アフガニスタン紛争

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アフガニスタンふんそう
Afghan War

(1) 1970年代の東西冷戦下,アメリカ合衆国とソビエト連邦の二大国を巻き込んだアフガニスタンにおける内戦。1978年4月に親ソ連派の軍部によるクーデターで,ヌール・ムハンマド・タラキーを議長とする革命評議会が実権を掌握。タラキー政権は,ソ連と友好善隣条約を締結し,土地改革などの急進的な政策を推進したが,強引な社会改革はイスラム指導者や有力部族の反感を買った。1979年タラキーの追い落とし工作によってハーフィズラー・アミーンが政権についたが,同 1979年12月ソ連の軍事介入によるクーデターが発生し,バブラク・カールマル政権が誕生した。これに対してアメリカをはじめとする西側諸国,特に隣国のパキスタンは強く反発したが,1985年ソ連におけるミハイル・ゴルバチョフの登場とそれに続く東西和解の動きのなかで,1986年にムハンマド・ナジブラが革命評議会議長に就任。1988年4月にはスイスのジュネーブでアフガニスタン和平協定が結ばれ,これに従って約 10万人のソ連軍が 1989年2月に撤退を完了した。1988年11月ナジブラは大統領に選出されたが,反政府武装勢力のムジャーヒディーン(イスラム聖戦士)の抵抗運動は激化。ソ連の後ろだても失ったナジブラは辞任を余儀なくされ,1992年4月には社会主義政権が崩壊,ゲリラ各派からなる暫定連合政権が発足した。しかし複雑な部族構成から再び混乱と対立の時期に入った。

(2) 2001年にアフガニスタンで始まった国際紛争。2001年9月11日にアメリカ同時テロが発生し,その首謀者であるアルカイダ指導者オサマ・ビン・ラディンの引き渡しに応じないタリバン政権に対し,アメリカのジョージ・W.ブッシュ大統領はテロに対する闘いを宣言した。国連安全保障理事会では国連安保理決議 1368号が採択され,北大西洋条約機構 NATOは集団的自衛権を発動。アメリカとイギリスをはじめとした連合国は,2001年10月7日から空爆を開始,約 2ヵ月ほどでタリバン政権は崩壊した。同 2001年11月にはドイツのボン近郊に有志国連合とアフガニスタン諸勢力の代表らが集まり,暫定政府の成立,ローヤ・ジルガ(国民大会議)の招集などが合意された。同 2001年12月,ハミド・カルザイを議長とするアフガニスタン暫定行政機構が発足。カルザイは 2004年12月に大統領に就任した。その後もタリバンによる攻撃はしばしば活発化し,2009年に就任したアメリカのバラク・オバマ大統領は,アフガニスタン情勢を重視し,アメリカ軍の増派を発表した。2011年5月,アメリカ軍特殊部隊はパキスタンのイスラマバード近郊でビン・ラディンを殺害した。



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