ニカイア公会議

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ビチュニアのニカイアで開催された2回の公会議。

(1) 第1回  325年皇帝コンスタンチヌス1世が 220人余の司教を各地から集めて開いた第1回公会議。教皇シルウェステル1世は代理を派遣した。三位一体をめぐる論争で台頭した聖子従属説,なかんずくアリウス派を異端とし,父と子の同質を明言したニカイア信条を採択。また 20ヵ条に及ぶカノンは,迫害時代に教会を捨てた者の帰正,司祭の婚姻問題,金貸しの禁止,エジプトやリビアなどにおけるアレクサンドリア司教の優越的位置などを規定した。

(2) 第2回 コンスタンチノープル総大司教タラシウスの求めに応じ,摂政位にあった皇后イレネが,787年に開催した第7回公会議。教皇ハドリアヌス1世は使節を派遣。726年皇帝レオ3世の始めた聖画像破壊が主要議題であり,礼拝は神のみに,しかし聖画像には崇敬が認められた。この決定は不完全なラテン訳によって礼拝と崇敬の区別が立てられずに西方に伝えられたため,カルル大帝をはじめこれを否定する勢力がのちにまで残った。ほかに21ヵ条のカノンを採択。