プロ野球ニュース

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プロ野球ニュース』(プロやきゅうニュース、英称:PROFESSIONAL BASEBALL NEWS)は、かつてフジテレビ系列地上波テレビ局で放送され、後にフジテレビ系CS放送フジテレビONEで放送されている、プロ野球日本プロ野球NPB)を中心としたスポーツの情報を提供するテレビ番組である。

Contents

番組の歴史

地上波時代(第1期)

第1期は、1961年4月1日にニュース番組の1コーナーとして「きょうのプロ野球から」(同年に限り月曜日は「プロ野球週間展望」)のタイトルでスタート。後に『プロ野球ニュース』に改題した。その後、1965年に一旦番組終了となる。

放送時間はスタート当初は23:15 - 23:35だったが、後に23:00 - 23:35→22:55 - 23:10に変わった。また、1964年までは翌7:00 - 7:20に再放送されていた(いずれもペナントレース期間中のみ放送だった)。

1960年にはカラー放送が始まっていたが、まだ、テレビ界で全時間帯におけるカラー化には至っておらず、全体の1割程度だった。そのため、第1期の場合は白黒で放送していた。

当時の番組は、2試合をフィルムに解説を交えたうえで、残りの試合は共同通信社より送られてきた情報を短くまとめて、結果をフリップに書いたものを利用しつつ伝えていた[1]

放送再開までの経緯

『プロ野球ダイジェスト』を放送終了した日本テレビは1965年11月『11PM』の放送を開始。瞬く間に人気番組に駆け上り、23時枠は同局の一人勝ち状態が続いた。これに各局もより報道色の強いワイドショー番組等で対抗するものの、すぐに『11PM』以上のお色気路線に転向したNET(後のテレビ朝日)の『23時ショー』が辛うじての成功例で他は全く歯が立たない状態だった(1969年4月から約3年間、CXはKTV・THKとの3社共同制作〈キー局は曜日ごとの交代分担制〉の芸能ニュースを主軸とした『テレビナイトショー』→『トゥモロー』が放送されていたが、その後打ち切られ、ドラマ再放送や映画などで穴埋めをしていた。またこの間、スポーツニュースはおおむね5分程度のものが主であった)。

しかし『11PM』の視聴率が1975年頃から落ち始め、それに合わせるかのように地方局が相次いで『11PM』のネット放送を打ち切った。その状況にプラスして「万年下位」と言われた広島東洋カープが初優勝、阪急ブレーブスが初の日本一、一方で読売ジャイアンツが球団史上初の最下位からの立ち直りを期して張本勲を補強する等1976年のプロ野球の盛り上がりが開幕前から期待されていた。

それに合わせるかのように1974年にNHKの『ニュースセンター9時』が始まり、NHKのニュース番組で初めてスポーツコーナーが設けられた。プロ野球の結果と途中経過の速報や大相撲の結果を電光掲示板で伝えるなど当時としては画期的だった。また、夏の甲子園リポートも好評を博した。1974年10月14日にはこの日をもって17年間のジャイアンツでの選手生活を終えた長嶋茂雄が、新調した紺のスーツを着てスポーツコーナーに生出演し、当時スポーツコーナーを担当していた福島幸雄のインタビューに応じた。これについては福島自身が長嶋に対して生出演の依頼を行い、それに留まらず、この日のトップ項目にするように粘り強く頼み込み、キャスターの磯村尚徳が「やりましょう」と、「長嶋引退」のニュースをトップに据える決断を下した。この一連の取り組みにより、『ニュースセンター9時』がスポーツ情報の面でも一躍リードする存在となり、その分民放のスポーツニュースが充実していなかったことが、浮き彫りとなった。

また、1970年代当時のプロ野球中継は日本テレビがいわば独占で後楽園球場で行われる巨人戦の試合を放送し、他の放送局では後楽園以外の球場で行われている試合を中継するというのが1つのパターンとなっていた。

そのような状況下で、1975年の秋、フジテレビ社内では「スポーツニュースのワイド化」の構想が練られていた。

当時フジテレビにおけるスポーツ制作の部署は「報道局スポーツ部」となっており、部内の上層部に野球に詳しい人材が多くいたが、その中の一人が、かつて地上波時代(第1期)のプロ野球ニュースのキャスターを務めた鳥居滋夫であった。アナウンサーをしていた頃は初期の競馬中継などスポーツ中継を担当していたが、この時はアナウンサーからスポーツ部の中心的存在となっていた。

社内では「プロ野球ニュース」の立ち上げに関連した会議がいくつか行われ、準備は進んでいた。1975年に編成部から報道局スポーツ部に「あの『プロ野球ニュース』を夜11時台に復活させたいと思うのだが……」と連絡が入り、早速、社内でプロジェクトチームが立ち上がった[2]

また、その際に

  • 全試合(12球団)をまんべんなく扱うこと
  • 通常の野球中継と同様に解説者を必ず付けること
  • 最初に試合結果を明かさない(ネタバレをしない)こと
  • 打球音や歓声など現場の音(いわゆる自然音)を活かすこと
  • 球団担当記者を設けること
  • FNS系列と協力体制を結ぶこと

という番組における明確な方針が決められた。

特に、最大の問題は「キャスター」を誰にするのかであった。いろいろと名前が挙げられたが、平日には野球解説者の佐々木信也に、週末には、かつて文化放送でもごく数年、プロ野球中継実況を担当したことがある土居まさる[注 1] と決まった。特に佐々木の起用は相当な議論の末の決断であり、左記2名のほかに、高島忠夫やスポーツ評論家としても著名だったロイ・ジェームス、さらには裏番組『11PM』から大橋巨泉をヘッドハンティングすることも検討された[3]ほどだった。

1976年2月17日に正式に『プロ野球ニュース』の放送が始まることが発表された[4]。席上で当時の広報副部長は、明言を避けながらも「打倒『11PM』!」と宣言していた[4]

地上波時代(第2期)

この節では、佐々木信也・みのもんた(1980年4月 - 1988年3月)がキャスターを務めた1976年 - 1988年3月を前期、フジテレビアナウンサーが主にキャスターを務めた1988年4月 - 2001年3月を後期に分ける。なお、前期から後期へ移り変わる間には1987年4月 - 9月に『FNNニュース工場』に、同年10月 - 1988年3月まで『FNN DateLine』に、1988年4月 - 1990年3月まで『ニュース最終版』にそれぞれ内包されている。

前期(1976年 - 1988年3月)

そして、10年半のブランクを経て1976年に日本初の本格的スポーツニュースワイド番組『スポーツワイドショー プロ野球ニュース』として再スタートした。放送時間帯は主に23時台の『FNNニュース最終版』(1968年 - 1977年放送)→『FNNニュースレポート23:00』(平日)、『FNNニュースレポート23:30』(週末)(1977年 - 1987年放送)の終了後。ただし、1987年度は『FNNニュース工場』→『FNN DateLine』にインサートする形(一部ネット局ではこの『プロ野球ニュース』のコーナーだけネットした放送局もある)で放送された。なお開始当初は翌朝再放送をした局があるほか、クロスネットや系列外の一部ではその再放送枠を初回放送とした局もある(後述)

スタート当時の『プロ野球ニュース』の制作体制は最高責任者である「編集長」を筆頭に、「現場担当デスク」「局内担当デスク」と「各球団の担当記者」といわばピラミッド状に形成されていた。その他に「ディレクター」「アシスタント・ディレクター」など含めると総勢でおよそ25名の陣容で日々の番組制作に関わっていた。1976年にはスポーツ新聞の形式に倣った各球団ごとの担当記者も新設された。

前述のとおり初代の平日版総合司会は佐々木が務めた。佐々木は高橋大映大毎で4年間プレーした経験を元に足で稼ぐキャスターとして人気を博し、1988年3月の勇退まで12年間総合司会の地位を築いたが、その後、スーパーバイザーとして務めた(なお、理由は不明だが、局側は公式には1976年開始、初代キャスターは佐々木としている。また、佐々木は第1期放映当時はNET(日本教育)テレビ、後のテレビ朝日や日本テレビで解説者として出演していた)。

週末に関しては初代から土居→はらたいら押阪忍みのもんたと1988年までに4人代わっている。中でも、はらは3カ月担当したが、本業の漫画家との兼ね合いや、生放送でアドリブが利かず、特にある日の放送でCMまで40秒で伝えなくてはいけないところ、手元の原稿を25秒で読んでしまい、その後の15秒は自らの言葉でコメントをすることができなかった。結局生放送への出演が難しくなったことから途中降板したとされている。また、みのの語りによる『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』は同番組の看板企画として定着し、ついには不定期ながら独立番組となるまでに至った。ある意味、みのがコメディリリーフ的な役割を持ち、キャスターとしてのブレークのきっかけをつかんだといえる。なお、みのは一時期日曜夕方の『サントリー スポーツ天国』担当のため、金・土にシフトしたこともあった(この間、佐々木は日 - 木担当)。シーズンオフの一時期には月曜もみのが担当したこともあった。

1976年の第1回放送では関西テレビに映像が切り替わるはずが、切り替わらず、佐々木が「今日は寒いから、電波も凍えているのではないでしょうか?」とコメントをする場面があった[5]

この番組では開始当初から2つの画期的な試みが行われた。

  • その日に行われた試合をすべて取り上げ、しかも現場に近い系列局のスタジオ(地方開催時も同様。系列局のない場合は、番販ネット局のスタジオか、近隣県の系列局と当該県のフジテレビの支局の協力を得て試合会場近くに特設の会場を設けて伝える[注 2]、もしくは、スタジオでの生放送もしくは完パケ撮って出しではなく、事前に試合会場で収録して放送するかのいずれかのパターンだった)から、それぞれ解説者とアナウンサーの2人が試合の映像を見ながらコメントを乗せていくスタイルを取った[6]。このスタイルは地上波時代第2期がスタートした1976年から2001年まで続いた。
  • 番組スタート時の解説者は、土橋正幸別所毅彦豊田泰光土井淳近藤和彦と名古屋の試合は河村保彦が、関西の試合は岡本伊三美が、広島の試合は森永勝也が担当した[6]。福岡は最初は専属解説者がおらず、土橋が出張して解説した[6]。しばらくして関根潤三らが解説に加わった[6]
  • 当日のすべての試合を10分程度採りあげた。当時はニュース用に映像を使う場合、3分以内なら無料、3分を超えるとその試合の主管球団に対し料金を支払わなければならないという規則があったが、それを番組側が資金を用意し球団側に支払ったため実現したものである。

この試みは番組における方針(前述)と共にすぐさま視聴者の共感を得て、激励の声がフジテレビには殺到した[7]。当初見込んでいた「巨人びいきのテレビ中継」に不満を抱えていた他球団のファンはもちろん、当時はパ・リーグが脚光を浴びる場面はほぼ皆無だったため、その日行われた全ての試合を解説者付きで細かく見せる放送はパ・リーグの選手が特に喜んだ[6]。また、セ・リーグの各球団のファンも普段のパ・リーグの選手がプレーをする姿に新鮮味を感じていた。なお、番組開始当初の様子について佐々木は後のインタビューで、「(球界関係者は)おそらく98%ぐらい見ていてくれたんじゃないのかな?」と語っている。

番組開始当初はビデオテープが普及しておらず、フィルムで撮影したものを球場から運んで急ぎ現像室で、短時間でフィルムを編集して放送時間に間に合わせる作業は至難の業を極めていた[6]。その中で、スローモーション専用のフィルムカメラを他のスポーツニュースに先駆けて採用したことは注目された。また特に、上記の方針「球場の効果音をフルに生かす」ことにのっとって、ビジュアル要素にもこだわりを見せ、これまでのスポーツニュースでは主要ゲーム・大会のフィルム映像(音声なし)と行進曲の音楽をバックにアナウンサーが試合の戦況を述べるという程度だけだったものを、音声が録音できる磁気トラックフィルムを採用することで、映像と同時に収録できて球場の臨場感をそのまま映像化したことにより視覚的にも楽しめる演出を取り入れた[8]

さらに、番組開始当初は試合のハイライトだけでなく、番組独自の「ヒーローインタビュー」も行われていた。1回3分から3分半で、謝礼は3万円だったが、パ・リーグの選手の中には「謝礼なんて、とんでもない。『プロ野球N』に出させてもらうだけで万々歳です」と受け取るのを断った[6](しかし、翌シーズンにその選手の所属球団から番組に請求書を送り付けた)。佐々木は「巨人あたりから『お前のところも、ギャラを受け取れ!』という指示があったのではないか」と話している[6]。また、王貞治のホームラン世界新記録である756号達成時には、試合後の王と荒川博(当時巨人打撃コーチ)をスタジオに招待し、記録達成の裏話を披露するなど、大記録を達成した選手にはシーズン中でも積極的にゲストとして出演した[9]

しかし、番組が始まって1カ月後の1976年5月1日、当時後楽園球場で主催試合を行っていた読売ジャイアンツ・ロッテ・日本ハムの3球団がフジテレビに対し、放送権料に関する申し入れを行った[2]。これは、この番組を「ワイドニュースを含めた報道番組」とした上で、放映権料基準を要求してきたためである[10]。最終的に1976年5月12日、各球団はマスコミに「ワイドニュースは報道番組である」と認めた[10]

本番組の開始はスポーツ新聞の伝え方にも大きな変化をもたらした。従来のスポーツ新聞は記事の内容のほとんどが試合経過に紙面を割いていたが、前夜に番組で試合経過を伝えるようになってからは、プレーの裏側に焦点を当てた記事が目立つようになり、さらに、これまで試合経過や戦評に割いてきたスペースには選手個人に関する情報を記事にするようになったため、いつしか「スポーツ新聞の女性誌化」と言われるようになってきた。プロ野球の方も第1次長嶋政権初年度に巨人軍が優勝して人気再燃のきっかけを作り、これがきっかけで『11PM』を放送していた一部の放送局が『プロ野球ニュース』に切り替えるようになった(後述)。

その他、女性ファンの開拓にも貢献したとされる[6]。昭和30年代は球場に女性ファンが来ることはなかったが[6]、この番組から女子アナが球場に来るようになり[6]、野球選手と結婚するケースも増えた[6]。女子アナの起用を提案したのも佐々木で、シーズンオフの「選手の家庭訪問」のような企画は女性がやった方がいい、と提案して最初に起用されたのが中井美穂だったという[6]

視聴率の面でも開始直後には5 - 6%台をマークし、時には10%近くに達していた。シェア(占拠率)も、同時間帯でトップを獲得。この影響で、フジテレビは1979年に「報道局スポーツ部」から「スポーツ局」に昇格させた。民放では初の出来事だった。

佐々木がキャスターを務めた時期の特徴として、その日行われたすべての試合をストーリー仕立てにしていくことでフジテレビのスタジオと各系列局の一体感を持たせた。例えば、前の試合が乱打戦だった際には佐々木が系列局のスタジオにいるキャスターと解説者に対して「○○(球場名)はすごい試合でしたが、首位を争う○○(チーム名)はどうだったでしょうか」とコメントを振ってから系列局のスタジオへと切り替えた。さらに、佐々木はその系列局のスタジオにいる解説者の発言にも気を配り、何か使えそうなコメントがあったら、「○○(解説者)さんはこんなことを言っていましたが、これに関する談話が入っています」などと言いながら話を展開していった。また、各系列局のアナウンサーが「固有名詞」や「過去の出来事」を誤って伝えてしまった場合でも、訂正は基本的に佐々木が行っていた。このようなストーリー性のある番組進行はのちの各局スポーツニュースでも多用され、定番化されている。

1977年、この年からフジテレビ独占放送が始まったバレーボールワールドカップ期間中は、プロ野球ニュースのタイトルを外し、ハイライト番組として放送していた。また、同時期に日本テレビ放送網も全く同じ題名の『プロ野球ニュース』と題した番組が放送(時間不明)されていたが、こちらは読売ジャイアンツの主催試合のハイライトが主であり、次の1978年ごろから『巨人戦ハイライト』と改題された[11]

1980年代に入ると「今日のホームラン」と題したその日の公式戦全ホームランを映像リプレーするコーナーが番組の末尾に行われ、プロ野球のみならず多くの野球選手・指導者にも好評で、打撃フォームの確認や向上に役立てられたといわれている[9]。その中でも初期のコーナー・テーマソングであったジェームス・ラスト・バンドの「VIBRATIONS(ヴァイブレイションズ)」は特に人気があった(シングルカットもされている)。またスタジオセットが変わった1987年から、それまで取材したアナウンサー・解説者がその試合について振り返ってメインキャスターに振って、その後その試合についての関連情報を話すという体裁だったのを、試合のビデオが終わりスコアテーブルを表示した後、メインキャスターと取材解説者のその試合についての質疑応答が行われるようになった。

1987年より、毎年6月もしくは7月に放送される長時間特番『FNSの日』が開始。本番組も『プロ野球ニュースSP』として1コーナー扱いで放送され、これは後の『すぽると!』にも引き継がれている。この時は「FNSの日」のパーソナリティーが特別キャスターやゲストとして招かれて、通常とは異なる特別コーナーが設けられたりもした。

シーズンオフにはクイズ大会、選手の旅行企画、バラエティー等の企画コーナーを日替わりで放送し、プロ野球選手の隠れた素顔を披露した。中でも、その選手の故郷を訪ね、名所・旧跡を巡り、居酒屋などにて同級生などと思い出話を語り合う「わが故郷」のコーナーや数十人のファンを招待し球団関係者や野球解説者がワンテーマを設けスタジオで講演を行う「ザ・講演」のコーナーはどちらも佐々木が企画し放送されたものだった。中にはそのまま独立番組として番販できそうなコーナーまであり、有名なところでは古田敦也を中心とした(関西テレビが企画)昭和40年会(昭和40年生まれのプロ野球選手が集まって何らかの行事を行う)があった(1992年より『ボク達同級生!プロ野球昭和40年会VS48年会』として関西テレビの正月特番として放送)。なお、シーズンオフの企画はスタッフ会議にてアイデアを出し合いどのようなコーナーを放送するのか検討する。この企画の体裁は『すぽると!』でも日替わり企画として続いているが、『すぽると!』発足後は野球シーズン中にも曜日別企画を取り入れている。

これ以外では、毎年12月24日の放送にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』との同時中継を行っていた。

当時フジテレビで放送されていた『ドリフ大爆笑』では、本番組のパロディである「お天気ニュース」という天気予報のコントが製作されており、本家と同じ佐々木信也が司会者役でゲスト出演している。

後期(1988年4月 - 2001年3月)

1980年代のいわゆるフジテレビの「80年改革」による成果が出たことにより、1980年以降もこの『プロ野球ニュース』もこの大きな躍進の陰でわずかな存在感を見せていたが[12]、1987年6月25日付で発令されたフジテレビの人事異動により、『オールスター家族対抗歌合戦』のプロデューサーを務めていた浜口哲夫が『プロ野球ニュース』の編集長に就くことになった[13]

早速、『プロ野球ニュース』の改革に乗り出すことになったが、平日のキャスターを務めている佐々木信也を交代させることは容易ではなく、スタッフの間では反対の声が上がった[14]

しかし、当時のチーフディレクターは『ディレクター主義』の番組制作を掲げていたことに加え、佐々木信也のいわゆる『衰え』というのが決め手となって、1987年シーズンオフに佐々木信也の降板が決定、後任キャスター人事を進めることになった[15]

1987年の冬に、須田珠理をとあるゴルフ場にて見つけ、スカウトして、平日のサブキャスターに起用した[16]

さらに、週末のキャスターには浜口の「女性キャスター登用」という方針と、週末のプロ野球ニュースを「新機軸のスポーツエンタテイメント」にしたかった為、当時入社2年目(1987年入社)の中井美穂を起用することを決めた[17]

一番難航したのは平日のメインキャスターで、高島忠夫に加え、週末のキャスターを務めていた土居まさるや押阪忍の復帰案、それに、プロ野球の選手OBなどいろんな名前が浮かんだものの、結局はフジテレビのスポーツアナウンサーから選ぶことになり、その結果、当時32歳の野崎昌一に決まった[18]

こうして、1988年2月26日にフジテレビ内で記者会見が行われ、新キャスターの就任が正式に発表された[19]

なお、1988年4月から『FNN DATE LINE』と合わせた『ニュース最終版』という一つのワイドゾーンを形成するものの、実質的には独立番組に戻り、平日はまずこの番組から、週末は『DATE LINE』の後から放送した。1990年4月からは、全曜日とも『FNN NEWSCOM』終了後からの放送となって完全に独立化。

1993年にはJリーグ開幕と同時に「Jリーグ情報」を始めるなど、この頃から番組自体も内容の変化を迫られることになる。

1993年度は、日曜キャスターに森脇健児、月曜キャスターに森口博子を起用し、日曜は「サンデーバード」と題して『サンダーバード』のテーマをBGMにした独特の演出で放送、月曜はF1担当として古舘伊知郎が出演、また、レポーターとして女性アナウンサーが多数出演するなど、バラエティ色が強化された。また、大阪スタヂアム(大阪球場)のヤジ合戦などといったものも紹介されたことがある。

『LIVE'94』へのインサート

1994年4月、『LIVE'94 ニュースJAPAN』(平日)、『LIVE'94 スポーツWAVE』(週末)のそれぞれ1コーナーとなり、事実上再び深夜のニュース・情報番組のインサートする形式に戻った。しかし、このときは完全にインサート先の番組の1コーナー扱いとなっており、加盟局以外のネットは不可能となった。これに伴い、それまでネットを実施していた高知放送、四国放送、テレビ宮崎はネットから離脱し、丁度同時期にスタートした日本テレビのスポーツ番組『どんまい!!スポーツ&ワイド』ネットに移行した。また、これと同時に『スポーツワイド』の冠がタイトルからはずれ『プロ野球ニュース』にタイトルを戻した。平日版は『ニュースJAPAN』が優先されるためこの時から時間短縮を余儀なくされセ・リーグ(特に巨人戦や阪神戦)では従来の解説と実況付きのスタイルで放送する一方で、重要度の低い試合では試合内容を大まかに伝えるのみという内容になっていった。また緊急時や重大ニュースが入った場合は大幅に放送時間をカットされることもしばしばあった。しかし、ニュース番組にインサートされたことと、ベテランアナウンサーの福井謙二の起用により、1993年度に見られたバラエティ化路線は影を潜め、スポーツ情報をストレートに伝える形式となった。1995年から平日は西山喜久恵が福井の横に座るようになり[20]ダジャレ親父ギャグを連発する福井を西山が絶妙に歯止めをかけ、あうんのキャッチボールで番組にほのぼのとした雰囲気を作り出した[20]。共に広島出身で熱狂的な広島カープファンでもあり、カープの話で脱線もあったが、1999年まで4年間続いたこのコンビの時期が『プロ野球ニュース』の歴史の中でも最も安定感のある放送だったといえる[20]

週末版の再独立。そして地上波での放送終了

1995年に『スポーツWAVE』終了に伴い、週末のみ再々独立。その後日曜放送分は、1997年4月に『Grade-A』放送(このため毎週日曜日の同枠には『新ボキャブラ天国』が放映された)のため一旦終了するも、半年で復活。ストレートニュース形式の平日とは打って変わって、パンチ佐藤長嶋一茂大久保博元などマルチな活躍が目立つ解説者や、木佐彩子中村江里子大橋マキなど人気女性アナウンサーの個性を前面に出した構成で、再びバラエティ色が強まった。

2000年4月から、平日分も『ニュースJAPAN』の1部と2部の間に挟んだサンドイッチ方式の形で実質再々独立し、同年4月 - 12月の間は『プロ野球ニュース2000』のタイトルで放送された(2001年1月以降は元に戻した)[注 3]。しかしこの頃になるとプロ野球人気に陰りが見え始め、プロ野球以外の内容に割く時間の方が多くなり、番組タイトルとの乖離かいりが目立ってくる。

そして、2001年3月で地上波版終了(事実上2度目の放送打ち切り)。第2期時代は25年の歴史に幕を閉じた。その後『感動ファクトリー・すぽると!』に移行する。主な背景としては、プロ野球人気の低迷でメジャーリーグサッカー(欧州、W杯)や格闘技(K-1PRIDE)などにも重点を置くようになったことが挙げられる。

『プロ野球ニュース』の制作スタッフで、後に『すぽると!』のプロデューサーを務めた岡泰二は『感動ファクトリー・すぽると!』への移行について「そのときスタッフの頭の中にあったのは、もうプロ野球だけではスポーツニュースとして視聴者を満足させられないんじゃないかという思いでした。それで、思い切ってプロ野球ニュースという看板をはずしもっといろいろスポーツ情報を均等に扱える土壌を作ったんです。」[21] と当時の様子を話している。

また、週末担当として8年間キャスターを務めたみのもんたは自身が1988年3月に卒業した後の状況について「ちょうどスポーツの多様化とか言われるようになった頃で、『プロ野球ニュース』でもいろんなスポーツを取り上げるようになっていった。番組タイトルと内容が一致しなくなっていった面はあったと思う。だから局のほうも番組を一新したかったんじゃないかな。」とその後の番組内容の変化や、それに伴う『感動ファクトリー・すぽると!』への移行について、後のインタビューで語っている。

また、この他の背景としてはプロ野球以外のスポーツ選手の一部から「プロ野球ニュースという番組名の番組に、なぜプロ野球選手ではない自分が協力しなければならないのか」との理由で、インタビューなどを断られることが増えてきたこと、女性キャスター3人(宇田麻衣子荒瀬詩織、大橋マキ)の退社がほぼ同時に決まるという異例の事態で、大幅なリニューアルを迫られたことも影響したと言われている。

スポンサーの扱い

番組は開始当初から前半のネットセールススポンサー6-8社と、後半のローカルセールスとに分かれており、提供表示されるスポンサーは原則一律で30秒のCMを提供していた(ローカルセールスの一部地域は除く)。ネットセールスとフジテレビのローカルセールスでは1988年3月まで全スポンサーとも読み上げがあったが、4月以後はスポンサーの読み上げは省略され「ごらんのスポンサー」扱いとなった(後の『すぽると!』でも一部の曜日を除きスポンサーの読み上げはされていない)。

特に、資生堂は番組オリジナルのインフォマーシャル生コマーシャルではない)「ナイト・イニング」を送り、宍戸錠出演でコラムと男性化粧品の紹介が行われていた。

CS時代

地上波での放送終了を受け、2001年4月からスカイパーフェクTV!(後のスカパー!プレミアムサービス)、スカイパーフェクTV!2(後のスカパー!)のフジテレビ739(後のフジテレビONE スポーツ・バラエティ)で新生「プロ野球ニュース」が始まった。(2009年以降は題名の後に西暦を付記する〈2011年の場合は『プロ野球ニュース2011』〉[注 4])。

CS移行時に佐々木信也がキャスターに復帰し、佐々木を含め解説者がキャスターを務める形式に変わった。なお曜日別の担当キャスターが不在の際(地上波『すぽると!』などへの出演の都合で出られない時)は、他の解説者が司会を務める(平松政次、谷沢健一、高木豊ら)。また、佐々木信也が週末のキャスターを担当していた時期には、佐々木不在時の代役として福井謙二が出演することがあった。さらにCS移行によって、地方局のアナウンサー・解説者(フジテレビと兼務している者は除く)は出演しなくなった[注 5]

2007年から、一部曜日を除き、司会ペアリングは男性は番組解説者、女性はフジテレビのアナウンサーを原則とするようになった。ただし女性がフリーアナウンサーであったり、男女ともフジテレビのアナウンサーの場合もある。ただし、2011年度の土曜・2012年度の日曜のみ、形式上の司会は関根潤三とアナウンサーのペア(2011年度・田淵裕章、2012年度・松村未央)となっていたが、実際は司会席にはアナウンサーが1人で担当し、関根は「ご意見番」という位置づけで他の解説者と同じコメンタリー席(右端。実際には司会席とコメンタリー席の中間)に陣取っていた。2012年(谷岡慎一)以後、土曜日の司会は原則として男性アナウンサー1人で担当する(まれに解説者1人で担当する日もある。2014年度は他の曜日と同じように男女ペアになることもあった)。2013年以降、関根はレギュラーシーズン中は毎月最終日曜日と開幕直前SPと年末反省会SPに「ご意見番」として出演している。

プロ野球中心のスポーツニュース番組だったフジテレビ時代とは違い、フジテレビ739ではほぼプロ野球専門の番組となった(他にはメジャーリーグの日本人選手の成績を伝える程度)。プロ野球の試合がある日は毎日放送されるが、オフシーズンは原則週1回の放送になる(2008年はオフシーズンの放送を休止)。試合解説のVTRは、権利関係の問題からフジテレビおよび系列局が収録した試合を除いてJ SPORTSをはじめとするCS放送局の映像を使うことが多く、そのため実況時のテロップアナウンスが載ったまま、という問題がある。2009年以降からは実況等が入ったものは減ってきてはいるが、テロップについては相変わらず載ったままになっている場合がある。2010年より試合映像が一部セ・リーグ試合を除きすべてHD化された。解説には主にフジテレビ解説者が登場するが、土橋正幸笘篠賢治などフジテレビ及び系列局専属ではない、またはかつて専属だった経験がある解説者[注 6] も度々登場する。逆に、フジテレビ専属解説者でありながら、江本孟紀は初期に出演していたものの、それ以降は2015年まで出演せず、『すぽると!』で解説を務めるのみとなっていた。地上波時代までは出演していたにもかかわらず、CS放送に移って以降出演しなくなったのは「ギャラが安いから」(本人の弁)というのがその理由である。しかし、2016年4月1日で『すぽると!』が終了となり、2016年シーズン(2016年3月24日放送・開幕直前SP)から本格的に解説に復帰した。また、2014年よりフジテレビ専属解説者となった石井一久も当番組には出演せず、『すぽると!』のみ出演していた。2016年4月以降も後継番組の『スポーツLIFE HERO'S』のコメンテーター(日曜日版)と『ユアタイム』のコメンテーターを務める傍ら、NHK BS1の『ワールドスポーツMLB』の土曜日版コメンテーターに出演するので当番組の出演の可能性はないに等しい。ちなみに、2016年3月時点で当番組及び『すぽると!』の両方に出演していたのは高木豊のみであった。その一方で、地上波時代まで出演していた豊田泰光は、『プロ野球ニュース』の地上波撤退に抗議し、後継番組『すぽると!』出演には応じず、結局フジテレビ解説者を降板する引き金となった(ただし、2002年度までは本数契約という形でまれに出演する場合があった)。

2006年5月12日から2007年シーズンまで、フジテレビ On Demandにおいて有料配信があった(1回分105円、または月1,050円)。2006年シーズンのみは巨人(日本テレビ)・横浜TBS)主催試合の映像に関する部分は両球団からの著作権許諾が開始当初得られなかったので配信されなかった。

2009年4月からのフジテレビCSチャンネルの再編に伴い、放送チャンネルがフジテレビ721の後継である「フジテレビTWO」に移行した。これにより、プロ野球パックのみ契約している場合は「フジテレビONE」での再放送(翌日昼)以外視聴できない状態となった[注 7][注 8]。なおこの状態は、翌2010年度に初回放送がフジテレビONEに変更となったことにより解消された(フジテレビTWOでは翌朝再放送の1回となったが、2011年は再放送していない)。

公式戦最中の放送スタイルとしては原則、MCの他に解説者2名、アナウンサー4名が出演する(アナウンサー4名体制のため、最大2名は2試合担当する)。なお重要な試合(原則としてセ・パ1試合ずつ)は特集コーナー「Zoom Upゲーム」と称して解説付きで伝えられる(特に、勝敗を分けた場面については「解説者の熱視線[注 9] として、そのシーンをノーカットで紹介し、解説者が多角的に分析を行う。オールスター日本シリーズのみならず、レギュラーシーズンやポストシーズンにおいても1試合しか行われない場合はその試合の解説者を2名にすることもまれにある)。オールスターでは解説者3名に増員し、1 - 3回、4 - 6回、7 - 9回で、それぞれ分担。また、日本シリーズでは解説者2名で前半部と後半部の分担。CS番組の特長を活かして、解説者のコメントの比重を高めて地上波の『すぽると!』とは差別化を図っている[注 10]。試合VTRを終えると、その試合についての感想や注目点について出演者全員で質疑応答が行われる。

なお番組の終わりに、翌日(試合がない場合は次の開催日)の試合カードと、CSでの放送スケジュールが発表される[注 11]

試合数が極端に少ない日(1 - 2試合以下)である場合は、ある特定のチーム[注 12] や選手を題材にした特集や、交流戦の全日程終了後には「投手のヒット集」などの企画をすることがあるほか、8月か9月には「モルツ球団」(プロ野球OBによるチーム)のエキシビションゲーム「モルツドリームマッチ」を通常の試合速報フォーマットに沿って特集することもある[注 13]

2012・2013年度は、初回生放送が23:00-24:00、再放送は当日深夜(翌日未明)1:00 - 2:00、翌日6:00 - 7:00、翌日12:10 - 13:10となっている。また、NOTTVでの同時生放送を開始した(再放送は翌日7:00 - 8:00)。なお、公式戦開催がない日(あらかじめ最初から組まれていない場合。主に月曜日と交流戦の第2試合の翌日)は前日(前々日)の放送分をリピートする。なお予備日の復活開催が発生した場合は放送されないか、交流戦の場合前日再放送を休止して当日の生放送か撮って出しとなる場合もある。また、SWALLOWS BASEBALL L!VE(ヤクルト主管試合中継)やEnjoy! Baseball(巨人ビジター試合のうち中日・阪神・広島戦の中継)が極端に延長された場合は初回放送と翌日昼休みの時間帯の放送を一部カットして対応するか、放送休止となる場合がある。

なお、番組内で野球シーズンに流れる「今日のホームラン」のタイトル映像は、地上波時代からものが使用されている。そのため、2009年4月のチャンネルHD化後もこの部分のみ両サイドに黒枠が出ていたが、2011年シーズンからは、「16:9」に編集されている。

また日本シリーズ終了後のシーズンオフからキャンプ・オープン戦にかかる年度下半期は2008年度(この年はオフシーズンの放送なし)を除き、週1回更新(2007年まで土曜日23時、2009年以後は月曜23時の初回放送のみ生放送、以後随時再放送)という体裁をとっている。2007年までのオフシーズンは佐々木信也の司会であったが、2009年以後は司会者はシーズン中の曜日に関係なく毎週ランダムで交代出演する。シーズンオフは現役選手をゲストに迎えるほか、年末の最終放送は3時間にわたるシーズン総集編(解説者総出場による「年末大反省会」)が行われている。そしてシーズンオフバージョン最後となる、新年度シーズン開幕前日にも解説者総出場による3時間のペナントレース展望が行われ、新年度シーズンの帯番組につなげる。

歴代出演者

第1期

キャスター

いずれもフジテレビアナウンサー

解説者

第2期・CS時代

キャスター

第2期キャスター
「プロ野球ニュース」歴代のキャスター一覧
期間 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
1976.4 1977.9 佐々木信也 土居まさる
1977.10 1977.12 はらたいら
1978.1 1980.3 押阪忍
1980.4 1983.9 みのもんた
1983.10 1985.9 佐々木信也 みのもんた 佐々木信也
1985.10 1986.3 佐々木信也 みのもんた
1986.4 1988.3 みのもんた、大島智子
1988.4 1991.3 野崎昌一須田珠理1 中井美穂
大矢明彦平松政次谷沢健一
1991.4 1992.3 野崎昌一、石川小百合1
1992.4 1992.10 中井美穂 田尾安志、石川小百合 中井美穂
1992.11 1993.3 田尾安志、小島奈津子
1993.4 1994.3.31 田尾安志
森口博子3
中井美穂 森脇健児
関根潤三
八木亜希子
1994.4.1 1995.3.31 福井謙二志岐幸子 (『スポーツWAVE』に内包)
1995.4.1 1996.3 福井謙二、久保恵子 パンチ佐藤
中村江里子
田尾安志
陣内貴美子
斎藤英津子
1996.4 1997.3.30 福井謙二
西山喜久恵
福井謙二
平松あゆみ
福井謙二
木佐彩子
西山喜久恵 田尾安志
西山喜久恵
1997.3.31 1997.9.28 福井謙二、西山喜久恵 木佐彩子 放送なし
1997.9.29 1998.3.29 木佐彩子
1998.3.30 1999.3 福井謙二
木佐彩子4
福井謙二
西山喜久恵
長嶋一茂、中村江里子
1999.4 2000.3 木佐彩子 長嶋一茂、荒瀬詩織
2000.4 2001.3.31 三宅正治2
宇田麻衣子
三宅正治
荒瀬詩織
田尾安志、大久保博元
大橋マキ

  • 1 1990・1991年度は上掲以外に進行補佐役のコメンテーターとして、火・水曜は西本幸雄、木・金は関根潤三が担当。
  • 2 三宅は『感動ファクトリー・すぽると!』も続投。
  • 3 森口は同日昼の『笑っていいとも!』を兼務。
  • 4 木佐は火曜日の『笑っていいとも!』テレフォンアナウンサーを兼務。

CS時代キャスター
CS「プロ野球ニュース」歴代のキャスター一覧
期間 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
2001年 佐々木信也1 中川充四郎
2002年
2003年 大矢明彦 平松政次 田尾安志 加藤博一 谷沢健一 佐々木信也1
2004年 谷沢健一 大矢明彦
2005年 高木豊
2006年 (担当者なし)2 谷沢健一
または
斉藤明夫
2007年 平松政次
蒼井里紗
高木豊
信澤美穂
谷沢健一
相川梨絵
加藤博一
蒼井里紗
2008年 佐々木信也 平松政次
宮瀬茉祐子
高木豊
森藤恵美
佐々木信也 梅田淳
2009年3 渡辺和洋
佐々木梨絵
平松政次
斉藤舞子
金村義明
武裕美
谷沢健一
宮瀬茉祐子
渡辺和洋
遠藤玲子
梅田淳
宮瀬茉祐子
高木豊
福田萌
2010年3 渡辺和洋10
宮瀬茉祐子4
斉藤舞子5
金村義明
宮瀬茉祐子
梅田淳
斉藤舞子
高木豊
佐々木麻衣
2011年3 金村義明
石本沙織
谷沢健一
遠藤玲子6
細貝沙羅7
※週替わり
宮瀬茉祐子8
遠藤玲子9
関根潤三11
田淵裕章12
※週替わり 13
斉藤舞子
2012年3 (担当者なし)2 金村義明
遠藤玲子14
香屋ルリコ15
谷沢健一
斉藤舞子
大矢明彦
細貝沙羅
谷岡慎一 関根潤三11
松村未央12
2013年3 金村義明
香屋ルリコ
平松政次
香屋ルリコ
大矢明彦
宮澤智
酒主義久 笘篠賢治
細貝沙羅
2014年3 金村義明
若林理紗
平松政次
細貝沙羅
谷沢健一
遠藤玲子
大矢明彦
堤友香
※週替わり16 笘篠賢治
斉藤舞子17
2015年3 平松政次
松村未央
谷沢健一
堤友香
大矢明彦
山田幸美
梅田淳
または
田中大貴
笘篠賢治
小澤陽子18
2016年3 金村義明
内田嶺衣奈
谷沢健一
松村未央21
大矢明彦
堤友香19
山田幸美19
高木豊
稲村亜美
梅田淳
または
福原直英
平松政次20
久代萌美
2017年3 金村義明
松村未央

堤友香26
大矢明彦
稲村亜美25
谷沢健一
堤友香19
山田幸美19
高木豊
小澤陽子
梅田淳
または
※週変わり22
※週変わり23
鈴木唯24
2018年3 ※週変わり30
衛藤美彩27
高木豊
堤友香
野村弘樹
稲村亜美
※週変わり28
内田嶺衣奈29
小澤陽子29
大久保博元
山田幸美
梅田淳
大村晟
岩本勉
久代萌美31
井上清華 31
杉原千尋 31

  • 1 土曜日のみとなるオフシーズンも担当。
  • 2 交流戦や祝日等、月曜日に試合がある場合は別途定める。
  • 3 2009年以後のシーズンオフ期間は毎週月曜日23:00に初回生放送される。試合解説者とアナウンサーはシーズン中の担当曜日に関係なく週替わり。
  • 4 2011年7月11日まで。
  • 5 2011年7月18日から。
  • 6 2011年7月14日まで。
  • 7 2011年7月21日から。
  • 8 2011年7月15日まで。
  • 9 2011年7月22日から。
  • 10 オンシーズン中のみ。
  • 11 形式上は司会者であるが、コメンタリー席での「ご意見番」(2013年度以後も日曜を基本的に担当するが出演がない週もある)
  • 12 関根が司会を担当する日の司会者席の進行役
  • 13 『すぽると!』がF1中継の影響で20分に短縮された場合は高木が、『すぽると!』が30分フル放送される場合は高木が『すぽると!』優先となるため、主に大矢が担当。
  • 14 出産及び育児休暇のため2012年6月27日まで。
  • 15 2012年7月4日から。
  • 16 主に谷岡、酒主、木村拓也を中心に男性アナウンサー(まれに解説者1人であったり、他の曜日同様解説者+女性アナウンサーのコンビになる時もあった)が交替で担当。
  • 17 報道番組担当の為、2014年9月7日をもって降板。これ以後の女性司会者は主に細貝と堤を中心に交替で担当。
  • 18 2015年7月12日より正式にMCとなる(これ以前は細貝、久代、斉藤(舞)、戸部洋子らが週替わりで担当)。
  • 19 交替で担当だったが、隔週MCだった堤友香が2017年7月18日から火曜日MCになった為、山田幸美が木曜日MCとなる。
  • 20 不在時は笘篠が担当。
  • 21 他曜日キャスターに変更の場合有り。
  • 22 2017年の土曜日はフジテレビアナウンサーが随時交替で担当。
  • 23 2017年の日曜日は平松政次、田尾安志、齊藤明雄、笘篠賢治、池田親興、大久保博元らが交替で担当。
  • 24 鈴木が不在の時は久代萌美が交替で出演。久代は2017年は月曜日も担当。
  • 25 2017年の水曜日担当の稲村亜美が不在の場合は山田幸美が担当。
  • 26 陣内智則と結婚したことに伴い、2017年7月11日をもって降板。それに伴い木曜MCを隔週勤める堤友香が松村に変わり火曜MCとして2017年7月18日から出演。
  • 27 2018年4月30日からメインMCとして衛藤美彩が担当する。
  • 28 2018年の木曜日は平松政次、大矢明彦、谷沢健一が交替で担当。
  • 29 2018年の木曜日は内田と小澤が交替で担当。
  • 30 2018年の月曜日のMCは交流戦代替試合や月曜日開催試合の時、交替で担当。
  • 31 2018年の日曜日のMCは7月1日までは久代が担当してたが、7月8日放送分から井上清華が担当し、7月29日放送分から杉原千尋も担当する。しかし久代も随時井上・杉原と交替で出演する予定。

キャスター変遷に関する補足
  • 佐々木信也(地上波時代)、みのもんたの担当の頃には夏季休暇および体調不良による不在時の代役としてとんねるずが出演していた時期がある。
  • 1990年4月:元巨人高田繁の娘・高田雅代女優愛田夏希、ラジオパーソナリティーの門脇知子らをレポーターとして起用(-1992年)。
  • 1992年4月:明石家さんまがレギュラーで出演(-1993年3月)。
  • 1993年4月:F1担当として月曜に古舘伊知郎、火曜日にはコメンテーターとして森末慎二がレギュラー出演( - 1994年3月、途中から濱田典子・平松あゆみ両アナもコーナー担当として参加)。
  • 1995年:阿部知代奥寺健富永美樹各アナがコーナー担当として参加(1996年まで)。
  • 1997年4月:日曜版のプロ野球ニュースが一旦終了、とんねるず総合司会によるスポーツ情報番組「Grade-A」が日曜22時台で放送開始(-9月、同番組終了後、日曜版の放送を再開)。
  • 1998年:藤村さおり桜井堅一朗両アナがコーナー担当として参加(-2000年)。
  • 2000年4月:月曜にパンチョ伊東(PANCHO)、陣内貴美子がコメンテーター・コーナー担当としてレギュラー出演( - 2001年3月、途中より森昭一郎伊藤利尋竹下陽平西岡孝洋相川梨絵安藤幸代各アナもコーナー担当として参加)。
  • 三宅は「感動ファクトリー・すぽると!」も続投。
  • 2006年 - 2008年、2012年-:月曜日に試合が行われた場合は、他の曜日のキャスターが担当する。交流戦期間中は2連戦一括り(2勤・1休が基本)となるため、試合日によっては月曜以外でも本来の曜日と異なるシフトで司会を担当するメンバーもいる。
  • 2007年まで、オフシーズンの放送は佐々木信也(佐々木不在時は福井謙二らが代役として出演する)が担当した。
  • 2009年4月2日(2009年シーズン開幕前日)まで、佐々木信也は解説者としての出演ではなく、あくまでキャスターとしての出演であったが、2009年シーズンより解説者として当番組に出演することとなった。これに伴い、CS移行当初からプロ野球ニュースの公式ページには、メインキャスターとして佐々木信也の写真が掲載されていたが、2009年のシーズンからトップページの写真は渡辺和洋アナウンサーになった。
  • 司会進行のアナウンサーについては、地上波の番組のキャスターの休演による代役など、やむをえない事情で参加できない場合には別のアナウンサーがキャスターの代行する日もある(土曜日の進行は男性アナウンサー1人のみであるが、その都合がつかない場合には解説者がそれを担当する日もある)。

解説者(第2期・CS時代)

※●印は2018年現在の解説者。 ※出典広報ページ:プロ野球ニュース(フジテレビワンツーネクスト)

フジテレビ
東海テレビ
関西テレビ
テレビ新広島
テレビ西日本
その他

土橋以外は全員、CSに移行した2001年以後の出演。

主な試合結果報告アナウンサー(第2期・CS時代)

※●印は2018年シーズン現在の試合結果報告アナウンサー。

フジテレビ
関西テレビ
東海テレビ
テレビ新広島
テレビ西日本
文化放送(CS時代)
ニッポン放送(CS時代)

CS移行初期の頃はフジテレビアナウンサーの代わりに出ることがあった。

フリーアナ(CS時代)

放送時間・内容

地上波時代

放送時間

第1期はプロ野球シーズン中のみ放送。

「プロ野球ニュース」放送時間の変遷
期間 月・火曜日 水・木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
1961年 23:15 - 23:35(20分)1
1962年 23:15 - 23:35(20分) 23:30 - 23:50
(20分)
23:15 - 23:35
(20分)
1963年 (不明)
1964年 23:15 - 23:40
(25分)
23:15 - 23:35
(20分)
23:15 - 23:40
(25分)
23:30 - 不明 23:15 - 23:40
(25分)
1965年 22:55 - 23:10(15分) 23:30 - 23:45
(15分)
22:55 - 23:10
(15分)
1965.10 1976.3 (放送なし)
1976.4 1977.3 23:10 - 23:40(30分) 24:00 - 24:30(30分)
1977.4 1980.3 23:15 - 23:50(35分) 24:00 - 24:35(35分)
1980.4 1983.3 23:15 - 24:00(45分) 23:40 - 24:25(45分)
1983.4 1987.3 23:15 - 24:10(55分) 23:45 - 24:35(50分)
1987.4 1987.9 23:05 - 23:50(45分)2 23:40 - 24:35(55分)2・3
1987.10 1988.3 23:10 - 23:50(40分)3
1988.4 1989.3 23:00 - 23:45(45分)4 23:45 - 24:45
(60分)4
23:45 - 24:45
(60分)4
1989.4 1990.3 24:15 - 25:15
(60分)4
1990.4 1990.9 23:25 - 24:30(65分) 24:15 - 25:20
(65分)
23:45 - 24:50
(65分)
1990.10 1993.3 23:25 - 24:30(65分) 24:10 - 25:15
(65分)
1993.4 1994.3.31 23:30 - 24:35(65分) 24:15 - 25:20
(65分)
1994.4.1 1995.3.31 23:20頃 - 23:50頃(約30分)5 6 24:05頃 - 24:35頃
(約30分)5 6
(『スポーツWAVE』内で放送)
1995.4.1 1997.3.30 24:15 - 25:15
(60分)
23:45 - 24:45
(60分)
1997.3.31 1997.9.28 放送なし
1997.9.29 1998.9 23:45 - 24:45
(60分)
1998.10 1999.10.03 23:40頃 - 24:10頃
(約30分)5 6
1999.10.04 2000.3 24:10頃 - 24:40頃
(約30分)5 6
2000.4 2001.3.31 23:50 - 24:30
(40分)5
24:10 - 24:50
(40分)5

  • 1 火 - 日曜日は『今日のプロ野球から』、月曜日は『プロ野球週刊展望』として放送。
  • 2 『FNNニュース工場』に内包。
  • 3 『FNN DATE LINE』に内包。
  • 4 1988年4月から『ニュース最終版』(第2期)に内包。
  • 5 『ニュースJAPAN』に内包。
  • 6 重大なニュースが入った場合は『ニュースJAPAN』を優先するため放送時間が短縮する場合あり。

主なネット局

ネット局

●は第1期をネット。
★は『11PM』のネット打ち切りに伴う放送開始。
☆は『EXテレビ』のネット打ち切りに伴う深夜帯放送開始。

「プロ野球ニュース」ネット局(RAB・YBS・KNB・RNC・KRY・JRT・RKC・KBC以外はFNN系列局)
放送局 放送対象地域 放送当時の系列 備考
●フジテレビジョン(CX)
基幹・制作局
関東広域圏 FNS
北海道文化放送(uhb) 北海道
青森放送(RAB) 青森県 NNS/ANN→NNS 1981年6月29日[22]からの一時期のみ
翌日の早朝に放送
岩手めんこいテレビ(mit) 岩手県 FNS 開局日の1991年4月1日から
仙台放送(OX) 宮城県
秋田テレビ(AKT) 秋田県 FNS→FNS/ANN→FNS
山形テレビ(YTS) 山形県 FNS/ANN→FNS 1993年3月のネットチェンジまで[注 18]
後にANN系列
さくらんぼテレビ(SAY) FNS 開局日の1997年4月1日から
福島テレビ(FTV) 福島県 JNN/FNS→FNS
新潟総合テレビ(NST) 新潟県 FNS/ANN→FNS NNS脱退の1981年4月1日から
長野放送(NBS) 長野県 FNS
山梨放送(YBS) 山梨県 NNS 途中打ち切り
テレビ静岡(SUT) 静岡県 FNS
北日本放送(KNB) 富山県 (後のNNS) 1961年5月頃に放送
週1回(金曜 7:00 - 7:25)の放送[23]
富山テレビ(BBT) FNS
石川テレビ(ITC) 石川県
福井テレビ(FTB) 福井県
東海テレビ(THK) 中京広域圏
関西テレビ(KTV) 近畿広域圏
山陰中央テレビ(TSK) 島根県鳥取県
岡山放送(OHK) 岡山県→岡山県・香川県 FNS/ANN→FNS 1979年3月まで岡山県のみで放送
西日本放送(RNC) 香川県 NNS 1979年3月まで時差ネット
テレビ新広島(TSS) 広島県 FNS
山口放送(KRY) 山口県 NNS→NNS/ANN→NNS 1978年4月-1993年9月に時差ネット
四国放送(JRT) 徳島県 NNS 1980年頃から[24]
『ニュースJAPAN』内包に伴い打ち切り
愛媛放送(EBC) 愛媛県 FNS 後のテレビ愛媛
高知放送(RKC) 高知県 NNS 1980年代から
『ニュースJAPAN』内包に伴い打ち切り
高知さんさんテレビ(KSS) FNS 開局日の1997年4月1日から
九州朝日放送(KBC) 福岡県 (後のFNS/ANN) 1964年9月のネットチェンジまで
後にANN系列
テレビ西日本(TNC) FNS 1964年10月のネットチェンジから
サガテレビ(STS) 佐賀県
テレビ長崎(KTN) 長崎県 NNN/FNS→FNS 1982年3月29日から
クロスネット時代は時差ネット
テレビ熊本(TKU) 熊本県 NNN/FNS/ANN→FNS/ANN→FNS 1981年1月5日から
クロスネット時代は時差ネット
テレビ宮崎(UMK) 宮崎県 NNN/FNS/ANN 1981年9月28日から時差ネット
『ニュースJAPAN』内包に伴い平日は打ち切り
(1994年4月から土・日のみ)
鹿児島テレビ(KTS) 鹿児島県 NNS/FNS/ANN→NNS/FNS→FNS 深夜の帯放送開始は
1992年3月30日から
クロスネット時代は時差ネット[注 19]
沖縄テレビ(OTV) 沖縄県 FNS
その他
  • 一時期、冒頭の司会者挨拶のところでのタイトルの字幕の下に「FNN」の文字を入れていた時期がある。
  • 福島テレビは、JNN(TBS系列)とのクロスネット局時代も、JNN排他協定適用番組の『JNNニュースデスク』、『JNNスポーツデスク』をネット受けせず、自社制作の『FTVニュース』と本番組を放送した[25]
  • 山口県では、JNNとのクロスネット局(のちにFNS脱退)であったテレビ山口が『JNNスポーツデスク』→『JNNスポーツチャンネル』をネットしていたため、日本テレビ系列の山口放送番販放送していた。これは、テレビ山口が特番編成でJNN排他協定適用番組が繰り下がった場合に本番組を同時放送することが困難だったことと、山口放送が低俗番組として『11PM』のネットを打ち切ったため後継番組の確保に迫られたためと考えられている。なお、ネット開始当時、遅れネットの時間を調節するための機械(放送中の番組を録画しつつ、数十分遅れで放送させる装置)をこのために開発したという。
  • 大分県では当番組が放送されたことが一度もない。テレビ大分スポーツニュースも日本テレビからネットしていることに加え、開局当初からネットの『11PM』が打ち切れず、遅れネットも深夜番組自体に消極的な地域であるため、最後まで放送が実現しなかったのが理由である。ただし、地域によっては周辺県のFNS系列局など[注 20] を受信できれば見ることができた。そのため、不定期で大分県内(主に新大分球場〈当時。後の「別大興産スタジアム」〉)で公式戦・オープン戦が行われる場合は、テレビ大分からの裏送りで試合速報を放送することがあった。
  • 宮崎県では、1994年3月にテレビ宮崎が平日の放送を打ち切った後も、周辺県のFNS系列局[注 21] を受信できれば見ることができた。この場合でも宮崎県内で試合が行われる、またはキャンプが行われる場合、放送がない曜日は裏送りをした。
  • 1987年度は『FNNニュース工場』→『FNN DATE LINE』のワンコーナー(1988年度・1989年度はコンプレックス枠の『FNNニュース最終版』の中の1番組だったが、実質的に独立)として放送されていた時代、日本テレビ系列の青森放送山梨放送山口放送四国放送高知放送と、クロスネット局で『NNNきょうの出来事』をネットしていたテレビ長崎テレビ宮崎鹿児島テレビ(金曜日・土曜日のみ)は、本番組のパートのみネットしていた。その後1994年4月1日からの『ニュースJAPAN』内包時は、同番組ネット局のテレビ長崎[注 22]鹿児島テレビ、土日のみの放送となるテレビ宮崎を除いてネットは打ち切られた[注 23]

主なシーズンオフ企画

※全て地上波(第2期)時代のものとなっている。
※解説者が担当した企画もあり、後に他局のスポーツ番組のほとんどにもこの形式を採用している。
  • ファン集合
  • プロ野球戦後史
  • カネやん(金田正一)招待席
  • ザ・講演
  • わがふるさと(1976年 - 1989年)
  • アラさんのバッティング談義
  • トヨさんの家庭訪問
  • 異色対談
  • 憧れ対談
  • クイズなるほど!ザ・ベースボール(→クイズまとめてホームラン!)
  • 12球団クイズトーナメント
  • 特別出前表彰式
  • 思い出のベストプレー
  • バットマンズが行く(→バットマン2)
  • THREE CHEARSプロ野球本格的真価論
  • プロ野球アンコールシアター(→プロ野球プレビューシアター)
  • 久美子とめぐみのハッピートーク
  • TALK SHOWER→(金曜TASTY CLUB→中井写真館)
  • フラッシュバックTHIS WEEK
  • ゴルフミックスダブルス
  • 一枚の写真
  • エキサイトライブ・ザ・講演!
  • クイズ・プロ野球ただいま授業中!
  • カモと苦手
  • プロ野球プレビューシアター
  • 博一・直美の 今夜もチャチャチャ(→今夜はピンポン)
  • 博一・兄やんの今夜もイキますイカせます
  • 土井淳のルーキー診断

など

CS時代

2016年現在の放送時間・内容

放送時間
フジテレビONE(スポーツ・バラエティー)
野球シーズン中
  • 初回放送(生放送) 毎日23:00 - 24:00
  • 再放送 毎日25:00 - 26:00、6:00 - 7:00、12:10 - 13:10、16:50 - 17:50(編成の都合上、放送時間が前後したり放送休止になることがある)
    • 月曜日など、プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送、あるいは放送休止となる。
    • なお、フジテレビONEの野球中継(『SWALLOWS BASEBALL L!VE』など)が23時以降も続いた場合もスタジオから放送を始め、中継が終わり次第飛び乗りで放送する(画面上部に「野球中継延長のためプロ野球ニュースを途中からお送りします」との字幕を出す)。このため完全版は再放送で対応するが、初回放送の前枠が『SWALLOWS BASEBALL L!VE』になる場合は午前1時と6時、それに16:50からの再放送になる(翌日12:10からの放送は同番組のノーカット再放送であるため)。
野球シーズンオフ(2015年、2016年シーズン)
  • 日本シリーズ終了後から翌シーズン開幕前まで
  • 初回放送(生放送) 毎週月曜23:00 - 24:00
  • 随時再放送
放送内容
  • 試合詳報・「Zoom Upゲーム」
    その日のプロ野球全試合を解説。そのうちセ・パそれぞれ1試合を、交流戦時は全試合の中から2試合を「Zoom upゲーム」と題した特集コーナーとして、解説者が詳細に解説するが、まれに優勝争いに絡んだ試合を軸としてセ2試合かパ2試合の場合もあったり(その場合一方のリーグはなし)、解説者を1人増員して3試合「Zoom upゲーム」を行う場合がある。まれに当日の試合数が少ない場合にあり、例として2017年9月21日初回放送の回では、パ・リーグからクライマックスシリーズ出場に影響する「西武対ロッテ」と「楽天対オリックス」の2試合を当日のコメンタリーである野村(前者)、池田(後者)が伝えたのち、この日唯一のセ・リーグのカードである「広島対阪神」をMCの谷沢が伝えた。また極端の試合数が少ない日(特にあらかじめ1試合しか組まれていない日や雨天中止により予備日が生じた場合〈セ・パ交流戦の末期、シーズン後期の消化試合他〉)である場合でも1試合につき解説者2名で「Zoom upゲーム」をする場合もある。
    試合の速報映像を終えると、「Zoom up」で取り上げた試合は、その試合結果を伝えた解説者・アナウンサーで試合のポイントを解説し、その後他の解説者、キャスター全員でさらに質疑応答を行う(質疑応答はそれ以外の試合でも映像を終えてからすぐに行う)。
    なお、試合解説には原稿(放送用台本)がなく、結果報告アナウンサーが試合を見ながらスコアブックをつけながらポイントをまとめ、ハイライト映像に合わせて生ナレーションで解説を行う[26]
    2017年6月24日初回放送の「広島対阪神」のように、一度試合開催されつつも試合不成立(雨天ノーゲーム)だった試合を「Zoom UP」として取り上げた場合もある。
  • 今日のファインプレー、Play of the Day
    その日の全試合の中からファインプレーを紹介。さらに厳選したプレーをPlay of the Dayとして紹介するが、まれに1人で複数回もしくはダブルプレーなどで複数人の場合がある。
  • 今日のホームラン
    ジェームス・ラストバンド「バイブレーション」がテーマソング。コーナーオープニングの画面は第2期時代のものをそのまま使用。映し出される球場は、全試合がナイターである場合は横浜スタジアム、デーゲーム開催(薄暮含む)が1試合でも開催時はドームの屋根が敷設される前の西武ライオンズ球場(後の西武ドーム)。2011年度の放送から、「16:9」の画面サイズに編集されたものが流れている。なお、2012年6月20日の放送[注 24] では、通常の「今日のホームラン」に加え、「交流戦 ピッチャーのヒット!」を、2013年9月16日の放送では、東京ヤクルト・バレンティンが前日にアジア新記録となるシーズン57本目(最終的には60本を記録)のホームランを打ったことから、(この時点での)2013年シーズンの全ホームランを「バレンティンのホームラン」として、それぞれこのフォーマットで放送した。
  • 試合数が極端に少ない場合には、余りの時間に企画コーナー(2012年度は後述の日替わりコーナーがあった)を放送するか、番組自体の放送時間帯を削減する場合がある。削減する場合は、今後のフジテレビONEで放送される予定の番組案内に差し替えられる。
  • キャスターコーナー(2012年度)
    • 未来のエースを探せ!(平松)
    ルーキー(若手)の投手を取り上げ、 今後「エース」と呼ばれるチームの代表的な戦力になるであろうルーキーを解説する。いわば注目ルーキー紹介コーナーといえる。
    • 金村の5分(金村)
      金村が最近のプロ野球の話題で気になったことを5分間の制限時間内で話す。
    • 谷沢・舞子のいちおし打ー!(谷沢・斉藤)
      打者にスポットを当てる。谷沢と斉藤がそれぞれ最近の試合のなかで今後注目される打者を1人ずつ挙げて解説。
    • 大矢の配給分析(大矢)
      放送された試合の中から、勝敗を決めたプレーについて、捕手経験者・大矢の視点で分析する。
    • 細貝沙羅のハートフルタイム(細貝)
    金曜日の開催試合が少ない時に放送される。細貝が特に注目する若手選手へ直撃インタビューを試みる。
    • 野球マスターへの道(谷岡)
      毎回ある野球にまつわるテーマにそった薀蓄を紹介して、谷岡や視聴者に野球通になってもらう。
2013年以後は日替わりコーナー的なものは放送されていないが、試合数が少ない日は、臨時でコーナーを設ける場合がある。日替わりコーナーがあったときでも野球に関わる話題(訃報など)で内容を変更した場合、レギュラーコーナーが試合解説と今日のホームランだけしかしない場合もあった。
  • オフシーズンは、主に1週間のプロ野球界をめぐるさまざまな話題・トピックスを紹介しながら、それらについて解説者・MCでの質疑応答を行う他、シーズンオフの選手をゲストに迎えて選手のそのシーズン中の活躍について振り返ったり、過去の名選手が出演した地上波時代のプロ野球ニュースの秘蔵映像を振り返る企画もある。
  • 2013年度はオフシーズンに「プロ野球ニュース2013アーカイブス」と題し、シーズン中のレギュラー放送の中から、特に印象に残った試合・選手らに焦点を当てた特集番組を放送する。
2013アーカイブステーマ一覧
  1. 2000本安打特集(中村紀洋谷繁元信井口資仁
  2. 読売ジャイアンツ特集
  3. 田中将大特集
過去
  • 野球力(「やきゅうぢから」と読む、日曜日 - 金曜日)・サタデーナイトライブ(土曜日)
    毎回男性キャスターを中心にひとつの話題を取り上げて、解説陣の意見を交えながら解説する。「サタデーナイトライブ」のコールは司会の梅田淳のもの(録音)。進行によっては省略される場合もある。
  • サムライ魂
    女性キャスターが、「サムライ魂」を感じた選手やプレーを紹介。以前はコーナーの頭には横にあるCCDカメラに目線を送るのが恒例だった。

過去の放送時間・内容

2008年
  • 放送 毎日23:00 - 23:50
  • 再放送 毎日25:00 - 25:50、6:00 - 6:50、11:00 - 11:50
    • 編成の都合により23時の放送が無く、25時の放送が本編の放送となる場合がある。また、再放送の時間も変更される場合がある。
    • 2008年8月30日の放送は、海外サッカー「ブンデスリーガ 08/09シーズン 第3節」中継があったため、24:40から開始となった。
  • プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送、あるいは放送休止となる(プロ野球の試合があっても、編成の関係で再放送を行わない日もある)。
  • 番組内容は2007年オンシーズンとあまり変わっていないが、番組の最後のコーナーが「延長戦」に変わり、この日担当したキャスターと解説者でフリートークを展開する。
  • 2008年は日本シリーズの最終日(11月9日)をもって終了し、年内はオフシーズンのレギュラー放送を行わない。12月21日に2008年シーズンの総集編を生放送(20:30 - 23:30)し(年末恒例の「今日のホームラン全部見せます」スペシャルについても放送なし)、2009年1月からは月2回の放送となる。
2007年オフシーズン
  • 初回放送 日曜23:00 - 23:50
  • 再放送 月曜6:00 - 6:50、23:00 - 23:50
2007年
  • 初回放送 毎日23:00 - 23:50
  • 再放送 毎日25:00 - 25:50、6:00 - 6:50・11:00 - 11:50
    • プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送あるいは放送休止となる(プロ野球の試合があっても、編成の関係で再放送の行わない日もある)。
番組内容
試合解説
その日行われたプロ野球全試合を伝えるが、このうち2試合(通常1試合ずつ)は「Zoom Up!」ゲームとして解説者とともに詳細に伝える(冒頭、短い音楽に合わせてスタジオ端のカメラが解説者の顔にズームアップしていく場面があるが、ほとんどの解説者がカメラに目線を合わせない中、岩本勉のみカメラ目線でいろいろな表情をするため、その時だけ笑いが起こる時がある)。
メジャーリーグ情報
その日行われた日本人メジャーリーグ選手の情報。
今日のホームラン
おれの一面!(平日)/信也の一面!(週末)
その日行われたプロ野球の中からキャスターが選んだプレーをリプレイする。前年までの「Play of the Day」をリニューアル。
信也の深夜トーク(土曜日のみ)
佐々木信也が日頃考えているテーマを基に、当日出演の解説者達とトーク。オフシーズンはこのコーナーが主流。
Yomoyama USA(日曜日のみ)
メジャーリーグ一週間の総決算。『アメリカ横断ウルトラクイズ』のような帽子を被り、「よもやま」と描かれた縦縞のユニフォームを着たアナウンサーが1人で、ハイテンションで進行する。2006年オフシーズンに放送された「球界よもやま話」をリニューアル。
2006年オフシーズン
  • 初回放送 土曜23:00 - 23:50
  • 再放送 日曜1:00 - 1:50、6:00 - 6:50、11:00 - 11:50、月曜6:00 - 6:50
2006年まで
  • 初回放送 毎日23:00 - 23:50
  • 再放送 毎日25:00 - 25:50、日曜 - 金曜 6:00 - 6:50・15:00 - 15:50
  • 再々放送 土曜6:00 - 11:50 (前週土曜から金曜までの放送分を連続して放送する)
    • プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送あるいは放送休止となる。

様々な変遷

制作の流れ

『プロ野球ニュース』の制作の流れを大まかに示せば、編集会議→試合の取材・撮影→編集→放送順決め→放送本番と、ルーティン化されている。

ただ、前述のようにリニューアルによる内容の変化や放送枠の変更もあるため、多少制作の流れにも変化が伴ってくる。

この節では、番組制作の詳しい流れを記す。

地上波時代(第2期)前期の頃(平日の場合)

打ち合わせ(編集会議)→キャスターが自ら伝える情報の選択

  • 放送前にスタッフが参加して打ち合わせが行われ、番組で取り上げていく項目、つまり、伝えなければならないニュースを中心に選択していく。
  • その他に取り上げるニュースはキャスターの佐々木が21時30分頃にフジテレビに入り、すぐに、その日の野球に関連した情報すべてをチェックし選択。これは佐々木自身が、本番前の最も重要な仕事と位置付けていた。それが終わったら、項目毎にどのように伝えていくかを秒単位で考える。ただ、伝えるのは取り上げる試合と試合の合間で、しかも、時間も限られているため、長くて30秒・短くて15秒とコメントを考えなければならなかった。
  • ちなみに、佐々木はキャスターを務めていた間にストップウォッチを持っていて、時間があれば、取材してきた情報を元に、座っている椅子がキャスター席だと思い時間を計りながら伝える練習をしていた。こうすることで決められた時間内に伝えていく感覚を身に付けたのである。

試合開始→編集作業

  • 試合が始まると、進行状況が各系列局のディレクターや記者からの報告、それに、共同通信社から配信される情報が、それぞれフジテレビに伝えられる。
  • そして、試合の模様を撮影したフィルム(後にVTRに変わる)が運ばれ、同時に取材していた解説者とアナウンサーが球場から車で各系列局に急いで向かう。届いたフィルムはすぐに現像を行い、それが終わるとおよそ4人で編集作業を行うが、手作業で行っていたので、かなりの手間と時間を要していた。それでも、放送時間に間に合わそうと必死だった。なお、系列の関西テレビの場合はかつて「編集の名人」が存在しており、手際よく作業をしていた。

取り上げる順番を決定→放送本番

  • こうして編集作業が完了した全試合の映像をどのような順番で放送していくかをディレクターが決めていく。ただ、キャスターの佐々木は試合によって「スタジオトークを長く」という風にスタッフに対して時間配分についての提案は行っていた。
  • いよいよ本番、それでも、日によっては雨による試合の中断・開始時間の遅れやサヨナラ勝ちなどの劇的な展開で編集が間に合わなくなることが生じる。その場合、放送順の入れ替えを行い、その上で放送中、キャスターは視聴者に対してお詫びを行い、別の試合を先に放送していた。そして、前述したように、佐々木が選んだニュースは取り上げる試合と試合との間に伝えていく。最後に明日の予告編(翌日の試合予定、試合が翌日に全くない時は翌日に放送する内容の簡単な紹介)を行い、本番終了。

週末のキャスターを8年間担当したみのもんたはスタッフとの打ち合わせは行わず、本番に入れば解説者に話を振っていく役割を果たしていた。

CS時代

CS時代になると番組制作の流れが地上波時代と大きく変わる。

準備・試合確認

  • スタッフは放送前日までには試合担当アナウンサーにどの試合を担当させるかを確定させ、それぞれの試合担当アナウンサーに伝える。
  • 試合開始前、試合担当アナウンサーは球場には行かず、フジテレビ入り、スタッフから進行表を渡され、この日伝える試合を確認し、それに関連した資料とスコアブック(記録用紙)を事前に準備。ただし、担当の試合がデーゲームの場合は球場に行く場合がある[注 25]。また試合会場(主に神宮球場東京ドーム)によってはナイターであっても解説者のみ球場に行く場合もある[注 26]
  • 試合が始まったら進行役のアナウンサーに試合担当アナウンサー、解説者、それに試合を担当するディレクターと多い時で合わせて20人が共にモニタールームに置かれた6台のモニターで一斉にそれぞれの試合の模様を確認する。
  • 試合担当アナウンサーは6台のモニターの中でその日担当する試合(時には2つの試合を同時に確認しないといけない)を注視しながら、解説者と共に伝える場合は、スコアを付けながら、目につくプレーがあったら解説者に確認。一方、オフコメ(前振りなし)の場合、自ら試合経過や、試合中での話題などを付けていく。
  • もし、オフコメとして放送を予定されていた試合が好ゲームだった場合は統括ディレクターがその試合をメインカード(Zoom Upで特集する試合)にするという決断を下す。

内容の打ち合わせ

  • 試合が終わると試合担当のディレクターとアナウンサー、それに解説者との打ち合わせを行う。段取りとしては試合担当アナウンサーが記録したスコアブックにマーカーを引き、使う映像を決めていく。試合担当アナウンサーと解説者は話の段取りを固めていくが、時間に余裕がない時にはそのまま本番に臨む。
  • なお、時間がある場合、試合担当アナウンサーは編集された映像に合わせて下読みを行う場合がある。

本番

  • 23時[注 27] に本番が始まる。MC(解説者)と進行アナウンサーが番組全体の進行を行う。試合担当アナウンサーは本番が始まっても、試合が終わっていない場合は、途中まで記録したスコアブックを頼りに伝えていかなければいけない。本番の合間にディレクターから結果を伝えるメモがアナウンサーの元に届けられるが、映像を見ずに、しかし正確に伝えなければならないため、トーンが低くなる。
  • 試合が極端に延長した場合は、編集の都合上、本来放送すべき順番を入れ替えて、その極端に延長した試合は最後に回すことがある[注 28]
  • 最後に「今日のホームラン」のコーナーがある時は、キャスター(しない人もいる)がバッティングフォームの形態模写をする。なお稲村が担当するようになってからは、「神スウィング女子」の異名を持っていることから、キャスター席を離れてステージ中央に立つ。日曜日はこの形態模写を当日のスタジオ出演者全員でやる。それが終わると、上述の翌日(または次回開催日)の予告編(対戦カード・予告先発・CS放送中継予定局)のスーパーを出しながら、その日の振り返りとなる。
  • 本番終了後、試合担当アナウンサーとディレクターで反省会を行う。また、翌日も出演する場合、直接スタッフから試合担当アナウンサーにそれぞれ担当する試合を伝える。

番組テーマ曲(地上波時代)

オープニング曲(第1期・第2期の1976年-1985年使用)
  • ライツアウト(Lights Out March 作曲: Earl.E.McCoy)
オープニング曲(1986年 - 1990年前半使用?)
番組内挿入曲(1976年 - 1986年使用? オープニング・エンディング)
「今日のホームラン」の歴代BGM
以下はイメージソング。

派生番組・商品など

関連番組

地上波時代(第2期)

再放送と「朝のプロ野球ニュース」

それ以前にも早朝の放送開始前後(5 - 6時台)に前日分の再放送(日 - 木分のみ)が実施されていた他、当時多かったクロスネット局や系列外ネット局の一部には早朝の再放送を本放送扱いにしたものがあるが、1986年4月 - 1988年頃?には、同番組の30分ダイジェストバージョンとして、「朝のプロ野球ニュース」(あさのプロやきゅうニュース)(午前6:00 - 6:29、5:45 - 6:30等、フジ、東海テレビ、関西テレビ以外に、北海道文化放送等一部の地方局でも一時期放送されていた。実質上はFNS系でも放送されなかった局が多い)が放送されていた。一時期は最後だけ佐々木が「いってらっしゃ〜い!」というシーンに差し替えられていた。

関西テレビは1980年から、早朝のローカルニュースワイド番組『ザ・モーニング630』の放送を開始したのに伴い、この番組単独での再放送は廃止となったが、左記番組のスポーツコーナーで、当番組で放送された試合の解説をそのまま二次利用していた。

前夜のVTRをそのまま放送するので、スポンサー名を隠すように「スポーツ紙のテレビ版 プロ野球ニュースをお楽しみに!!」という差し替え画面もあった。

朝イチ!プロ野球News

1993年7月1日 - 9月30日の3カ月間にわたって、『FNN おはよう!サンライズ』の前の、平日の朝5:55 - 6:30に放送された。

朝の時間帯で苦戦していたフジテレビが、1993年3月の『モーニングLIVE』終了後に中断していた早朝の情報番組を復活するにあたっての実験的な番組と見られる。『オルトレ・イ・チンクワンタ』の放送開始に伴って終了した。

『プロ野球ニュース』解説者のうち1人と、女性アナウンサー(担当者不明、月曜は八木亜希子が担当)のコンビがキャスターを務め、前夜に録画されたものを放送していた。

プロ野球ニュース19XX

  • フジテレビONEで不定期に放送される他、J SPORTSプロ野球中継が雨で中止となったときの予備番組としても放送される場合があった。
  • 過去に『プロ野球ニュース』で放送したVTRから名場面を放送したり、シーズン終了後にはシーズンを総括する企画も放送される。

CS時代

年末年始の特別企画
  • 年末年始には、フジテレビONEでプロ野球ニュースの特別番組が放送されている。
  • 番組内の企画「Play of the Day」「今日のホームラン」を1年分まとめて放送する番組は毎年放送されている。
  • また両リーグの覇者の日本シリーズまでの全試合のダイジェストをまとめた番組も中断をはさみながらほぼ一日かけて放送される。
  • 2009年のシーズンオフからは、プロ野球ニュースのセット・出演者にゲストを迎えた形で野球界の裏話を語る「プロ野球ここだけの話」が放送されている。
プロ野球ニュースで綴る プロ野球黄金時代

2014年9月より2015年3月までの15回にわたり、フジテレビONEで放送を開始するアーカイブス番組「スポーツ番組黄金伝説」シリーズの一つ。地上波で放送された26年の歴史を中心軸に紐解き、番組のアーカイブとして残されている様様な選手、名勝負、また「プロ野球ニュース」のオフシーズン特集企画などについて、ナビゲーターの福井謙二の解説を交えて振り返る[27]

またエンディングの「今日のホームラン」のコーナーもあり、こちらは過去のプロ野球記録として残るホームランを毎回テーマを決めて特集している(ただし、主として番組が開始された1970年代後半以後のライブラリーに保存されている物をピックアップしているため、全員をフォローできないものが多い)。また、BGMは著作権の都合からオリジナルの「Vibrations」ではなく、別のものに差し替えられている。

同番組はベースボール・マガジン社との共同企画により、同12月より、月刊(毎月2日頃)で発売している「DVDマガジン プロ野球ニュースで綴る プロ野球黄金時代」と連動したもので、同番組で取り上げたテーマのDVDと、そのテーマに関連した「週刊ベースボール特別版」をセットにして出版するメディアミックス企画となっている。なおDVDについては、放送で紹介されなかった貴重な映像を「特典映像」として収録している。

取り上げたテーマ
放送回[注 31] テーマ名 備考 今日のホームラン
1 「ザ・長嶋茂雄 主に現役時代、第2期監督時代(1993年 - 2001年)を特集
(DVD特典)長嶋の大リーグキャンプ取材レポート
長嶋の主要ホームラン集
天覧試合サヨナラホームラン、200号、250号、2000試合出場試合でのサヨナラホームラン、1970年-1974年の5年連続開幕戦ホームラン)
2 「昭和球場物語その1」 旧広島市民球場
川崎球場
明治神宮野球場
(DVD特典)平和台野球場
4打数連続ホームラン
(過去18人が達成しているが、このうちの8人=松原誠ランディ・バースラルフ・ブライアントロッド・アレンDJナイジェル・ウィルソン古田敦也ウラディミール・バレンティン
3 「息詰まるこの一戦」 1991年の名勝負選)
4月・大洋巨人
5月・ヤクルト対巨人
9月・西武近鉄
(DVD特典)4月・巨人対中日開幕戦
プロ初打席・初球打ちホームラン
(過去8人達成しているうちの6人=森厚三ドン・シュルジー福留宏紀森章剛加藤翔平西浦直亨
4 「昭和球場物語その2」 (関西の球場集)
阪神甲子園球場
藤井寺球場
大阪スタヂアム
(DVD特典)阪急西宮球場
代打逆転満塁サヨナラホームラン
(15人達成しているうちの10人=広野功岩下正明柳原隆弘藤田浩雅グレン・デービス広永益隆北川博敏藤井康雄小田嶋正邦長野久義
5 「運命のドラフト会議 1985年清原和博桑田真澄
1989年野茂英雄元木大介
読売ジャイアンツのドラフト1位史
スカウトマンのドラフトへの日々
福井が「運命のドラフト」と推す1978年木田勇の広島ドラフト1位指名拒否
初回先頭打者ランニングホームラン
(過去8人達成しているうちの5人=飯田哲也松井稼頭央坪井智哉宮地克彦荻野貴司
6 日本シリーズ名勝負列伝」 1992年の日本シリーズ「西武対ヤクルト」
日本シリーズ奇跡の逆転優勝(1958年「西鉄対巨人」、1986年「西武対広島」、1989年「巨人対近鉄」)
2001年の日本シリーズ「ヤクルト対近鉄」
(DVD特典)1991年「西武対広島」
連続試合ホームラン
(過去2人、王貞治とランディ・バースが7試合連続を達成しているが、このうちバースのみ取り上げた)
7 「人生を変えたこの一球」 田尾安志(1982年「大洋中日」優勝決定戦での4打席連続敬遠四球)
平松政次(1968年「大洋対巨人」平松の巨人への憧れを断ち切り、「巨人キラー」となるきっかけとなった長嶋茂雄へのホームラン
高木豊(1981年「巨人対大洋」江川卓からの初ホームラン)
水野雄仁(1994年「中日対巨人」優勝決定試合でのリリーフ登板)
村田辰美(1979年「近鉄南海」前期1位〈ステージ優勝〉決定試合 関西テレビ放送製作)
鈴木孝政(1982年「大洋対中日」リリーフ失格の烙印を押され、先発に転向する決意を示した長崎慶一への逆転満塁サヨナラホームラン 東海テレビ放送製作)
(DVD特典)加藤博一(書きかけです)
※上記人物はいずれも『プロ野球ニュース』、並びにFNS/FNN系列プロ野球中継の解説に携わっていた人物(うち、田尾、平松、高木、鈴木は現役解説者である)
プロ初打席と最終打席をホームランで飾った選手
(過去に小野公誠のみが達成)
8 「わが故郷その1」 (巨人軍選手特集〈片岡を除く〉)
松本匡史西宮市
篠塚利夫(和典)銚子市
定岡正二鹿児島市
片岡篤史京都府久美浜町
ドーム球場の認定ホームラン
(過去6人のすべて=ラルフ・ブライアント中村紀洋アレックス・カブレラトニ・ブランコフリオ・ズレータ村田修一
9 「昭和球場物語その3」 (関東の球場集〈ナゴヤ球場を除く〉)
後楽園球場
西武ライオンズ球場
横浜スタジアム
(DVD特典)ナゴヤ球場
2試合連続サヨナラホームラン(過去9人達成しているうちの7人=若松勉長嶋清幸ダグ・デシンセイ門田博光松井稼頭央平田良介バルディリス
10 「20世紀の名場面」 日本シリーズの名場面
歴史を創った名将たち(三原修水原茂鶴岡一人川上哲治西本幸雄野村克也森祇晶他)
運命のあの日(1958年 西鉄奇跡の大逆転優勝、1979年 江夏の21球1985年「阪神対巨人」 バックスクリーン3連発1988年「ロッテ対近鉄」 10・191989年「西武対近鉄」 ラルフ・ブライアント4打席連続ホームラン、1994年「中日対巨人」 10・8決戦1998年「オリックス対ロッテ」 ロッテ18連敗)
エースと呼ばれた男たち(沢村栄治藤本英雄杉下茂別所毅彦金田正一稲尾和久杉浦忠村山実江夏豊山田久志村田兆治他)
華麗なるアーチ(王貞治田淵幸一末次利光〈1976年「巨人対阪神」逆転満塁サヨナラホームラン〉、原辰徳1989年の日本シリーズでの劇的な初ヒット・初ホームラン〉、小早川毅彦〈1987年「広島対巨人」江川卓の引退を決めるホームラン〉、大杉勝男1978年の日本シリーズ 疑惑のホームラン〉、ラルフ・ブライアント〈1990年「日本ハム対近鉄」 東京ドーム天井直撃認定ホームラン〉他)
「プロ野球ニュース」初代キャスター・1999年放送当時の現役監督・選手が選ぶ名勝負(佐々木信也 王貞治の756号、星野仙一 1974年中日20年ぶりリーグ優勝、若松勉 1978年ヤクルトセ・リーグ初優勝、山本浩二 1975年広島セ・リーグ初優勝)
20世紀の名勝負ベスト20
代打満塁ホームラン4回(過去2名達成 町田公二郎藤井康雄
11 珍プレー・好プレー特集その1」 1990年のリーグ戦(前半・後半に分けて放送。ナレーター・みのもんた)
1990年のキャンプ編(ナレーター・福井謙二、青嶋達也
2打席連続満塁ホームラン(過去に二岡智宏のみ達成)
12 「わが野球人生」(司会・豊田泰光 (登場人物 1981年度の活躍選手)
山田久志
村田兆治
小林繁
江川卓
山本浩二
代打逆転満塁「ビデオ判定」ホームラン(過去に福浦和也のみ達成)
13 「わが故郷その2」 (投手特集)
小松辰雄石川県富来町
斎藤明夫京都市
今井雄太郎長岡市
山内孝徳熊本県大矢野町
開幕戦サヨナラ満塁ホームラン(過去2名達成 伊東勤アレックス
14 「珍プレー・好プレー特集その2」 1980年(CXのライブラリーにある珍・好プレー集最古のフィルム。ナレーションなし、説明の字幕のみ)
1983年(ナレーター・みのもんた)
1992年(ナレーター・同上)
3試合連続・初回(1回表/裏)先頭打者ホームラン(過去に松永浩美のみ達成)
15 「ザ・王貞治 背番号物語「1」
主要記念ホームランの特集(ベーブ・ルースと並ぶ714号とそれを抜く715号、ハンク・アーロンを抜いて世界新記録を達成した756号、日本初の国民栄誉賞表彰式、1977年秋の園遊会昭和天皇と会談、800号、生涯最後となった868号=19年連続30ホームラン)
現役引退セレモニー(1980年11月・巨人ファン感謝デー)
柴田錬三郎との対談(1969年収録)
麗しきON時代(2000年放映)
(DVD特典)衣笠祥雄×佐々木信也「鉄人・23年の歩み」(1987年、衣笠が連続試合出場記録の当時の世界新記録・2215試合で引退した直後に収録した対談)
王の主要ホームラン集
(天覧試合ONアベックホームラン、1964年年間新記録55号、200号、300号、500号、600号、700号、1977年開幕戦での満塁ホームラン、755号(世界タイ)、756号(世界新)、1978年開幕戦での満塁ホームラン(2年連続)、800号、850号、868号)

テレビゲームとのタイアップ

かつては、テレビゲームソフト「パワーリーグ」シリーズ(発売元:ハドソン)とタイアップしていたこともある。

スーパーファミコン

スーパーパワーリーグ - 1993年発売
  • 出演
    • 中井美穂
スーパーパワーリーグ4 - 1996年発売
  • 出演(声のみ)
    • 小島奈津子

PC-FX

スーパーパワーリーグFX - 1996年発売
  • 出演
    • 福井謙二
    • 八木亜希子

携帯電話

プロ野球クロニクル - 2012年配信[28]

刊行物

  • プロ野球ニュースおもしろデータ 大矢明彦著 1987年 フジテレビ出版 ISBN 978-4893531407
    野球解説者デビューした大矢が、現役時代の経験を基として、当時の現役選手の意外なクセを記した「大矢メモ」なるものを紹介したもの。
  • プロ野球ニュースのウラ話 プロ野球ニュース製作スタッフ編 1997年 フジテレビ出版 ISBN 978-4594022143
    1996年5月26日から1997年2月21日までニフティサーブフジテレビオンラインプロ野球ニュースで紹介されたものに修正を加え、再構築したもの。
  • プロ野球ニュースイヤーブック・選手名鑑'99 フジテレビ・プロ野球ニュース編 1999年 ザ・マサダ ISBN 978-4915977817
    1999年度のプロ野球選手の名鑑と、当時のプロ野球ニュース解説者・アナウンサーの紹介、プロ野球ニュースの裏側を収録したもの。
  • オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち 長谷川晶一東京ニュース通信社 ISBN 978-4198643737
    日本のスポーツニュース界に大きな革命をもたらした当番組の歴史を、佐々木信也ら当時の番組キャスターやスタッフら約30人に取材し、その舞台裏を交えて描いたノンフィクション作品。

その他

  • 本番組はフジテレビ本社スタジオから放送するが、1996年12月29日放送分は、当時月曜~水曜MCだった西山喜久恵の実家から放送した。

脚注

注釈

  1. 入社当時は本名の「平川巌彦」として出演した。
  2. 1993年 - 1996年の山形県の場合は、山形テレビFNN/FNSを脱退→ANN系列に転向し、空白県となったため、フジテレビ山形支局の技術協力と、アナウンサーや技術スタッフの一部を仙台放送から派遣を受ける形で山形市内のホテルに特設会場を設けて伝えたことがあった。
  3. 編成上では『ニュースJAPAN』に内包されている現状は変わっていなかった。
  4. 2015年7月16日23時(生放送)でのEPGには、フジテレビのプログラムミスにより、『プロ野球ニュース20156』と表示された(再放送のEPGは正しく『…2015』と表示)
  5. 地方局アナウンサーの中には、その後フリーとなってこの番組を改めて担当することになった人物(梅田淳、石原敬士など)もいる。
  6. 後継番組の『すぽると!』では2001年の開始から2010年まではレギュラー解説者はフジテレビ専属解説者のみであったが、2011年よりフジテレビ専属解説者でない、高津臣吾立浪和義野村弘樹仁志敏久の4名が平日のレギュラースタジオ解説者として加入した。この4名は当番組には出演しない。
  7. プロ野球パック視聴者はフジテレビCS放送が視聴できるセット(スカパー!はONE、TWO、NEXTの3チャンネルセット、e2はONE、TWOの2チャンネルセット=オプションでNEXTと3チャンネルまとめて加入し割引になるサービスあり)を購入する必要がある。ただし、フジテレビTWOで放送されるプロ野球ナイター中継(巨人戦ビジターの試合)はプロ野球パック加入者は視聴できる。
  8. この不便さを利用してか、J SPORTS(当時フジテレビも出資していた)にて9月1日より「野球好きニュース」を初回放送の真裏(23:00 - 24:00→22:50 - 23:50 J SPORTS ESPN〈後のJ SPORTS 3〉)に放送。こちらの番組の雰囲気はややカジュアルなスタイルになっている。
  9. このタイトル出し(「解説者」の部分はその試合の解説担当者の苗字)を右上に表示。
  10. 『すぽると!』でも2012年より平日放送では最も注目度の高い1試合については基本的に当日のスタジオ解説者とMC西岡孝洋のペアで当番組のクローズアップゲーム方式で伝える方針となり、当番組の形式により近くなった(あるいは戻った)。また、クローズアップゲーム方式で伝えられる試合において首都圏開催試合では基本的に当日のスタジオ解説者が実際に球場にも足を運び、その試合で最も活躍した選手に試合後のインタビューも行っている。『すぽると!』では当日のスタジオ解説者のレギュラーコーナーで勝負の分かれ目となった局面について徹底解説し、コーナー名が画面右上に表示されることも含め、これが当番組における「熱視線」に相当する。
  11. J SPORTSの同じ趣旨の番組「野球好きニュース」でも同様のことをしているが、こちらはJ SPORTSがBS(スカパー!e2のみ)でも展開しているため、BSの放送スケジュールも発表・網羅している。
  12. 福岡ソフトバンクホークス東京ドーム京セラドーム大阪などで主管試合をしたときには「鷹の祭典スペシャル」と称し、司会・解説者全員がホークスのレプリカユニフォームを着て出場して番組をしたこともあった。
  13. 2014年のものは、オフシーズン版初回・2014年11月17日初回の放送で取り上げた。
  14. 現在高齢のため、近年は不定期出演となっていた。2016年の出演を最後に2017年は出演なし。2018年より公式サイト解説者一覧の掲載からも外れた。
  15. 2013年より当番組の解説者となった。2007年-2009年もフジテレビ・関西テレビ解説者であったが、当番組には出演せず、『すぽると!』のみ出演していた。
  16. MLBの解説を担当。後の『すぽると!』ではこのポジションをAKI猪瀬が担当している。
  17. 後述の通り現在は「プロ野球ニュースで綴る プロ野球黄金時代」を担当。
  18. ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(秋田テレビ・新潟総合テレビ・福島テレビ・仙台放送)を受信できた場合は、ネットチェンジ後も引き続き視聴できた。
  19. 鹿児島テレビ(KTS)は番組開始から1987年3月まで、早朝に前夜放送分のものを時差ネット。1987年4月 - 1990年3月は金曜・土曜の深夜のみネット(金曜日は放送休止の場合あり)。1990年4月 - 1992年3月の2年間のみ放送を休止(但し、1990・1991年の『FNSの日』内包の回はネット)するも、1992年4月改編(同年3月30日)からようやく深夜の帯放送開始が実現した。
  20. テレビ新広島・愛媛放送・テレビ西日本・テレビ熊本・鹿児島テレビ・山口放送(1993年9月まで)
  21. 愛媛放送・テレビ熊本・鹿児島テレビ・高知さんさんテレビ(1997年4月開局)
  22. 1990年秋の改編で『NNNきょうの出来事』から『FNN NEWSCOM』に切り替え。
  23. 鹿児島テレビは同日よりFNN・FNSシングルネット局となったためネット継続。なお青森放送山口放送NNSマストバイ化時に打ち切られていた
  24. この日で2012年度のセ・パ交流戦が終了したため。
  25. 例として、2012年4月28日のロッテ対ソフトバンクは金村義明と石原敬士が担当したが、その試合は「J SPORTS STADIUM」で中継を担当して球場にいた。
  26. 例として、2013年4月17日のヤクルト対中日は大矢明彦が解説を担当したが、『東海ラジオ ガッツナイター』で中継の解説を担当して球場にいた。この試合は5時間を超える延長戦となり、『プロ野球ニュース』自体も試合中継のため飛び乗りとなったが、大矢も東海ラジオの中継終了後フジテレビに移動して途中から番組に出演した。
  27. 現在はCMを放送してからとなるため、23時01分から。
  28. 2015年8月21日の「広島対巨人」のように、まれにだが、生放送に試合が終わらず、翌日の冒頭にその続きの結果を伝える場合もあった。
  29. 1997年3月10日のお台場移転初日まで使用したが、メンバー不祥事で使用中止となった。
  30. 2001年開幕時、最終回以外の放送では「今日のホームラン」のBGMにも使用された。
  31. DVDブック号数は放送回から1を引いた数が号数。ただし第1回はDVDブックでは第0号「週刊ベースボール別冊新年号(2015年)」として発行。

出典

  1. 岩佐徹 (2008年9月27日). “MY BOOK 7”. 岩佐徹のOFF-MIKE. Yahoo! JAPANブログ. . 2017閲覧.
  2. 2.0 2.1 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、22。ISBN 978-4198643737。
  3. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、24。ISBN 978-4198643737。
  4. 4.0 4.1 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、28。ISBN 978-4198643737。
  5. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、33-34。ISBN 978-4198643737。
  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 #野球小僧201012、108-115頁「関根順三×佐々木信也×土橋正幸 ここからすべて始まった」
  7. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、37-38。ISBN 978-4198643737。
  8. 長谷川晶一「フジ『プロ野球ニュース』誕生は野球報道の「革命」だった」、『週刊ポスト』2017年8月11日号、小学館、. 2017閲覧.
  9. 9.0 9.1 フジテレビ社史(引用)
  10. 10.0 10.1 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、39-44。ISBN 978-4198643737。
  11. #野球小僧201012
  12. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、153。ISBN 978-4198643737。
  13. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、156-157。ISBN 978-4198643737。
  14. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、166。ISBN 978-4198643737。
  15. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、168-171。ISBN 978-4198643737。
  16. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、174-178。ISBN 978-4198643737。
  17. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、179-181。ISBN 978-4198643737。
  18. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、183。ISBN 978-4198643737。
  19. 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年、185。ISBN 978-4198643737。
  20. 20.0 20.1 20.2 #野球小僧201012、132-133頁、小松克彦「"女子アナ"がささえたプロ野球ニュース」。
  21. 横山博之 (2009年9月25日). “テレビコ #46 「SPORT」 第1話「これでは視聴者を満足させられないと、“プロ野球”の看板を外しました。”. テレビコ. MEDIACO. . 2017閲覧.
  22. 『青森放送40年表』95頁の年表から。
  23. 北日本新聞 1961年5月25日付朝刊6面テレビ欄より。
  24. 出典:朝日新聞徳島版、1980年7月29日、テレビ欄。
  25. 『福島テレビ30年史』 福島テレビ30年史編集委員会 編、福島テレビ、1993年。
  26. 石原敬士 (2011年9月13日). “一転ロングゲーム”. 石原敬士の声心. フットメディア. 2014年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
  27. 〜プロ野球ニュースで綴る〜 プロ野球黄金時代”. フジテレビジョン. . 2017閲覧.
  28. プロ野球カードゲーム「プロ野球クロニクル」がMobageで配信に 4Gamer.net 2012年7月18日

参考文献

単行本・文庫

  • NHKアナウンサー史編集委員会編 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1991年、337-339頁。 ISBN 9784062032322
  • 佐々木信也 『「本番60秒前」の快感』 ベースボールマガジン社〈ベースボールマガジン社新書〉 2009年。ISBN 978-4-583-10180-4
  • 嶌信彦 『ニュースキャスターたちの24時間』講談社〈講談社+α文庫〉、1999年、98-99頁。 ISBN 9784062563178
  • 長谷川晶一 『オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち』 東京ニュース通信社〈TOKYO NEWS BOOKS〉、2017年。ISBN 978-4198643737。

雑誌

  • 佐々木信也「特集 佐々木信也責任編集・プロ野球ニュース革命〜巨人、ON偏重報道から一線を画し、新たな野球の見方を提示した伝説の番組〜」、『野球小僧』、白夜書房、2010年12月。

関連項目

外部リンク

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