アーサー・メイ・ナップ(Authur May Knapp、1841年 - 1921年)は、アメリカ・ユニテリアン協会が日本に派遣した宣教師である。
ハーバード大学で学ぶ。当時のハーバード大学神学部はユニテリアンの立場にあった。1887年(明治20年)にアメリカ・ユニテリアン協会から派遣されて日本に来た。ナップは1889年(明治22年)、宣教師クレイ・マコーレーと共に再来日する。旧尾張藩主侯爵徳川義礼はナップに金銭の援助を与えた。また金子堅太郎はユニテリアン招致の重要な役割を果たした。