ノイシュヴァンシュタイン城

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座標: 東経10度44分59秒北緯47.5575度 東経10.74972度47.5575; 10.74972

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マリエン橋から見たノイシュヴァンシュタイン城。
この方角からの眺めがもっとも美しいとされる。

ノイシュヴァンシュタイン城(ノイシュヴァンシュタインじょう、標準ドイツ語: Schloss Neuschwansteinテンプレート:Lang-gswテンプレート:Lang-bar)は、ドイツ南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方にあるである。ノイシュバンシュタイン城とも表記される。

概要

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ノイシュヴァンシュタイン城(中央手前)周囲の風景。左下にホーエンシュヴァンガウ城

バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築された。オーストリア国境に近いオストアルゴイ郡フュッセンの東南東方向(直線距離にて約4km)に位置し、近隣には、ルートヴィヒ2世が幼少時代を過ごし、彼の父親が所有していたホーエンシュヴァンガウ城がある。

ノイシュヴァンシュタインという名は、現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあったシュヴァンシュタイン城にちなみ、1886年になって付けられた名であり(「ノイ (Neu)」はドイツ語で「新しい」、シュタインは「石」の意)、建設当時はホーエンシュヴァンガウ新城と呼ばれていた。シュヴァンガウは、「白鳥地区」の意味の地名で、ホーエンシュヴァンガウは、上シュヴァンガウ村のことである。

伝統的な建築方式で造られているように見えるが、石造りではなく鉄骨組みのコンクリートおよびモルタル製で、ドイツの城館に本来は必ずあるべき小聖堂や墓地がなく、これらの点から古建築保存を目的とする世界遺産になっていない。

現在はロマンティック街道の終点として、人気の観光スポットとなっており、内部を見学することができる。

歴史

建設の経緯

ルートヴィヒ2世は中世騎士道への憧れを強く抱いた人物で、ワーグナーを庇護し[1]、彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた、いわゆる“ワグネリアン”であった。膨大な額の援助を彼に施し、彼の楽劇を「私たちの作品」と呼んだが、狷介な性格のワーグナーはたとえ有力なパトロンであり国王であったとしても、作品に容喙することを許さなかった。

一方、ヴァルトブルク城ヴェルサイユ宮殿を目にしたルートヴィヒ2世は、「私自身の作品」として自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうと決意する。このため城全体のグランドデザインを行うよう指名されたのは建築家でも技術者でもなく、宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していた画家のクリスチャン・ヤンクであった。

建設

建設作業は1869年9月5日に開始され、1886年には、施設内に人間が居住できる程度には完成した。これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになる。

ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、リンダーホーフ城ヘレンキームゼー城の建設を始め、さらにはノイシュヴァンシュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケンシュタイン城を建設する計画をたてており、その上オリエント風の宮殿も建設したいと考えていた。これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金などを中心に、ほぼ王室費から支出され、バイエルン政府の国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発して借金を積み重ねた。プロイセンに対し普墺戦争の損害賠償を未だ抱えていたバイエルン政府はこれに危機感を募らせ、最終的に首相ルッツらは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げた。王がノイシュヴァンシュタイン城に居住した期間は、わずかに172日間であった。

ルートヴィヒ2世の死後

ルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点で、ノイシュヴァンシュタイン城は王の構想の一部を実現したに過ぎず、未完成部分を多く残していたが、建設工事はこの時点で中止された。元来実用性の乏しい施設であったが、公的な施設として用いられることはなく、その直後から城と内部は観光施設として一般公開された。

構造

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空から見たノイシュヴァンシュタイン城

一見すると伝統的な建築方式で造られているように見えるが、石造りではなく鉄骨組みのコンクリートおよびモルタル製で、装飾過多であり、耐候性や耐久性も低かった。この城は軍事拠点としての「要塞」としてではなく、また政治や外交の拠点としての「宮殿」として建設されたものでもなく、後述のようにルートヴィヒ2世のロマンティック趣味のためだけに建設されたもので、ドイツの城館に本来は必ずあるべき小聖堂や墓地がこの城にはなく、玉座を後回しにしてもヴィーナスの洞窟と名付けられた人工の洞窟が建設されるなど、実際の住居としての居住性はほとんど考慮されておらず、施設としての実用性は無視された設計になっており、居住にも政務にも(もちろん軍事施設としても)不向きな城である。これらの点から古建築保存を目的とする世界遺産になっていない。

見学

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見学ツアーチケット売場

城は一般に公開されており、4~9月の春夏は9~18時、10~3月の秋冬は10~16時の間見学が可能だが、城内の見学はツアーへの参加が必須となっており、麓のホーエンシュヴァンガウにあるチケット売場で事前にツアーのチケットを購入する必要がある。城ではツアーチケットは販売されていない。

ホーエンシュヴァンガウの町までは、ドイツ鉄道フュッセン駅前からバスが運行されている。麓から城までは坂道を徒歩で上がるか、チケット売場の先にあるバス停からマリエン橋近くまで運行されているバス、もしくはバス停近くから出発する馬車(いずれも有料)を利用し、終点から城までを徒歩とするかのいずれかとなる。

なお、ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが最も美しいとされている。

その他

ディズニーランドの城

「おとぎ話に出てくるような美しさ」と讃えられることもあるこの城は、カリフォルニアにあるオリジナルのディズニーランドや、2005年に開園した香港ディズニーランドにある眠れる森の美女の城のモデルの一つとしても知られている[3]

ただし、ディズニーランド・パリ眠れる森の美女の城は、ノイシュヴァンシュタイン城をモデルとはしていない。

ギャラリー

脚注・出典

  1. 新建築社 『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』 新建築社、2008年。ISBN 978-4-7869-0219-2。
  2. 死ぬまでに行きたい世界の名城25
  3. Disney Online Guest Services

参考図書

  • 小谷明、阿部謹也、坂田史男ほか 『ドイツ・ロマンティック街道』 (1987年 新潮社) ISBN 4-10-601948-5

関連項目

外部リンク