クラウディウス1世

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Claudius I; Tiberius Claudius Nero Germanicus

[生] 前10.8.1. ルグドゥヌム
[没] 後54.10.13. ローマ

ローマ皇帝 (在位 41~54) 。名門クラウディウス家の出身。帝位につくまでは学問と享楽の生活をおくり,リウィウス,M.キケロを好み,エトルリア史,カルタゴ史を著わした。病弱で風采もあがらず,政治へも介入しなかったが,41年ガイウス・カエサル (カリグラ) 帝の暗殺後,近衛軍に推されて帝位についた。元老院には歓迎されなかったが,善意と博識をもって統治を始めた。外交政策では,北アフリカのマウレタニア (41~42) ,ブリタニア (43) ,小アジアのリキア (43) ,トラキア (46) を属州にするなどして属州支配を重視し,ローマ市民権と都市の自治権を個人や共同体に与え,属州の地位の改善に努めた。さらに諸都市を建設し,有力な属州の人たちを元老院に入れた。内政面では,法律を整備し,元老院は形式的に尊重したのみで,近衛軍,解放奴隷ナルキッスス,パラスらを重用し,皇帝直属部門を設立,行政能力を高めた。

しかし,一方では妃たちや解放奴隷たちが気ままに策動するのを許容することにもなった。その他,伝統的祭儀の復興,ユダヤ人のローマ追放,オスチア建設などに尽力。第3の妃メッサリナを陰謀のとがで処刑し (48) ,姪の小アグリッピナ と結婚。彼女の言に従い,その実子ネロを養子とした。妻の手にかかり毒殺されたといわれる。