ベンジャミン・ディズレーリ

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初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリBenjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield, KG, PC, FRS1804年12月21日 - 1881年4月19日

イギリスの政治家。イタリア系ユダヤ人の子孫で作家 I.ディズレーリの長男。父親がキリスト教に改宗したため,1817年受洗。ロンドンの法律事務所で事務員をつとめたあと,鉱山株投機,日刊紙刊行事業で失敗し,多大の借金をつくった。 22歳頃から政治評論や小説を書きはじめたが,これといった活動はしなかった。その後,政界進出を志し,4度落選したのち,37年トーリー党の下院議員に当選。トーリー党主流派の保守的体質に抵抗し,党内に青年イギリス党を組織。保護貿易主義の立場に立って46年穀物法の廃止に反対。この頃より,野党指導者としての彼の地位はゆるぎないものとなった。ダービー (伯) の少数派内閣成立に際し,ダービーより蔵相就任の要請を受け,52,58~59,66~68年第1~3次ダービー内閣の蔵相をつとめた。この間 59年選挙法改正法案を提出,その後 67年再提出して成立させた。 68年ダービーの後継者として組閣したが,同年秋の総選挙で自由党に敗れて辞職。

72年以来保守党を完全に掌握し,インド政策を基礎とする帝国の統合強化政策を明らかにし,一方 W.グラッドストンのアイルランド政策を批判。 74~80年第2次組閣。 75年スエズ運河会社の株式 17万 6000株あまりをエジプトから買収し,イギリスの近東政策の重要な足掛りをつくった。 76年ビクトリア女王にインド女帝の称号を加えた。 77年ビーコンズフィールド伯を叙爵,上院に移った。

78年外相ソールズベリー (侯) を伴いベルリン会議に出席,ロシアの近東進出牽制に成功。その功により,ガーター勲章を受章。 80年総選挙に敗北し,辞職。政治生活のかたわら文学,政治評論の著作がある。



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