アッシリア

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(Assyria)

北部メソポタミアのチグリス川沿いの地域。古くから文化が開けていたことで知られる。最古は遊牧や農業によるスバル人社会がありシュメール人と交渉をもっていたともいわれる。前 3000年にアッシリア人がこの地を奪い都市国家を建設,盛衰を繰り返した。すなわち前 2350年頃アッカド王朝のサルゴンに,続いてグティ(グティウム) 王朝,ウル第3王朝 (前 2130~2021) ,バビロン第1王朝 (前 1900頃~1600頃) の支配下に置かれた。前 18世紀初頭,シャムシ=アダド1世のとき独立したが,王の死後バビロンのハンムラビ王に統一され,前 1600年頃バビロン滅亡後,再び独立,やがてまたミタンニ王国に屈した。前 14世紀半ばアッシュール・ウバルリト1世が即位して完全に独立した。しかしその後アラム人の圧迫を受け内紛が絶えず,前 911年にアダド=ニラリ2世がアラム人を駆逐して苦境を脱した。その孫アッシュールナジルパル2世 (在位前 884~859) は帝国の基礎を築き,ティグラト=ピレゼル3世 (在位前 745~727) の登場により駅逓制度や行政・軍制改革および大量の強制移住などで大帝国は完成。前 722年にはサルゴン2世が即位,北イスラエルを属州にし,新都ドゥルシャルルケーン (「サルゴンの城」の意) を建設。その孫エサルハッドンはエジプト第 25王朝の首都メンフィスを陥落させて (前 671) ,エジプトとメソポタミアの二大中心地を統一。その後アッシュールバニパルはテーベをも壊滅させたが,前 625年バビロンの新バビロニア帝国が独立,メディアとともにアッシュールを攻略。前 612年ニネベも陥落し,アッシュール・ウバルリト2世の再起の企てもむなしく,前 609年大帝国は滅亡した。アッシリアの王宮装飾は有名で,雪花石膏 (アラバスター) による人頭有翼の雄牛や,伝説の英雄ギルガメシュの巨像などがある。またアッシュールバニパルがニネベにつくった図書館は,シュメール・アッカド時代以来2000年に及ぶメソポタミアの歴史と文化を物語る貴重な文書多数が集められていた。