シンエイ動画

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シンエイ動画株式会社(シンエイどうが、: SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.)は、日本アニメ制作会社日本動画協会正会員。

概要

代表作に、テレビアニメドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』・『あたしンち』(テレビ朝日系)を中心に[注釈 1]、劇場用長編アニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』シリーズがある。また作画工程のみを他社から請け負う事業も行っている。2010年より、テレビ朝日の完全子会社となっている。シンエイ動画は1965年(昭和40年)に設立された有限会社エイプロダクション(通称: Aプロダクション)が前身である。Aプロダクションは東京ムービーと業務提携し、その制作担当として活動していた。

社名の由来

「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎によると、「新生Aプロ」、「しいAプロダクション」という意味であり、新鋭という意味だとは説明していない[1][2]。発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も、自身の著書で新生Aプロという意味だと記している[3]。公式サイトでは「新しいAプロ=『新A』」、そして「アニメ界の『新鋭』でありたい」と伝えている[4]。新しく作られたロゴタイプは、シンエイの「A」に漫画風の頭と手を付けた、マスコットキャラクターの様なデザインとなっている。楠部大吉郎デザインのこのキャラクターの名前は「エーちゃん」である[5]

歴史

Aプロダクション時代

Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者・楠部大吉郎の弁)[1]

テレビアニメの黎明期に人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊が東映動画(現: 東映アニメーション)から独立したアニメーター、楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。そして楠部は、東映動画の新人アニメーターだった芝山努小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなり、Aプロは渋谷区代々木にその拠点を構えた。

東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本関係なし)という形をとった。そして楠部の弟である楠部三吉郎は東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司吉田茂承大塚康生宮崎駿高畑勲小田部羊一らと、定期採用で育成された当時の新人、中村英一といったアニメーターや演出家が、東京ムービーの代表作である『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。

作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし1974年(昭和49年)に楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため、1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立。こうしてAプロは、1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更、改組した[6]

シンエイ動画時代

こうして再出発したシンエイ動画は、社屋を田無市[注釈 2]北原町へと移転、その際には仕上部門を切り離し作画スタッフも大幅に削減して、経営をスリム化している。この時に独立した作画スタッフが設立したものが亜細亜堂、あにまる屋[注釈 3]等のスタジオである。なお、小山礼司が率いた美術部門は、小山が独立した形で早くに廃している。そして東京ムービーに在籍していた楠部三吉郎は専務取締役としてシンエイ動画へと移籍。兄の大吉郎と共に経営を支えた。またAプロからシンエイ動画として独立した記念として、東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権を藤岡から譲渡されたという逸話がある[3]

東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』(1977年)。しばらくは他社のグロス請けなどをこなしたのち、1979年にはテレビアニメ『ドラえもん』を苦心の末、再びアニメ化にこぎ着ける。このシンエイ版『ドラえもん』の成功が、シンエイ動画の経営上の礎となった。

ファイル:Shineidoga.jpg
旧社屋。窓側にドラえもんが陣取っており「ドラえもんビル」の愛称で親しまれた。現在は社会福祉法人檸檬会が運営する保育園「レイモンドたなしほいくえん」となっている(2006年12月撮影)。

そして業務拡大のため、1982年には社屋を田無市南町に移転。そして1980年代を中心に数多くの藤子不二雄作品や『月刊コロコロコミック』連載作品などを中心に次々とアニメ化。これらはテレビ朝日系を中心に放映された。1992年には田無市本町[注釈 4]に社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは同社の経営を支えた『ドラえもん』に感謝を込め『ドラえもんビル』という愛称[7]がある。同年にはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』がスタート。

2003年1月には、テレビ朝日がシンエイ動画の10%の株式を取得し、資本提携する。2009年4月よりテレビ朝日がシンエイ動画の株式の大半を取得し、テレビ朝日の連結子会社になった[8]。新社長は岩永惠に、楠部三吉郎は代表取締役会長へ就任した。2010年10月15日、楠部三吉郎が保有する株式をテレビ朝日が追加取得したことにより、テレビ朝日の100%子会社となった[9][注釈 5]。この事から、テレビ朝日ケーブルテレビスカパー!スカパー!e2他で展開する通信衛星テレビ放送局・「テレ朝チャンネル」で、シンエイ動画製作作品(初回放送時にテレ朝系列でない作品を含む)を集中的に取り上げる「シンエイアニメシアター」という番組が毎日放映されている。

2009年11月には旧社屋の北西方向、東京都道5号新宿青梅線旧道(青梅街道)沿い(西東京市田無町3丁目)に青い塗装の新社屋を落成、入居を開始した。旧社屋はしばらく空きテナントとなっていたが、2011年(平成23年)に社会福祉法人檸檬会がビルを借り上げ、「レイモンドたなしほいくえん」に転用された。

2012年7月、代表取締役社長に梅澤道彦常務が昇格し就任した。また別紙博行専務が代表取締役専務に昇格した。社長の梅澤は前任の岩永同様にテレビ朝日からの出向である。

2015年、別紙博行が代表取締役を退任し、梅澤道彦が単独で代表取締役を務める。

2016年にはアスミック・エーストムス・エンタテインメントジェイアール東日本企画住友商事と共にアニメ製作プロジェクトチーム「あにめのめ」を立ち上げる。シンエイ動画はトムスと共同でアニメ企画・制作を担当し、2018年の枠消滅まで『笑ゥせぇるすまんNEW』『からかい上手の高木さん』など5作品を手掛けた。

2017年4月SynergySP子会社化。同社の代表は元取締役・チーフプロデューサーの増子相二郎が就任した[10]

劇場作品

シンエイ動画に改組してからの事実上の劇場デビュー作は、1980年(昭和55年)3月公開の『ドラえもん のび太の恐竜』である[注釈 6]東宝の配給で同時上映は、『モスラ対ゴジラ』だった。東宝の番組ラインとしては、1978年まで学校の休み期間中に上映していたゴジラ映画と短編のテレビアニメ数本を上映する東宝チャンピオンまつりの流れを汲むもので[11]、当初は長編ではない予定だったが、原作者の藤子・F・不二雄から「僕の中では90分ないと映画とは呼べない」という要望を受けてオリジナルの新作長編映画として制作された[12][13]。以後、短編-中編の藤子作品の併映作と共に、毎年3月の春休み映画として『ドラえもん』の劇場版が上映されるようになった。1980年代に多く行われていた藤子アニメ三本立て興行は、1990年代以降、影を潜めた。しかし、『ザ・ドラえもんズ』といった30分の短編と長編『ドラえもん』のセットは2004年まで続いた。映画『ドラえもん』シリーズは、2005年(平成17年)からのテレビシリーズ全面リニューアルの影響でその年は作られず、2006年(平成18年)から再び上映されるようになった。また、これを機に短編作品は作られなくなった。

『クレヨンしんちゃん』も『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が作られ、1993年夏に映画初登場。1994年以降は毎年春にシリーズ上映されている。

これまでシンエイ動画制作の劇場アニメは、テレビシリーズの映画化が中心だったが、2007年の『河童のクゥと夏休み』(監督: 原恵一)は、改組後初めての劇場オリジナル作品となった。

CG・デジタル制作

CGにおいては、ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅で最初に使用した。

CGは殆ど外注であったが、1990年代に入ると、堤規至(元アニメーター)を中心にCGI班を立ち上げ、シンエイ動画社内でも制作されるようになった。1990年代後半から始まったアニメ業界のデジタル制作(デジタルペイント・デジタル撮影)化の波が押し寄せる中においても、仕上・撮影を外注化していることから基本的にはセルアニメでの制作を堅持し続け、デジタル制作はあくまでも部分的使用に留まっていた。

そして外注スタジオのデジタル制作対応に伴い『ジャングルはいつもハレのちグゥ』(2001年)でフルデジタル制作を本格的に開始。その流れに伴って他の作品も2002年以降、デジタルでの制作へと完全に移行した。また、2005年以降は地上デジタル放送対応に伴い、全てのテレビ作品がハイビジョン制作されるようになった。

作品履歴

Aプロダクション時代

テレビシリーズ

開始年 放送期間 タイトル 備考
1965年 8月 - 1967年6月 オバケのQ太郎
1967年 4月 - 1968年4月 パーマン 共同制作:スタジオ・ゼロ
7月 - 1968年12月 コメットさん 第1期(ドラマ)
実写合成
アニメ作画
1968年 3月 - 1971年9月 巨人の星
4月 - 1969年3月 怪物くん 共同制作:スタジオ・ゼロ
1969年 4月 - 9月 ウメ星デンカ
10月 - 1970年12月 ムーミン 1 - 26話まで
12月 - 1971年11月 アタックNo.1
1971年 2月 - 3月 珍豪ムチャ兵衛
9月 - 1972年6月 天才バカボン
9月 - 1972年12月 新・オバケのQ太郎
10月 - 1972年3月 ルパン三世
1972年 4月 - 1973年3月 赤胴鈴之助
10月 - 1974年9月 ど根性ガエル
1973年 3月 - 9月 ジャングル黒べえ
4月 - 1974年3月 荒野の少年イサム
10月 - 1974年3月 エースをねらえ!
10月 - 1974年9月 侍ジャイアンツ
空手バカ一代
1974年 4月 - 9月 柔道讃歌
10月 - 1976年3月 はじめ人間ギャートルズ
1975年 4月 - 9月 ガンバの冒険
10月 - 1977年9月 元祖天才バカボン

劇場映画

公開年 タイトル 備考
1966年 喜劇 駅前漫画 東京映画
実写合成(アニメ作画)
1969年 - 1970年 巨人の星 TVシリーズ再編集
1970年 - 1971年 アタックNo.1
1972年 パンダコパンダ
1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻

シンエイ動画時代

テレビシリーズ

タイトル 放送期間 備考
おれは鉄兵 1977年-1978年 制作担当
野球狂の詩 1977年-1979年 各話制作協力
一球さん 1978年 制作担当
ドラえもん 1979年-
日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ 1979年
怪物くん[新] 1980年-1982年
忍者ハットリくん 1981年-1987年
ゲームセンターあらし 1982年
フクちゃん 1982年-1984年
藤子不二雄劇場 パーマン 1983年-1985年
オヨネコぶーにゃん 1984年
プロゴルファー猿 1985年-1988年
藤子不二雄劇場 オバケのQ太郎 1985年-1987年
エスパー魔美 1987年-1989年
ウルトラB 1987年-1989年
つるピカハゲ丸くん 1988年-1989年
新プロゴルファー猿 1988年
ビリ犬 1988年-1989年
美味しんぼ 1988年-1992年
おぼっちゃまくん 1989年-1992年
ビリ犬なんでも商会 1989年
笑ゥせぇるすまん 1989年-1992年
チンプイ 1989年-1991年
ガタピシ 1990年-1991年
藤子不二雄の夢魔子 1990年
八百八町表裏 化粧師
どろろんぱっ! 1991年
21エモン 1991年-1992年
クレヨンしんちゃん 1992年-
さすらいくん 1992年
忍ペンまん丸 1997年-1998年
ヨシモトムチッ子物語 1998年
週刊ストーリーランド 1999年-2001年
激動!歴史を変える男たち 〜アニメ静岡県史〜 2000年 静岡県ローカル
ジャングルはいつもハレのちグゥ 2001年
あたしンち 2002年-2009年
ご姉弟物語 2009年-2010年
スティッチ! 〜ずっと最高のトモダチ〜 2010年-2011年
エリアの騎士 2012年
黒魔女さんが通る!! 2012年-2014年
インド版 忍者ハットリくん 2013年- 共同制作:リライアンス・メディア・ワークス
となりの関くん 2014年
デンキ街の本屋さん 2014年
怪盗ジョーカー 2014年-2016年
新あたしンち 2015年-2016年
甘々と稲妻 2016年 企画協力
TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より- 2016年-2017年 共同制作:トムス・エンタテインメント
笑ゥせぇるすまんNEW 2017年
妖怪アパートの幽雅な日常
ふるさとめぐり 日本の昔ばなし 制作協力
からかい上手の高木さん 2018年
ポチっと発明 ピカちんキット 共同制作:オー・エル・エム

TVスペシャル

タイトル 放映年 備考
ドラ・Q・パーマン 1980年 ドラえもんの特番枠で放映
怪物くん 1981年-1982年
プロゴルファー猿 1982年
三国志 1985年
Mr.ペンペン 1986年
Mr.ペンペンII
三国志II 天翔ける英雄たち
呪いのワンピース 1992年
美味しんぼ 究極対至高長寿料理対決
笑ゥせぇるすまんスペシャル
笑ゥせぇるすまん 春の特大号 1993年
笑ゥせぇるすまん 年忘れ特大号
美味しんぼ 日本コメ戦争
景山民夫のダブルファンタジー 1994年
中崎タツヤスーパー ギャグシアター
ウミガメと少年 2002年 戦争童話集シリーズ
凧になったお母さん 2003年
小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 2004年
ぼくの防空壕 2005年
焼跡の、お菓子の木 2006年
ふたつの胡桃 2007年
キクちゃんとオオカミ 2008年
青い瞳の女の子のお話 2009年
白い恋人 2006年 北海道ローカル

OVA

タイトル 発売年
ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス 2002年-2003年
ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL 2003年-2004年
みんなのどうよう 2014年
やっぱり海が好き 2015年
やっぱり海が好き2 2017年

Webアニメ

タイトル 配信年 備考
なんちゃって! 2010年 シンエイぷちアニ劇場
ポテッコベイビーズ
西武鉄道駅員タコちゃん[注釈 7][14]
アニメで分かる心療内科 2015年 制作はFor All名義[注釈 8]
クレヨンしんちゃん外伝 エイリアン vs. しんのすけ 2016年 Amazonプライムビデオにて配信
クレヨンしんちゃん外伝 おもちゃウォーズ
クレヨンしんちゃん外伝 家族連れ狼 2017年
クレヨンしんちゃん外伝 お・お・お・のしんのすけ

劇場映画

タイトル 公開年 備考
ドラえもん 1980年-2004年/2006年-
21エモン 宇宙へいらっしゃい! 1981年
ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ
怪物くん デーモンの剣 1982年
忍者ハットリくん 1982年-1983年
パーマン 1983年、2003年-2004年
忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ 1984年
忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵 1985年
プロゴルファー猿 1986年-1987年
オバケのQ太郎
エスパー魔美 星空のダンシングドール 1988年
ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B!
県立海空高校野球部員山下たろーくん
ドラミちゃん 1989年、1991年、1993年-1994年
チンプイ エリさま活動大写真 1990年
21エモン 宇宙(そら)いけ!裸足のプリンセス 1992年
映画クレヨンしんちゃんシリーズ 1993年-
ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン! 1994年
ザ・ドラえもんズ 1996年-2002年
ドラえもん 感動シリーズ 1998年-2002年
映画 あたしンち 2003年
河童のクゥと夏休み 2007年
劇場版3D あたしンち 情熱のちょ~超能力♪ 母 大暴走! 2010年
パロルのみらい島 2014年
STAND BY ME ドラえもん
ゴーちゃん。〜モコとちんじゅうの森の仲間たち〜 2017年
メアリと魔女の花 制作協力
ゴーちゃん。〜モコと氷の上の約束〜 2018年

パイロットフィルム・未放映作品

その他

関連人物

アニメーター・演出家

その他

  • 楠部三吉郎(2代目代表取締役社長、名誉会長)
  • 山田俊秀(プロデューサー)
  • 大澤正享(プロデューサー)
  • 齋藤敦(プロデューサー)
  • 高橋麗奈(プロデューサー)
  • 大金修一(プロデューサー)
  • 山川順一(プロデューサー)
  • 和田泰(プロデューサー)
  • 吉田有希(プロデューサー)
  • 荒木元道(プロデューサー)
  • 馬渕吉喜(プロデューサー)
  • 廣川浩二(プロデューサー)
  • 山崎智史(プロデューサー)
  • 永田雄一(プロデューサー)
  • 河西麻利子(プロデューサー)
  • 中島進(制作デスク)
  • 鈴木健一(制作デスク)
  • 中村和喜(制作デスク)
  • 伊藤貴徳(制作デスク)
  • 谷澤吉紀(制作デスク)
  • 岡野孝規(制作デスク)
  • 落合竜太郎(制作デスク)
  • 柏原健二(元制作デスク、データ管理)
  • 金井浩(文芸)
  • 堤規至(元アニメーター、CGIクリエイターに転向)
  • 野中幸子(色彩設計)
  • 松谷早苗(色彩設計)
  • 堀越智子(色彩設計)
  • 蝦名佳代子(色彩設計)
  • 今泉ひろみ(色彩設計)

出身者

注釈

  1. 設立から現在まで自社で著作権を保有する作品ではフジテレビ系との取引は一切無い。ただし、Aプロダクション時代からシンエイ動画初期に製作業務に参加した作品はあった。
  2. 現在の西東京市
  3. 現: エクラアニマル、設立は1982年(昭和57年)
  4. 現: 西東京市田無町2丁目
  5. テレビ朝日はアニメでは元々、同局の前身・日本教育テレビ(NET)の設立母体の一つである東映の傘下企業かつ創業者・楠部の出身企業である東映アニメーション(旧東映動画)との作品を中心としていたが、『ドラえもん』の成功以降順次シンエイ動画中心へと変化していき、一時東映アニメーションとの全国ネット作品が途絶えることもあった。このため、東映アニメーションは在阪準キー局・朝日放送(ABC)と組むことでテレビ朝日系列における全国ネット作品を維持することになったが、シンエイの前身・Aプロダクションはかつて東京ムービーとの関係上ABCと近い関係にあった経緯を踏まえると、結果的にアニメ枠に関してはテレ朝・ABCと東映・シンエイの関係が逆転することになった。朝日放送は1975年3月30日にそれまでNET系列だった毎日放送(MBS)とネットチェンジするまでTBS系列だったが、AプロダクションはABC同様に東京ムービーを通じてMBSや読売テレビ(YTV)とも比較的親密な関係だった。
  6. Aプロ時代には東宝チャンピオンまつりで上映された短編の『パンダコパンダ』シリーズがある。シンエイ動画になってからも1977年に21分の『草原の子テングリ』があったが、PR映画であり一般の配給網には乗らなかった。
  7. 本社最寄の田無駅を舞台に新人駅員「タコちゃん」の奮闘を描く。西武鉄道とのコラボレーション。
  8. hulu - アニメで分かる心療内科(2015年2月14日閲覧)ではスタジオ名が「シンエイ動画」と表記されている他、同作の公式サイトのドメインをシンエイ動画が取得している。

出典

  1. 1.0 1.1 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.62。楠部大吉郎インタビューでの本人の証言。
  2. 『アニメージュ』2000年5月号、徳間書店(小黒祐一郎 「第19回 渡辺歩」『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』 飛鳥新社、東京、2006年、312ページ。ISBN 4-87031-758-3。アクセス日 2010-12-13)。シンエイ動画社員の渡辺歩が楠部から説明されたという証言。
  3. 3.0 3.1 『リトル・ニモの野望』p.55。
  4. 会社沿革」 シンエイ動画公式サイト
  5. キクちゃんとオオカミ ブログパーツ シンエイ動画公式サイト
  6. 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.59
  7. ぼく、ドラえもん』3巻、p32
  8. シンエイ動画株式会社の株式取得による連結子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2008年10月2日
  9. シンエイ動画株式会社の100%子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2010年10月6日
  10. SynergySP About
  11. 「スクリーンにかかったテレビアニメーション 東宝チャンピオンまつり」『キネ旬ムック 動画王 Vol.7』キネマ旬報社、1998年、p131
  12. 白石雅彦編著『平成ゴジラ大全1984~1995』双葉社、2003年、p38
  13. 原恵一、浜野保樹編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p31
  14. ~特命!沿線ご案内係~「西武鉄道駅員タコちゃん」発進! (PDF, 西武鉄道・シンエイ動画 2011年4月14日)

参考文献

  • アニメージュ』(1985年1月号、徳間書店) - Aプロダクション特集。楠部大吉郎インタビュー。
  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改定版』徳間書店、2001年
  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店、2004年
  • 「楠部大吉郎ロングインタビュー」『キネマ旬報別冊 動画王 Vol.07』キネマ旬報社、1998年
  • 「近藤喜文さんがAプロで過ごした青春時代」『アニメージュ』徳間書店、1998年4月号
  • 大塚康生、森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』実業之日本社、2006年

関連項目

外部リンク


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