、三井住友銀はわかしお銀の営業及び業務管理部門を引き継ぐことを目的にコミュニティバンキング本部を設置。同部の下にコミュニティ統括部、コミュニティ人事部などの6部を置いた[4]

沿革

  • 1996年
    • 6月6日 - 同年3月に経営破綻した太平洋銀行の支援をしていたさくら銀行が、受け皿会社として子会社・わかしお銀行を設立。
    • 9月 - 太平洋銀行から営業譲渡され、わかしお銀行が営業開始。
  • 2001年4月1日 - 親会社さくら銀行が住友銀行と合併。三井住友銀行の子会社となる。
  • 2003年3月17日 - 三井住友銀行と合併。わかしお銀行の行名を「三井住友銀行」に変更し、同時に都市銀行となる。

類似例

この逆さ合併に類似したケースに、旧弘前相互銀行が普通銀行への転換のために、自らより規模の小さい(第一)地方銀行の青和銀行を存続行として合併して発足したみちのく銀行2000年4月1日近畿銀行と合併した大阪銀行(現・近畿大阪銀行)などが挙げられる。

脚注

注釈

  1. 第1次支援時には太陽神戸銀行

出典

参考文献

  • 三井住友銀行総務部行史編纂室編 『三井住友銀行十年史』 三井住友銀行、2013年。