ミナミ

提供: miniwiki
移動先:案内検索

ミナミは、大阪府大阪市中央区浪速区にまたがる繁華街の総称。

概要

島之内道頓堀難波千日前といった地域に広がる繁華街の総称で、これらの地域が大阪市の中心業務地区である船場の南側に位置することや、大半がかつて存在した南区の区域にあたることからミナミと呼ばれている。一般的に道頓堀通を東西基軸、心斎橋筋戎橋以南は戎橋筋)を南北基軸として、北は長堀通、南は南海難波駅、西は西横堀川(現在は埋立。阪神高速1号環状線北行き)、東は堺筋までを指すことが多い。

心斎橋は、船場と島之内を結ぶ橋梁名が由来であることからもわかるように、心斎橋筋に沿って船場側にも及ぶ地域名称であり、一概にミナミとは言えない。また、島之内側の心斎橋筋沿い、即ち心斎橋筋商店街は売買双方にとってステイタスエリアであり、ネームバリューの高い心斎橋をわざわざミナミなどと言い換えることも稀である。ただし、現行町丁名の東心斎橋は例外で、狭義では東心斎橋の歓楽街を指してミナミと呼ぶ程である。

繁華街は、長堀通以北の南船場、西横堀川以西の堀江、堺筋以東の黒門市場および堺筋沿いのでんでんタウンとも隣接しており、最も広範に捉えた場合には西区にもまたがることになる。

以前は客引きが多く、2004年10月時点で客引きが約260人いたが、改正迷惑防止条例が2005年12月1日に施行されてから、数人たらずと一桁台にまで激減した。また2006年2月1日からは、繁華街などに存在する「無料案内所」の派手な看板・写真などを規制する全国初の風俗案内所規制条例が施行されるなど、買い物がよりしやすくなった。しかし、2011年頃から、不況で風俗店などへの客が減少したことなどもあり、再び違法且つ迷惑な客引きが横行するようになり、多数の苦情が寄せられるようになっている[1]

沿革

近世初期、大坂城下の南端だった道頓堀に芝居小屋ができると、対岸の島之内南部には遊里ができ、この遊里がミナミと呼ばれた。その後、城下各所に点在していた遊里は下船場新町遊廓に統合された。しかし、以降も島之内南端の宗右衛門町、道頓堀の九郎衛門町と櫓町、その南東の坂町、同じく南西の難波新地などに続々と遊里ができ、これらは総じて「南地五花街」と称された。

船場と道頓堀に挟まれた島之内は、北部は職人町として船場とともに城下の中枢を担ったが、色町となった南部は船場の商いどころに対して粋どころと呼ばれた。心斎橋筋は新町遊廓と道頓堀を結ぶ道路として発展し、小売店が立ち並ぶようになった。

近代以降、刑場や墓地であった千日前にも繁華街が広がり始め、難波駅や湊町駅(現在のJR難波駅)が開業すると一気に拡大した。

主な地域・商業施設

ミナミの主な通り・筋・商店街路

東西方向 (北から南の順)

  • 長堀通 - 末吉橋通を拡幅した形となるため、厳密には船場の通
  • 鰻谷(うなぎだに)北通 - 鰻谷上之町通とも
  • 鰻谷南通 - 鰻谷中之町通とも
  • 大宝寺(だいほうじ)通 - いちょう通りとも
  • 清水町(しみずまち)筋 - 清水通とも
  • 周防町(すおうまち)筋 - 周防町通、ヨーロッパ通りとも
  • 八幡(はちまん)筋
  • 三津寺(みつでら)筋 - 三ツ寺筋とも表記され、「みってら」と発音されることが多い
  • 新屋敷筋 - 炭屋町筋 - 心斎橋筋間のみ
  • 宗右衛門町通 - 御堂筋以西では久左衛門町通とも
  • 道頓堀
  • 法善寺横丁
  • 千日前通
  • 難波本通
  • なんば南海通

南北方向 (東から西の順)

  • 堺筋 - 島之内では長堀橋筋、日本橋以南では日本橋筋とも
  • 千年町(せんねんちょう)筋
  • 玉屋町(たまやまち)筋 - 相合橋以南では相合橋筋
  • 笠屋町(かさやまち)筋 - 道頓堀通以南でやや西へずれて千日前(商店街)、千日前道具屋筋商店街
  • 畳屋町(たたみやまち)筋
  • 心斎橋筋 - 戎橋以南は戎橋筋、難波駅前以南はなんさん通り
  • 御堂筋 - 国道25号
  • 佐野屋橋(さのやばし)筋
  • 大黒橋筋(だいこくばし)筋 - 大宝寺通以南のみ
  • 炭屋町(すみやまち)筋 - 西横堀筋、単に横堀筋とも

交通機関

ミナミを舞台にした作品

関連項目

脚注

  1. 武内彩 (2012年2月25日). “客引き:大阪・ミナミで横行 半年で苦情1135件”. 毎日jp. 毎日新聞. 2012年2月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012-2-25閲覧.

外部リンク




カテゴリ:大阪市の観光地 カテゴリ:大阪市中央区の地理 カテゴリ:浪速区の地理