ポール・エメット

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ポール・ヒュー・エメット(Paul Hugh Emmett、1900年9月22日 - 1985年4月22日)はアメリカ合衆国化学工学者オレゴン州ポートランド生まれ。オレゴン農業大学(現在のオレゴン州立大学)で学士号を取得後、カリフォルニア工科大学博士号を取得。同じくオレゴン農業大学からカリフォルニア工科大学へ進んだライナス・ポーリングとは親友であった。1976年、ポーリングの妹、ポーリンと結婚した。

1937年ジョンズ・ホプキンス大学化学工学科学科長に就任。1943年に同大学を去り、マンハッタン計画に参加。ウラン238からウラン235の分離技術の開発に関与した。メロン研究所で研修を受けた後、1955年にジョンズ・ホプキンス大学に戻り化学科のW.R.グレース教授職に就任した。また、アメリカ合衆国内外で化学に関する様々な委員会、協議会などに積極的に参加した。主な業績に、BETの吸着等温式の導出、アンモニアと鉄窒化物に関する研究、及びその他の詳細な諸実験などがある。

1971年、エメットはジョンズ・ホプキンス大学を退職。その後、ポートランド州立大学化学科で研究教授に就任し、土壌表面積や石炭空隙率といった新分野の研究、触媒反応に関するセミナーや上級コースの講義を行った。

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