アメリカン・ボード

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アメリカン・ボード(英語:American Board of Commissioners for Foreign Missions)は北米最初の海外伝道組織。会衆派長老派オランダ改革派などが加わった、無教派的な組織で、後に事実上会衆派の団体になる。

歴史

1602年、英国での国教会の迫害から逃れ、北アメリカのプリマスに入植したピューリタン(清教徒)は、インディアンと平和交渉を結び平和に共存しようとした。そして、インディアンへの伝道を試みた。厳格なニュー・イングランド・ピューリタニズムの人々はマサチューセッツコネチカットニューヨークに伝道会社を設立して、インディアンへの伝道を行った。

19世紀にマサチューセッツ州西北部にあるウィリアムズ大学の学生が、伝道について話しながら歩いていると、突然の雷雨に襲われて、納屋に避難して干草の上に座りながら話を続けた。納屋を出るときに自分たちが海外伝道に従事することを決意した(ヘイ・スタック運動)。 彼らは、ウィリアムズ大学を1806年に卒業、続いてアンドーヴァー神学校に入学して、宣教師になる訓練を積んでいた、1810年にマサチューセッツ会衆派教会牧師会が開催され、その時、その神学生たちはインディアン伝道だけではなく、インド伝道を志す決意を述べた。その、熱意に同意した牧師たちが、同年6月にアメリカン・ボード(American Board of Commissioners for Foreigb Mission)を設立した。

1870年頃になると、長老派、バプテスト派、オランダ改革派、ドイツ改革派教会などが離脱し、実際上は会衆派のみの外国宣教機関になった。[1]

年譜

  • 1810年アメリカ合衆国で会衆派教会によって設立された。
  • 1869年D・C・グリーン宣教師を神戸に派遣する。
  • 1871年ディヴィス宣教師を派遣する。
  • 1874年新島襄が帰国して、グリーンやディヴィスらと共に1875年に同志社を開校する。その設立の際にはアメリカン・ボードが援助をした。やがて、アメリカン・ボードの教会に同志社を卒業した伝道者が加わった。
  • 1886年日本組合基督教会の設立に協力した。

主な所属宣教師

脚注

  1. 高橋昌郎(2003年)43頁

参考文献



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