仁多郡

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島根県仁多郡の位置(緑:奥出雲町 薄黄:後に他郡に編入された区域)

仁多郡(にたぐん)は島根県出雲国)の

人口12,220人、面積368.01km²、人口密度33.2人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 奥出雲町の大部分(八川字三井野を除く)
  • 雲南市の一部(木次町湯村・木次町平田・木次町北原)

該当区域の面積は386.63k㎡、15,005人(2010年国勢調査確定値)。

歴史

古代

律令制の施行により制定されたと考えられる。『出雲国風土記』では、「豊かな土地」という意味の「仁以多地(にたしきち)」と呼ばれたところから名付けられたと言われている。また、「にた」の「丹(に)」がこの地方特有の赤土を意味するとの説もある。郡家は三處郷にあった。

郷里

天平5年(733年2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には4つのの内に12のがあったと記され、以下の郷の記載がある[1]

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

テンプレート:出雲国仁多郡の式内社一覧
神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
凡例を表示

近世以降の沿革

上阿井村、下阿井村、小白村、久月村、高尾村[4]、小馬木村、大谷村、下三成村、馬馳村、中村、八代村、佐白村、上布施村、前布施村、下布施村、矢谷村、広瀬村、湯野原村、里田村、神畑村、上三成村、加食村、石原村、角木村、乙多田村、下三所村、大馬木村、八川村、下横田村、原口村、竹崎村、馬場村、横田村、稲田村、大曲村、角村、大呂村[5]、樋口村、五反田村、下鴨倉村、鞍掛村、原田村、四日市町[6]、河内村、大吉村、乙社村、堅田村、湯村、槻屋村、平田村、尾原村[7]、北原村[8]、石村、上鴨倉村、林原村、上三所村、郡村、琴枕村、簾村、高田村、高柴村、西湯野村、梅木原村、大内原村、久比須村、中湯野村、塩原村、蔵屋村[9]、亀嵩町[10]、三沢町、三成町
  • 明治4年
  • 明治8年(1875年)(3町28村)
    • 下三成村・矢谷村・広瀬村・湯野原村・神畑村・上三成村が合併して三成村となる。
    • 里田村・石原村・角木村・乙多田村・下三所村が合併して三所村となる。
    • 原口村・稲田村が合併して稲原村となる。
    • 下鴨倉村・上鴨倉村が合併して鴨倉村となる。
    • 鞍掛村・原田村・堅田村・林原村が合併して三沢村となる。
    • 西湯野村・梅木原村・久比須村・中湯野村が合併して亀嵩村となる。
    • 小白村・久月村が高尾村に、上布施村・前布施村が佐白村に、下布施村が北原村に、加食村・大曲村・角村が横田村に、馬場村・樋口村・五反田村・蔵屋村が中村に、四日市町・大吉村・乙社村が河内村に、槻屋村が湯村に、尾原村・石村が平田村に、琴枕村が高田村に、簾村・高柴村・大内原村・塩原村が郡村にそれぞれ合併。
  • 明治12年(1879年1月12日 - 郡区町村編制法の島根県での施行により行政区画としての仁多郡が発足。郡役所が三成村に設置。

町村制以降の沿革

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1.布勢村 2.亀嵩村 3.横田村 4.馬木村 5.三沢村 6.三成村 7.鳥上村 8.八川村 9.阿井村 10.温泉村(赤:雲南市 紫:奥出雲町)

変遷表

脚注

  1. 比定地名は2009年現在のもの。郷域の比定は関(2006)を参考にした。
  2. 旧高旧領取調帳」は出雲国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書16 旧高旧領取調帳 中国四国編」(近藤出版社、1978年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  3. 下記のほか両川村、中町村、代山奥村が記載されているが詳細不明。
  4. 上高尾村・向高尾村に分かれて記載。
  5. 記載は福頼村。
  6. 記載は四日市村。
  7. 記載は小原村。
  8. 北原村・尾崎村に分かれて記載。
  9. 「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
  10. 以下3町は無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
  11. 11.0 11.1 同名の村のうち町分。本項では町数に数えない。

参考文献

テンプレート:出雲国の郡