ガリポリの戦い

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ガリポリのたたかい

Gallipoli Campaign; Dardanelles Campaign

ダーダネルス遠征とも呼ばれる。第1次世界大戦中,連合軍が,ドイツの同盟国トルコを経由してロシアと連絡をはかるため,ガリポリ半島に進攻した上陸戦闘。 1915年2月 19,25日,3月 25日にイギリス,フランス艦隊がダーダネルス海峡のトルコ沿岸防備施設を砲撃したが,最後の日に機雷や砲台からの反撃によって3隻の戦艦が沈められ,また3隻が大破した。連合国艦隊は初め S.カーデン中将が指揮したが,途中で J.ロベック少将と交代した。連合軍はイギリス,フランス軍7万 8000人から成り,I.ハミルトン将軍のもとに4月 25日にアリブルヌ,ヘレス岬をはじめとする各地に上陸したが,ドイツの L.ザンダース将軍が指揮するトルコ軍は善戦した。激戦が続き,連合軍は作戦の失敗を認めて 11月 23日に撤収を決意,12月 18~19日および翌 16年1月8~9日までに,連合軍は撤退に成功した。この作戦で連合軍は 25万 2000人の戦死傷者を出したが,トルコ側の死傷者も 25万 1000人を数えた。この作戦の失敗以来,戦略と政略の調整に関する論議を呼び,イギリスの海相 W.チャーチル (のちの首相) は辞職を余儀なくされた。