ガーナ

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ガーナ共和国
Republic of Ghana
国の標語:Freedom and Justice
(英語: 自由と正義)
公用語 英語
首都 アクラ
最大の都市 アクラ

面積

総計 239,460km277位
水面積率 3.6%

人口

総計(2012年 25,500,000人(???位
人口密度 87人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年 176兆6,031億[1]セディ
GDP (MER)

合計(2008年 161億[1]ドル(100位
GDP (PPP)

合計(2008年342億[1]ドル(71位
1人あたり 2,200[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスから
1957年3月6日
通貨 セディ (GHS (GH¢))
時間帯 UTC (0)(DST:なし)
ISO 3166-1 GH / GHA
ccTLD .gh
国際電話番号 233

ガーナ共和国(ガーナきょうわこく)、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ

脱植民地化が活発であった最中の1957年に、サハラ以南アフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパ宗主国から独立を達成した国家である。イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名をガーナに変更した。初代大統領ンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。かつてゴールド・コーストと呼ばれた海岸を保有しており、ダイヤモンドを産出する。カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。

国名

正式名称は英語で、Republic of Ghana(リパブリク・オヴ・ガーナ)。通称、Ghana [ˈɡɑːnə] ガーナ)。

日本語の表記は、ガーナ共和国漢語表記では、迦納または加納

植民地時代はイギリス領ゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際してかつて西アフリカに栄えたガーナ帝国から新国名を採用した。

歴史

紀元前後

この地域が注目されるのは、紀元前2000年紀のキンタンポ文化の出現からである。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林サヴァンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩猟採集によって暮らしていた。2世紀頃からハニ遺跡で製鉄がおこなわれたことがわかっている。

13-16世紀

ファイル:ElminaCastle1668.jpg
1688年のエルミナ城。この城砦から多くの奴隷が南北アメリカ大陸に連行されていった。

13世紀から16世紀はベゴーをはじめ幾つかの町がサハラ交易の一端を担ったともおもわれるが、ボノ・マンソに見られるように地域的なものにとどまった町もあったと思われる。また、西方からアカン人English版モシ人エウェ人ゲン人English版: Mina-Gen peopleグベ人 - : Gebe people)が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。

15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナなどに城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。その後、金が産出することがわかると「黄金海岸English版」と呼ばれるようになった。その後、ドイツ人デンマーク人イギリス人オランダ人が来航し、奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、1776年に独立したアメリカ合衆国においては、労働力として使われることとなった。

アシャンティ王国

ファイル:Máscara de oro - tesoro del rey Kofi Kolkalli.jpg
アシャンティ王コフィ・カルカリ(位:1867-1874)の黄金のマスク

17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人English版オセイ・トゥトゥEnglish版アシャンティ王国を建設し、大いに繁栄した。

イギリス植民地

アフリカの植民地化を目論んだイギリスは、1824年からの四次に渡るイギリス・アシャンティ戦争の末に、1902年にアシャンティ王国を滅ぼした。こうしてこの地は「イギリス領ゴールド・コースト」としてイギリス帝国に編入された。

宗主国のイギリスは第二次世界大戦に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退した。 19世紀末から20世紀半ばにかけてに民族主義の気運が高まり、ナイジェリアシエラレオネなど「イギリス領西アフリカ」の各地域が同調し、1947年にはこれを受けて独立を目的とした「連合ゴールドコースト会議」が設立され、クワメ・ンクルマ1949年には会議人民党English版を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、1951年の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となった。

独立以降

ファイル:1989 CPA 6101.jpg
独立の父クワメ・ンクルマ汎アフリカ主義構想に基づいてアフリカ合衆国の建国を目指したが、1966年に失脚した

1956年にはンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に東隣のイギリス領トーゴランドと合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナはイギリス国王立憲君主に頂く英連邦王国であったが、1960年に共和制へ移行し、ンクルマが初代大統領となった。ンクルマは汎アフリカ主義を掲げ、冷戦下において社会主義圏(東側諸国)やギニアとの友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き1966年にクーデターで失脚した。政権を掌握した国家解放評議会はンクルマの政策から脱し、1969年には選挙を実施した。同選挙でコフィ・ブシアが首相に選ばれ民政に移管したが、反ンクルマ政策によるアカン人English版中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年にはイグナティウス・アチャンポン将軍がクーデターを起こし、政権を握った。しかし、国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。

1979年に軍事クーデターを起こしたジェリー・ローリングス空軍大尉が政権を掌握し、民政移管期間を挟んで1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建のためにIMF世界銀行構造調整計画を受け入れ、所得格差の拡大と共に、ガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは複数政党制を認めた1992年の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。これを受けて、政治をボイコットしてきた野党も国政に参加を表明し、国情は安定を迎えた。ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した新愛国党ジョン・アジェクム・クフォーが大統領に就任した。

近年

政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになったことから、現在は西アフリカにおける数少ない議会制民主主義国として知られるようになった。2009年国民民主会議からジョン・アッタ・ミルズが大統領に就任した。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領のジョン・ドラマニ・マハマが大統領に昇格した。

政治

ファイル:Supreme Court of Ghana.jpg
ガーナの最高裁判所

ガーナは国家体制として共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1992年4月28日に制定されたもの。

行政

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は4年。3選は禁止。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領により任命されるが、国民議会の承認が必要。首相職はかつて存在したが、現行憲法下では存在しない。

立法

立法府一院制国民議会。定数は230議席で、議員は小選挙区制に基づき国民の直接選挙によって選出される。議員の任期は4年である。

ガーナは1992年に現行憲法が施行されて以降、複数政党制が認められており、実質的には二大政党制が機能している。1つは自由民主主義を掲げる中道右派新愛国党 (NPP)、もう1つは社会民主主義を掲げる中道左派国民民主会議 (NDC) である。その他の勢力は二大政党ほどの影響力は持っていないが、比較的有力なものに人民国家会議 (PNC) がある。かつてクワメ・ンクルマ初代大統領のもとで権勢を振るった会議人民党 (CPP) は現在も存続しているが、勢力は弱体化している。

司法

司法府の最高機関は最高裁判所であり、その下に高等裁判所、巡回裁判所、地方裁判所が置かれている。

国際関係

西アフリカ諸国経済共同体の主導的な立場にある国の一つである。アフリカの周辺諸国のみならず、旧宗主国のイギリスをはじめとした欧米諸国とも友好関係を保っている。

日本との関係では、野口英世がイギリスの植民地下のガーナで黄熱病の研究中に死去しているなど、古くから関係があり、英世の故郷である福島県福島県立医科大学が医師を派遣するなど関係も深い。日本の援助で、1979年にガーナ大学に研究所が設立された。また2006年には、千葉県浦安市等から自転車等の無償援助を受けている。2009年の国際交流基金による日本語教育機関調査では、ガーナにおける日本語学習者の数は906人であり、サハラ以南では、中央アフリカ、マダガスカル、ケニアに継ぐ第4位である。

  • 在留日本人数 - 358人(2017年7月現在)[2]
  • 在日ガーナ人数 - 2,129人(2016年12月末現在)[2]

日本の主な輸入品

地方行政区分

ガーナは10の州 (region) から構成されている[3]

主要都市

主要な都市はアクラ(首都)、クマシセコンディ・タコラディタマレがある。

地理

ファイル:Gh-map.png
ガーナの地図
ファイル:Ghana Topography.png
ガーナの標高図

ギニア湾に面しており、ヴォルタ川流域の低地が国土の大半を占めるため、最高標高点は885mに過ぎない。ヴォルタ川水系の面積は国土面積の67%を占める。特に1965年にヴォルタ川をせき止めて作ったアコソンボダムが有名。自然湖としてボスムトゥイ湖が存在する。

ケッペンの気候区分によれば、中東部では熱帯気候(Aw)を示し、平均気温は25℃以上ある。一方南部は亜熱帯高圧帯に近づくため、乾季と雨季が明瞭になりステップ気候(BS)となる。中部、北部はサバナ。

経済

ファイル:Downtown accra.jpg
首都アクラのダウンタウン
ファイル:Tema Harbour, Greater Accra.jpg
左テマ港、右タコラディ港

2013年のガーナのGDPは約442億ドルであり[4]長崎県とほぼ同じ経済規模である[5]。同年の一人当たりのGDPは1,729ドルであり、世界平均の2割程で世界的に下位に位置するが、近年は原油の商業生産が始まったことにより経済成長も著しい。

経済は農業・鉱業等などの一次産業に依存し、特にカカオは世界有数の産出量を誇る。独立直後から債務超過に悩んでいたが、1983年以降、構造調整を実施して経済の再建に取り組んだ結果、1980年代後半から平均5%のGDP成長率を達成しアフリカにおける構造調整の優等生として評価されてきた。

2000年代に入るとカカオの国際価格の低迷、主要輸入品である原油価格の高騰などにより経済は低迷。2001年3月、拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ適用による債務救済申請を行う政策転換を行い、経済再建へ向けた努力を行っている。その結果、マクロ経済状況は改善、安定してきている。2000年代後半には金の価格が高騰し、関連産業も賑わいを見せるようになったが、次第に中国人が流入。2013年には3万人とも5万人とも推定される労働者(鉱夫)が違法労働を行うようになり、当局に検挙される事例が増えている[6]

前述のアコソンボダムによる水力発電で電力の輸出を行う。総発電量のうち水力の割合は6割強を占める。オイルショック以降の原油高の後には、この電力によるアルミニウム精錬も行い、アルミニウムの輸出は総輸出額の7%を占める。

2007年6月から沖合で油田がいくつか発見され、サブサハラ最大級といわれる大規模なもの。政府によると合計埋蔵量は最大18億バレルで、現在日量10万バレルを生産中、ガスの生産も予定されている。石油が招きがちな貧富の格差や政情不安を回避して安定した発展を続けていけるかが注目される。

近年、金やダイヤモンドなどの詐欺事件が多発し、対策として高価値鉱物マーケティング公社(PMMC)という公的機関も設立されているが、公的機関の書類自体も偽造されている場合があるので注意が必要である[7]

交通

コトカ国際空港は同国におけるハブ空港であり、アフリカの近辺国や欧米との航空路線も多く運航されている。国内の交通機関としては、航空の他鉄道による移動も多く、テマやタコラディ、クマシなどへの鉄道路線がアクラから延びている

2016年現在、旅客列車はアクラ近郊の2路線(テマ等)のみの運転。週末は運休し「闇市」(フリーマーケット)状態である。アクラ駅の場所は現地ドライバーも知らないことが多くマコラマーケットへ行ってから、確認が必要である。

トーゴ国境(アフラオ)へはトロトロ(ワゴンタイプのバス)で4時間、クマシへは大型バスで4時間(毎時2本程度)である。

国民

民族

2000年のセンサスによれば、アカン人English版ファンティ人English版en:Akyemアシャンティ人English版en:Kwahuen:Akuapem peopleen:Nzema peopleBonoen:Akwamuen:Ahanta people、その他)が45.3%、モシダゴンバ人English版が15.2%、エウェ人が11.7%、ガー人English版が4%、グルマ人が3.6%、グルシ人English版が2.6%、マンデEnglish版ブサンガ人が1%、その他の民族が1.4%、ヨーロッパ人アラブ人などその他が7.8%となっている[8]ガーナの中国人English版

言語

公用語英語であり、その他にアカン語ダバニ語エウェ語ガー語などが使われる。

政府公認言語として、トウィ語アクアペム方言(Akuapem Twi)、トウィ語アサンテ方言(Asante Twi)、エウェ語(Ewe)、ダガリ語(Dagaare)、ダバニ語(Dagbani)、アダングメ語(ダンメ語)(Dangme)、ガ語(Ga)、ゴンジャ語(Gonja)、カセム語(Kasem)、ファンティ語(Mfantse)、ンゼマ語(Nzema)がある。

宗教

2000年のセンサスによれば、国民の68.8%がキリスト教徒である。そのうちの24.1%がペンテコステ派、18.6%がプロテスタント、15.1%がカトリック、その他のキリスト教が11.5%である。イスラームは国民の15.9%を擁し、伝統宗教が8.5%、その他の宗教が0.7%、無宗教が6.1%となる[8]

教育

2年間の就学前教育と6年間の初等教育義務教育であり、初等教育の後に3年間の前期中等教育と4年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開ける。初等教育から学校教育における教授言語は英語であり、ガーナの公立学校では小学校一年生から英語で授業が行われる。2000年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は57.9%(男性:66.4% 女性:49.8%)である[8]。2005年にはGDPの5.4%が教育費に支出された[8]

主な高等教育機関としてはガーナ大学(1948)、クマシ大学ケープ・コースト大学などの名が挙げられる。

保健

ガーナはユニバーサルヘルスケアが実現され、政府所管の国民健康保険(NHIS)にて実現されている[9]。医療は様々なものが提供され、1200万人が国民健康保険に加入している[10]。都市部は病院、診療所、薬局とも十分に整備され、国内には200以上の病院が存在し医療観光の受入国になっている[11]

2013年の平均寿命は、男性66歳、女性67歳[12]乳児死亡率は1000出生あたり39[13]。 2010年では、人口10万あたり医師は15人、看護師93人[14]であり、GDPの5.2%が保健支出であった[15]。ガーナ市民はプライマリヘルスケアにアクセスする権利がある[16]。ガーナの医療制度アフリカ諸国において最も成功したものであるとビル&メリンダ・ゲイツ財団は評している[16]。2012年では、15-49歳成人のHIV罹患率は1.40%であった[17]

文化

習俗

ガーナの人々には、物を運ぶさいに頭にのせる慣習がある。この慣習に子供の頃から慣れ親しむため、頭に載せて運ぶほうが手で持つよりも楽だ、という発想をおのずと身につけがちである[18]

音楽

1920年代にリベリアシエラ・レオネで生まれたパームワイン・ミュージックを発展する形でハイライフが生まれた。ハイライフは最初期に成立したアフリカのポピュラー音楽であり、近隣のナイジェリアシエラ・レオネなど英語圏に拡大した他、ベルギー領コンゴにも波及してフランコやパパ・ウェンバらに影響を与え、キューバ音楽と共にリンガラ・ポップス(ルンバ・ロック)成立に大きな影響を与えた。

1990年代にはハイライフ、アフロ=レゲエ、ダンスホール、ヒップ・ホップなどの影響を受けた若者によって新たなジャンルが創造された。この新たなハイブリッド音楽はヒップライフと呼ばれている。R&B/ソウルの歌手ライアン・ベンソンやハイライフ歌手のコージョ・アントウィ、ラッパーのティンチー・ストライダーなどのガーナのミュージシャンは国際的な成功を収めている。

世界遺産

ガーナ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。

スポーツ

サッカー

ガーナ代表アフリカネイションズカップに1963年、1965年、1978年、1982年と4度に渡って優勝しているが、ワールドカップ予選ではことごとく敗退してきた。しかし、2006 FIFAワールドカップ予選では見事勝ち抜き、本大会への出場が決まった。本大会では強豪チェコを破るなどの活躍を見せ、決勝トーナメントへ進んだが、決勝トーナメント1回戦でブラジルに3-0で敗れた。2010 FIFAワールドカップではアフリカ勢で唯一グループリーグを突破し、1990年のカメルーン、2002年のセネガルに続きアフリカ勢3カ国目、自国初となるベスト8進出も果たした。

ガーナサッカー協会(Ghana Football Association)は、CAF(アフリカサッカー連盟)の主催するアフリカネイションズカップを、1963年、1978年、2008年に単独開催し、2000年にはナイジェリアと共同開催した。2008年に開催されたアフリカネイションズカップでは、ガーナ代表は3位であった。

ボクシング

元世界チャンピオンのアイク・クォーティWBAウェルター級)やジョシュア・クロッティIBFウェルター級)など、単なる一王者ではなく、世界水準でも評価の高い好選手を輩出している。またアズマー・ネルソンは、ガーナのみならずアフリカボクシング界全体の象徴になるまでの評価を得た選手である。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. 2.0 2.1 外務省 ガーナ基礎データ
  3. 州の読みはhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/ghana/pdfs/sect03_01_0707.pdf を参照した。
  4. IMFによるGDP
  5. 内閣府による県民経済計算 (PDF)
  6. “ガーナで中国人大量逮捕 身勝手すぎる理由とは?”. livedoor News (NewSphere). (2013年6月13日). http://news.livedoor.com/article/detail/7754817/ . 2014閲覧. 
  7. [2]
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 CIA World Factbook2009年11月26日閲覧。
  9. National Health Insurance Scheme (NHIS)”. nhis.gov.gh. . 2014閲覧.
  10. Ghana: National Health Insurance Scheme (NHIS)”. jointlearningnetwork.org. . 2014閲覧.
  11. Medical tourism is emerging market for Ghana”. eturbonews.com (2009年8月5日). . 2014閲覧.
  12. Field Listing :: Life expectancy at birth. Retrieved 24 June 2013.
  13. Field Listing :: Infant mortality rate.cia.gov. Retrieved 24 June 2013.
  14. Afro.who.int”. Afro.who.int. . 2014閲覧.
  15. Field Listing :: Health expenditures. Retrieved 24 June 2013.
  16. 16.0 16.1 These are the countries where I'm the least known" – Bill Gates visits Ghana”. thejournal.ie. . 2014閲覧.
  17. Library publications”. . 2015閲覧.
  18. テレビ東京『ありえへん世界』~99%行かない国!?世界の秘境SP~ 6月6日午後6:30~8:54 ~西アフリカ『ガーナ共和国』の"超ビジネスマン"~ 平均年収の71倍を稼ぐ・・・ありえへんマル秘広告とは!? 番組内の説明より抜粋。

参考文献

関連項目

外部リンク

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