サンピエール島・ミクロン島

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サンピエール島およびミクロン島
Collectivité territoriale de Saint-Pierre-et-Miquelon
サンピエール島・ミクロン島の サンピエール島・ミクロン島の
サンピエール島・ミクロン島の旗 サンピエール島・ミクロン島の紋章
モットー:A mare labor
サンピエール島・ミクロン島の位置

公用語 フランス語
行政所在地 サンピエール
大統領 エマニュエル・マクロン
知事(プレフェ) ティエリー・デビモー(Thierry Devimeux)
議会議長 ステファヌ・アルターノEnglish版 (Stéphane Artano)
面積
 -  総面積 242 km²
 -  水面積率 (%) 極僅か
人口
 -  統計(2011年1月) 6,080[1]
 -  人口密度 25人/km²
GDP (PPP)
 -  合計
通貨 ユーロ (EUR)
時間帯 UTC-3 
ISO 3166-1 PM / SPM
ccTLD .pm
国際電話番号 +508

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サンピエール島およびミクロン島フランス語: Saint-Pierre et Miquelon)は、カナダセントローレンス湾に浮かび、ニューファンドランド島南部に位置する島。フランス海外準県 (collectivité d'outre-mer; COM)。豊かな漁場の海に囲まれているため、この島々を領有しているフランスとカナダとの間で漁業権と鉱物権をめぐる排他的経済水域についての論争があったが、1992年に一旦収束した。

歴史

アメリカ先住民ミクマクといわれている)がもともと暮らしていたが、1520年ポルトガルジョアン・アルヴァレス・ファグンデスが発見し、1536年にはフランスジャック・カルティエが上陸し、サンピエール島と命名した。1702年のイギリス軍によるニューファンドランド遠征で破壊され、1713年ユトレヒト条約イギリスの領土になるが、1763年パリ条約でイギリスはフランスに割譲した。しかし、1778年から1783年1793年から1816年とイギリスが占領。その後、フランスに戻った。

1939年第二次世界大戦が勃発すると、1940年フランスドイツに降伏し、サンピエール・ミクロンは親ドイツ派のヴィシー政府の領土となった。

この際、カナダ政府がサンピエール・ミクロンの占領を計画し、侵攻のための口実がいくつか作られた。その代表的なものに、サンピエール・ミクロンから放送されていたヴィシー政府のラジオが、グランドバンク付近で活動していたドイツ海軍のUボートを支援しているためというものがあったが、その証拠がなかったため結局カナダは占領しなかった。

1941年自由フランス軍が島内で反乱を組織し、巡洋潜水艦「スルクフ」率いる小艦隊が抵抗を受けずに上陸し、島を占領したが、この作戦は前述のカナダの占領を防ぐために、カナダアメリカ合衆国には事前に伝達がなされていなかった。

その後、サンピエール・ミクロンはド・ゴール将軍指揮下の自由フランス政府の側につき、海軍基地が置かれた。

1975年に海外領土 (territoire d'outre-mer; TOM) から海外県 (département d'outre-mer; DOM) に昇格し、1985年に特別自治体 (collectivité territoriale) に移行。さらに2003年の地方自治制度改革に伴い海外準県に移行した。

1960年代より続いていたフランスとカナダとの間での排他的経済水域についての論争について、1992年に国際司法裁判所の裁定により島の南東側の39km水域及び、幅17km、長さ322kmの南に細長い水域とをサンピエール・ミクロンの排他的経済水域として認めることで一旦収束した。

しかし2014年にフランスが大陸棚限界委員会に両島周辺での広大な経済水域を認めるよう申請したためカナダが強く反発し、問題が再発した。

地形

サンピエール島とミクロン島を中心とした不毛の島々からなる。サンピエール島は面積約26km2の小さな島だがサンピエール島・ミクロン島の中心的な島であって、周囲に小島がいくつかある。ミクロン島はラングレード地峡により、もともと別の島であったラングレード島と結ばれている。

沖合にはバンクグランドバンク)があり、タラなどが多数生息する世界屈指の好漁場となっている。

経済

世界有数の豊かな漁場に恵まれ、伝統的にタラ漁を中心とした漁業が盛んである。そして重要な漁業基地となっている。

住民

フランス人の住民がほとんどで、主にブルターニュフランス領バスクから来た入植者の子孫である。

公用語はフランス語、宗教はカトリックがほとんどを占める。

脚注

  1. INSEE, Government of France. “Populations légales 2011 pour les départements et les collectivités d'outre-mer” (フランス語). . 2014閲覧.

関連項目

外部リンク



座標: 西経56度20分北緯46.933度 西経56.333度46.933; -56.333