ペリシテ人

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(ヘブライ語:p'lishtīm>ギリシア語:Philistînoi>ラテン語:Philistīni>英語:Philistines)

フィリスチア人とも呼ばれる。

エーゲ海沿岸に起源を発すると思われる古代南パレスチナの外来民族。彼らの住みついた土地は,のちにフィリスチア (パレスチナ) と呼ばれるようになった。前 12世紀初頭に住みついたが,その前から家族を連れた大移住民の波として,アナトリア,シリア,キプロスを略奪し,第18王朝時代の下エジプトに達していた。ラムセス3世の治世8年目 (前 1190頃) にエジプトに侵入した「海の民」の一分子としてパレサティが出るが,これは旧約聖書のペリシテ人と同定される。彼らは南部パレスチナのヨッパからガザまでの海岸平野で,都市国家を築いた。この範囲外にも,前 12~11世紀の遺跡からペリシテ人独特の出土物が知られる。

イスラエル人がカナン征服を行うにつれて,ペリシテ人はカナン人と手を組んでこれに対抗した。しかしペリシテ軍の傭兵隊長であったダビデが寝返ったため,敗れ去り,独立を失った。その後はユダ王国とほぼ運命をともにした。ペリシテ人の文化は旧約聖書と考古出土物とによって知られる。諸都市は当初,諸侯によって,次には王によって統治された。宗教は東地中海世界に広く行われてきたカナン的儀礼を受継ぎ,独自の言語史料も残さなかった。彼らは鉄の使用という点で,ほかのパレスチナ諸部族に先行し,軍事的優位を保つことができた。しかし次第にアラブ系のイドメア人に同化していった。