人文主義者

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人文主義者(じんぶんしゅぎしゃ)

 狭義には人文主義(ユマニスム)の立場に立つルネサンス期の文献学者。ただし,16世紀の後半以降,ヨーロッパの各国で国語と国民文化が成立し,人文主義者(ユマニストhumaniste)の国際語であったラテン語の汎用(はんよう)性が消失するにつれ,ユマニスムは各国ごと,あるいは個人ごとの展開の段階を迎える。それに応じてユマニストの意味合いも多岐にわたるようになった。

 本来,ルネサンスのユマニスム自体が,さまざまな方向へ発展する可能性をもった柔軟な文化運動であった。16世紀の後半以降のユマニストは,そのある側面を事情に応じて拡大してみせたといえる。例えばフランスのモンテーニュは,宗教戦争の動乱の中にあって,いわば自己という局限された領域に閉じこもらざるをえなかったのだが,『エセー』において飾りのない自己を素材として人間性一般の真理を追求し,モラリスト文学(人間性の研究)という分野に先鞭(せんべん)をつけた。これは,ユマニスムのもつ,人間への信頼と人間性の尊重という側面を強調して捉えた試みである。  また17世紀のオランダでは,ギリシャ学よりも,より政治色の強いローマ文学が好んで研究の対象となり,ユストゥス・リプシウスやフーゴ・グロティウスらが,市民の政治参加という課題への解答をユマニスムの伝統の中に探求した。これもまた,ユマニスムに,社会生活の中でその能力を自由に開花させる人間,という理念が含まれていたからである。

 ユマニスムの領域は広く,かつ歴史性に富んでいる。18世紀のドイツでは,フマニストHumanistは古典文学の研究家を意味し,また,シラーやゲーテがHumanität(高貴な人間性)という理想を追求しているが,これはルネサンス期のユマニスムの直接的な前身である中世のhumaniores litterae(より人間に関わる学芸),ないしは古代ローマのhumanitas(自由人として持つべき教養・知識)という概念にまでさかのぼる。  さらに近現代に至っても,資本主義の人間疎外の条件を克服するという意味で,コミュニスムがユマニスムの名を冠せられることがあるが,これもユマニスムに,人間性の十全な開花を妨げる諸制度に対する闘い,という側面があるからである。

 以上,ユマニストは,ユマニスムの歴史的展開にそって多くの側面をもちうるけれども,いずれにせよ,人間の能力と人間性の尊厳とに対する信頼に裏打ちされた意味を伴うのであって,単に人道主義を意味する場合の多い日本語の〈ヒューマニスト〉の語感からは遠い点に注意する必要がある。

注釈

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