ヨハネス・ヴィンクラー

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ヨハネス・ヴィンクラー(Johannes Winkler、1897年5月29日 - 1947年12月27日)はドイツロケットパイオニア。初のドイツロケット協会を設立し、ヨーロッパ初の液体燃料ロケットの打上げを行った[1]

第一次世界大戦中の1915年、彼はドイツ帝国陸軍English版に参加する。数年後戦闘中に負傷し、長期の入院生活を送ることになる。回復後ダンツィヒ技術大学で機械工として学び、ユンカースに就職。

1927年7月5日、彼の仲間と共に宇宙旅行協会(VfR)を設立し、初代会長に就任した[1]。またVfRの出版するジャーナルの編集長も務めた。

1931年3月14日の午後4時45分、彼はデッサウ近郊の広場でHW-I(Hückel-Winkler I, ヒュッケル-ヴンクラーI)を打ち上げた。彼の説明によると、予定では500mの高度まで上昇するはずだったが、途中で方向を変え、ロケットが水平に飛んで発射台から200mの位置に着陸したという。ロケットの最高高度は記録されなかった。このロケットは液体酸素と液体メタンを燃料としていた。

HW-Iの打上げから18ヶ月後の1932年10月6日、彼は招待していたケーニヒスベルク議会の役人を含めた観衆の中、公開実験としてHW-IIの打ち上げを行った。しかし燃料弁の不具合により点火から数秒のうちにロケットは爆発してしまった。

彼は他にも多くのロケットの設計を行い、またユンカースや政府の航空研究施設のためJATO装置の設計も行った。しかし、製図板はどれも現存していない。

脚注

  1. 1.0 1.1 Braun, Wernher von (Estate of); Ordway III, Frederick I [1975] (1985). Space Travel: A History, & David Dooling, Jr., New York: Harper & Row, 64,69. ISBN 0-06-181898-4. 
    NOTE: On February 21, 1931, the HW-I only climbed to 3 metres (Ordway & Sharpe, p18).
    NOTE: On March 13, 1931, Karl Poggensee launched a solid fuel rocket near Berlin to 1,500 ft altitude.
    NOTE: von Braun claims the VfR was founded in early June 1927 (the first issue of Die Rakete was dated "Januar-Juni 1927")