ミズノ

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ファイル:The registered head office of Mizuno.JPG
ミズノ淀屋橋店(旧大阪店)(登記上本店、大阪市中央区

美津濃株式会社ミズノ: Mizuno Corporation)は、大阪府大阪市住之江区南港北に本社を置く、日本の総合スポーツ用品メーカーである。

同社の経営理念は「より良いスポーツ品とスポーツの振興を通じて社会に貢献する。」。コーポレート・メッセージは「THE WORLD OF SPORTS」・「明日は、きっと、できる。」。

概要

創業は1906年(明治39年)4月1日で、長年にわたってスポーツ振興に力を注ぎ、小さなスポーツ大会からオリンピックをはじめとするさまざまな国際大会にいたるまで幅広く協力。世界屈指の総合スポーツ用品メーカーとして、国内外から高い評価を受けている。同じ大阪に本社を置くデサントゼットスポーツSSKザナックスヒットユニオン、神戸に本社を置くアシックスと並ぶ関西のスポーツ用品メーカーの一つ。

1976年4月の『キングズゴルフ』開始から2002年3月の『福山エンジニアリング』放送中での帝人への交代までの26年間、毎週土曜日23時台前半の関西テレビ制作・フジテレビ系列で放送されていた番組のスポンサーを担当していたことでも知られる。

美津濃とは、自身の苗字「水野」ではふさわしくないと考えた創業者水野利八が故郷の旧名(美濃)の間に(実家が木材問屋)を当て、会社に人材が集まり、店が発展したとき、子孫以外の人材に立派な才能を持った人が現れるように願いを込めたものである(こうした経緯から、漢字で「美津濃」と書いてもカタカナ表記では「ミノ」とならずに「ミノ」であり、ローマ字表記でも"Miduno"や"Midzuno"ではなく"Mizuno"となっている)。1987年昭和62年)、社名表記が漢字の「美津濃」からカタカナの「ミズノ」に統一化されている。

あらゆる種目のスポーツ用品・ウェアを手掛けており[注釈 1]、中でも野球に関してはイチロー松井秀喜の二大看板を筆頭にプロ・アドバイザリースタッフが多数存在し、グラブ、スパイク、バット、バッティンググラブなどの多くの野球用品において圧倒的なシェアを保っている。2011年平成23年)シーズンからはプロ野球全球団の 統一仕様球 を供給する事となった。また、軟式野球ソフトボールでは2002年(平成14年)にバット「ビヨンドマックス」を発売。ボールがミートする部分にやわらかい材質がついていて、当たったときにボールがつぶれないようにして飛距離を得ることができると評判になり、大ヒット商品になった。

サッカーでは、アディダスプーマの後塵を拝する形であるが、同社のスパイク、モレリアIIシリーズはJリーグの選手でも愛用者が多い。1993年(平成5年)のJリーグ発足時にはリーグ全チームのリーグ戦用ユニフォームがミズノ製であった[注釈 2]。またリヴァウドが若い頃から愛用していたこともあり、全盛期には彼の足を科学測定したシューズを作りそれを一般販売するなど広告塔としていた。2015年(平成27年)時点では、徳島ヴォルティスヴァンフォーレ甲府愛媛FCの3チームがミズノ製ユニフォームを採用している。

1965年(昭和40年)に、水着では国際的な知名度を有する英国のメーカー、SPEEDO社とライセンス契約を結び、日本における同社ブランド製品の製造・販売のみならず、SPEEDOブランドグループ全体における最先端技術の開発の役割も担ってきた。しかし、2006年(平成18年)、4月1日に創業100周年を迎えたのを機に、『全商品のブランドを“MIZUNO”に統一する』方針を決定。これに基づき、まだ期間が残っていたライセンス契約を2007年(平成19年)5月31日付で打ち切り、以後は自社ブランドの水着を製造・販売することとなった。なお、ライセンス契約については、三井物産に事実上譲渡(三井物産が改めてSPEEDO社と契約)し、契約切れ後直ちに商品展開。三井物産は商品製造をゴールドウインに委託して日本国内での展開を行っている。

2011年1月17日には関西大学との間で、向こう1年間にわたり、教育・研究・文化の振興、人材育成、スポーツ振興、社会貢献などに関わる連携協定が締結された。この協定に基づき、同学の野球部アメリカンフットボール部サッカー部、アイススケート部、アイスホッケー部、陸上競技部の6つの体育会各部に対し、同学体育会の統一名称でもある「カイザー」(ドイツ語で「皇帝」の意)を基調としたデザインのユニフォームが供給されることになった。

戦前にはグライダーを自社にて開発・製造しており、1941年には同社の301型「ソアラー」が当時の滞空日本記録となる滞空時間10時間33分30秒(高度3600m)を記録[1][2]島本真の項も参照のこと)。また軍用グライダーの開発も手がけており、代表的な機体に一式標的機などがある。

沿革

  • 1906年明治39年)4月1日 大阪市北区で水野兄弟商店として洋品雑貨及び運動服の製造販売業を創業。
  • 1923年大正12年)7月19日 美津濃運動用品株式会社を設立。
  • 1942年昭和17年)1月 美津濃株式会社に名称変更
  • 1961年(昭和36年)10月 大阪証券取引所第2部に上場
  • 1962年(昭和37年)12月 東京証券取引所第2部に上場
  • 1970年(昭和45年)9月 財団法人水野スポーツ振興会を設立(現在の名称はミズノスポーツ振興会)
  • 1972年(昭和47年)7月 東証第1部、大証第1部に指定替え。
  • 1977年(昭和52年)2月 財団法人水野国際スポーツ交流財団を設立(現在の名称はミズノ国際スポーツ交流財団)
  • 1981年(昭和56年)9月 ミズノランバード株式会社を設立
  • 1988年(昭和63年)2月 名古屋証券取引所第1部に上場(2003年4月に廃止)
  • 2008年平成20年)2月 時間外労働の賃金を支払っていなかったとして、大阪南労働基準監督署から是正勧告を受けたと発表[3]。その後の調査で、残業代の不払いが18億6,000万円に達することが明らかとなり、水野明人社長ら役員の報酬を減額[4]

商標の変遷

  • 1906年(明治39年)・水野兄弟商会の創業時
    • 紋所の井ゲタの中心に、「日本一になる」という願いを込め「日」の一文字を入れた「イズ日印」を制定した。
  • 1923年(大正12年)・美津濃運動用品の設立時
    • 創業時に制定した「イズ日印」をアレンジし、井ゲタの中心に図案化した「日」の字を入れ、井ゲタの外周を「TRADE MARK MIZUNO CO.,LTD.」のロゴで囲った。
    • また同時期、優勝カップを模った「VICTORYカップ印」も商標として使用していた。当時の広告では「弊社製品は、運道具にカップ印、運動服装にイヅヒ印商標を付して絶対優良を期し、もってその責任を明らかにす」と銘打っていた。
  • 1952年(昭和27年)・英字ロゴ
    • 創業者の水野利八、二代目の水野健次郎のイニシャルを配した「R.K.Mizuno」。
  • 1950年代後半のロゴ
    • 漢字表記による「美津濃」のロゴを採用。のちに「美津濃スポーツ」のロゴも作成された。
    • 1959年(昭和34年)に「VICTORYカップ印」をモデルチェンジ。様々なアイテムに付けられた他、上述の「美津濃」のロゴと併せて店頭ポスターやテレビCM、広告でも幅広く使用された。
  • 1969年(昭和44年)・英字ロゴ
    • ブロック体で図案化した「MIZUNO」。漢字ロゴ・カップ印と共に使用された。
  • 1980年(昭和55年)・CI導入
    • コーポレートアイデンティティを導入。ブルー系の色で統一されたワードマーク「MIZUNO」と、頭文字の「M」から採ったモノグラムの「Mマーク」が制定された。
  • 1983年(昭和58年)・ランバードライン
    • それまで「Mライン」で親しまれていたスポーツシューズのラインマークを一新し、宇宙の惑星軌道をモチーフにスポーツの躍動感や広がりを表現した「ランバードライン」が登場した。
  • 1997年(平成9年)・ミズノランバード
    • 従来のワードマーク「MIZUNO」と「ランバードライン」を組み合わせた「ミズノランバード」を、陸上競技用品とサッカー用品に先行採用。1999年(平成11年)に各カテゴリーに順次拡充して本格採用された。但し野球用品・ゴルフ用品等は引き続き「Mマーク」を使用し、2つのブランドマークが並存していたが、創業100周年を機に開始した「新100年ブランド戦略」の一環として、野球・ゴルフについても2006年秋から2007年春にかけて「ミズノランバード」に統一化された。なお野球用品に関しては2013年以降「MIZUNO」ロゴを廃して「ランバード」のみとすることを発表している[5]

関連会社

連結子会社

  • ミズノテクニクス(岐阜県養老郡養老町)(スポーツ用品販売事業)
  • ミズノインダストリー四国(高知県長岡郡大豊町)(スポーツ用品販売事業)
  • ミズノインダストリー波賀(兵庫県宍粟市)(スポーツ用品販売事業)
  • ミズノインダストリー阿山(三重県伊賀市)(スポーツ用品販売事業)
  • ミズノインダストリー氷上(兵庫県丹波市)(スポーツ用品販売事業)
  • ミズノランバード(兵庫県宍粟市)(スポーツ用品販売事業)
  • MIZUNO USA, INC.(アメリカジョージア州)(スポーツ用品販売事業)
  • MIZUNO CANADA LTD.(カナダオンタリオ州)(スポーツ用品販売事業)
  • MIZUNO (TAIWAN) CORPORATION(台湾台北)(スポーツ用品販売事業)
  • MIZUNO CORPORATION OF HONG KONG LTD.(香港)(スポーツ用品販売事業)
  • SHANGHAI MIZUNO CORPORATION LTD.(中華人民共和国上海)(スポーツ用品販売事業)
  • MIZUNO(CHINA)CORPORATION LTD.(中華人民共和国・上海)(スポーツ用品販売事業)
  • ミズノウエルネス(大阪市中央区)(その他事業)
  • ミズノアベール(大阪市中央区)(その他事業)
  • ミズノアルファーサービス(東京都千代田区)(その他事業)
  • セノー千葉県松戸市)(体操器具製造販売)

保有するクラブチーム

ミズノは自らもクラブチームを有する。その最大の目的は、商品開発に欠かせない各種データを収集することである。陸上競技だけだったが、2007年(平成19年)、水泳用品も自社展開することになり水泳部も発足させた。

MTC(ミズノトラッククラブ)

ミズノ社の正式な陸上部である。

主要所属選手(2017年)
主なOB/OG

チームミズノアスレティック

ミズノがサポートを行っている陸上競技選手の集まりであり、前述のMTCと異なり所属者はミズノ社員ではない。

主要参加メンバー(2016年)
  • 田中透(ハンマー投)
  • 尾又平朗(走高跳)
  • 芝田陽香(短距離障害走)
主なOB/OG

ミズノスイムチーム

2007年(平成19年)6月の水泳用品自社展開開始に合わせて発足したミズノの正式な水泳部。他にも多くの 外部契約選手 を擁する。

主要所属選手
主なOB/OG
  • 寺川綾(発足時唯一の女子部員。但し辞めたのは「競技活動」のみでコーチとして籍を残し社業を含む活動中)
  • 星奈津美(アシスタントコーチとして引き続き籍を残す)
  • 種田恵(2009年4月入社、引退後も暫く社業に携わり退社)

チームサプライ契約

協賛イベント

CM

元々は「キングズゴルフ」から20年以上に渡り、在阪局の関西テレビと非常に強固な関係を持ち、1976年4月から関西テレビ制作でフジテレビ系列の土曜23時台前半で一社提供枠を持っていた。特に『クイズDEデート』や『新・パンチDEデート』、『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずのハンマープライス』といった視聴者参加型番組がこの枠からヒット。特に『ねるとん紅鯨団』と『とんねるずのハンマープライス』、後番組『JAPAN BOYS』の司会をしていたとんねるずは、この枠で11年半にわたって出演するとともに、ミズノのCM[注釈 4] にも出演していたことがある。

とんねるずが司会を降板した1999年春以降も、同枠はスポーツバラエティー番組を制作・放送していたが、『福山エンヂニヤリング』放映中の2002年(平成14年)3月末を最後に、一社提供を帝人に譲ってスポンサーから降板した。2015年現在ではレギュラーとしてのスポンサーは『ダイヤのA』(テレビ東京系列)のみであるが、スポーツ中継などで契約アスリートの出演するCMを流すことがある。

2012年より吸湿発熱素材「ブレスサーモ」のイメージキャラクターに米村でんじろうが起用された。

2012年よりランニングブランド「ミズノランニング」のイメージキャラクターに柴咲コウが起用された。

スポンサー番組

KTV大阪本社制作

KTV東京支社制作

その他(過去も含む)

CM出演者

脚注

注釈

  1. ただし武道では柔道衣のみを扱っている。過去に剣道防具竹刀、剣道衣・袴などを取り扱っていたこともあるが、全日本剣道連盟と意見の相違があったことや、利益がとれなかったこともあり、途中で撤退している。
  2. プレシーズンマッチヤマザキナビスコカップなどでは各チームが契約していたメーカーのユニフォームを使用。
  3. ビジター用はデサント
  4. とんねるずの2人は、ミズノから発売されているスポーツシューズ「ランバード」のCMに出演していた。なお、キャッチフレーズは「俺の顔に免じて、履いてみたらどうだ?」や「悪いことは言わん、買いなさい」といったものがある。

出典

  1. 17.美津濃式301型 - 滑空史保存協会
  2. 歴史 - ミズノ
  3. [1]
  4. [2]
  5. 野球品ロゴに<ランバード>使用 - 公式サイト、2012年6月14日

関連項目

外部リンク