フィレンツェ公会議

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フィレンツェ公会議(フィレンツェこうかいぎ)

教皇エウゲニウス4世が 1438年1月1日バーゼル公会議をフェララに移転したことにより始る世界教会会議。公会議首位説に悩む教皇と,オスマン・トルコの圧迫を受けて西方に援助を求めたビザンチン皇帝の利害が一致,東西教会合同を目指した。東方の司教たちも4月から参加した。財政的理由,ペストの流行などのために 39年1月フィレンツェに移転。この間煉獄論,そして東西対立の一論点であったフィリオクェをめぐって討論が重ねられ,7月に合意を得た。公会議は教会統一への努力を続け,ギリシア正教以外の東方の若干の小教派との合同を達成した。会場は 43年にローマに移されたが,45年頃閉会したと推定される。