伊勢神宮

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伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)」[注釈 1]。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり[1]、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される[2]神社本庁の本宗(ほんそう)である。

二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ[注釈 2]。古代においては宇佐神宮[3]、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた[4]明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

概要

伊勢神宮には、「太陽」を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる[5]。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている[5]

広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する[6]。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述[7]

伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く[8]、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、式年遷宮が20年に一度行われる(遷御#メディアによる報道)。

祭主今上天皇第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久[9]

祭神

主祭神は以下の2柱。

主祭神以外については、各宮の項目を参照。

神話と創祀

天孫・邇邇芸命が降臨した際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察していた。八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。

崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。

崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。 天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑に祀らせ、その後各地を移動した。

垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。(詳細記事:元伊勢)倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬[注釈 3]に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。

日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である(元伊勢伝承)。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。

なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳(とゆけじんぐうぎしきちょう)』[注釈 4]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。

歴史

概史

古代

皇室氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)[6]天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。

中世

朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された[10]神仏習合の教説において神道側の最高神とされる[11]。また、外宮側の度会家行より伊勢神道度会神道)が唱えられた[11]。戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった[10]。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭した[10]

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伊勢参宮名所図会(1797年)による内宮の正宮。当時は内宮・外宮ともに板垣も外玉垣もなく、参拝客は玉串御門(現在の内玉垣南御門)前まで行けた。

近世

お蔭参り(お伊勢参り)が流行した[6]。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した[10][6]

近代

明治2年(1869年)、明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝した。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的なものはない。大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗とされた。内宮前に「神宮司庁」があり、神職約100人、一般職約500人が奉職している。

佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣農林水産大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)主に1月4日の官公庁仕事始めの日[注釈 5]に参拝するのが慣例行事である。

式年遷宮

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1953年(昭和28年)第59回内宮式年遷宮(上が新殿舎、下が旧殿舎)

神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える[注釈 6]

記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[6]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成25年(2013年)の第62回式年遷宮まで、およそ1300年間行われている[6]

年表

遷宮に関しては「神宮式年遷宮」を参照。西暦の年月日はユリウス暦によるが、「1871年7月1日」はグレゴリオ暦。年と月の西暦との対応はおおよその目安である。

神宮125社

神宮が管理する宮社は125社あり、俗に「神宮125社」と呼ばれる。内訳は内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42。伊勢市だけでなく、度会郡大紀町玉城町度会町志摩市松阪市鳥羽市多気郡多気町の4市2郡に分布する。

  • 正宮(しょうぐう) - 皇大神宮 (内宮)豊受大神宮 (外宮)の2宮。
  • 別宮(べつぐう) - 「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる[12]
  • 摂社(せっしゃ) - 『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある[13]
  • 末社(まっしゃ) - 『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。
  • 所管社(しょかんしゃ) - 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。
正宮 内宮 皇大神宮 三重県伊勢市宇治館町 位置
外宮 豊受大神宮 三重県伊勢市豊川町 位置
別宮 内宮 荒祭宮 (内宮境内) 位置
月讀宮 三重県伊勢市中村町 位置
月讀荒御魂宮 (月讀宮境内)
伊佐奈岐宮 (月讀宮境内)
伊佐奈弥宮 (月讀宮境内)
瀧原宮 三重県度会郡大紀町滝原 位置
瀧原竝宮 (瀧原宮境内)
伊雑宮 三重県志摩市磯部町上之郷 位置
風日祈宮 (内宮境内) 位置
倭姫宮 三重県伊勢市楠部町 位置
外宮 多賀宮 (外宮境内) 位置
土宮 (外宮境内) 位置
月夜見宮 三重県伊勢市宮後 位置
風宮 (外宮境内) 位置
摂社 内宮 朝熊神社 | 朝熊御前神社 | 園相神社 | 鴨神社 | 田乃家神社 | 田乃家御前神社 | 蚊野神社 | 蚊野御前神社 | 湯田神社 | 大土御祖神社 | 国津御祖神社 | 朽羅神社 | 宇治山田神社 | 津長神社 | 堅田神社 | 大水神社 | 江神社 | 神前神社 | 粟皇子神社 | 川原神社 | 久具都比賣神社 | 奈良波良神社 | 棒原神社 | 御船神社 | 坂手国生神社 | 狭田国生神社 | 多岐原神社
外宮 草奈伎神社 | 大間国生神社 | 度会国御神社 | 度会大国玉比賣神社 | 田上大水神社 | 田上大水御前神社 | 志等美神社 | 大河内神社 | 清野井庭神社 | 高河原神社 | 河原神社 | 河原淵神社 | 山末神社 | 宇須乃野神社 | 御食神社 | 小俣神社
末社 内宮 鴨下神社 | 津布良神社 | 葭原神社 | 小社神社 | 許母利神社 | 新川神社 | 石井神社 | 宇治乃奴鬼神社 | 加努弥神社 | 川相神社 | 熊淵神社 | 荒前神社 | 那自賣神社 | 葦立弖神社 | 牟弥乃神社 | 鏡宮神社
外宮 伊我理神社 | 県神社 | 井中神社 | 打懸神社 | 赤崎神社 | 毛理神社 | 大津神社 | 志宝屋神社
所管社 内宮 滝祭神 | 興玉神 | 宮比神 | 屋乃波比伎神 | 御酒殿神 | 御稲御倉 | 由貴御倉 | 四至神 | 神服織機殿神社 | 神服織機殿神社末社八所 | 神麻続機殿神社 | 神麻続機殿神社末社八所 | 御塩殿神社 | 饗土橋姫神社 | 大山祇神社 | 子安神社
外宮 御酒殿神 | 四至神 | 上御井神社 | 下御井神社
瀧原宮 若宮神社 | 長由介神社 | 川島神社
伊雑宮 佐美長神社 | 佐美長御前神社

参道

伊勢街道・伊勢本街道・参宮街道を初めとして、多方面から、参拝道をかねる街道が整備された(「伊勢参宮街道」参照)。

東海道(京・大阪から)の伊勢別街道では、分岐点の関宿に一の鳥居が立つ(位置)。元は内宮前の宇治橋両端に立つ鳥居のうち内側の鳥居で、式年遷宮のときに建て替えられる。

東海道(江戸から)の伊勢国入り口の七里の渡しにも一の鳥居が立っており(位置)、元は宇治橋の外側の鳥居で、こちらも式年遷宮のときに建て替えられる。さらに伊勢街道分岐点の日永の追分には、二の鳥居が立つ(位置)。


御料地

神宮神田

神饌用のは、全て神宮神田で栽培されている。品種は、粳米ではチヨニシキイセヒカリみえのみえキヌヒカリあきたこまちナギホニシホマレ等、餅米では神楽糯あゆみもち等である。天候不順や災害等の被害を最小限に留める為、多くの品種を育て、田植えは時期をずらして行われる。4月には神田下種祭、5月には神田御田植初、9月には抜穂祭がそれぞれ斎行され、豊作が祈願が行われる。所在地は三重県伊勢市楠部町。

神宮御園

神饌用の野菜・果物は、全て神宮御園で栽培されている。品目は50種類程である。供進される野菜や果物は、祭祀によってその品目と数量が定められている他、盛りつける土器の大きさも決められている為、それにあった大きさに育てる様細心の注意を払う必要がある。毎年春分の日には御園祭が斎行され、豊作と作業関係者の安全が祈願される。所在地は三重県伊勢市二見町溝口。

御塩浜

神饌用の御は、荒塩を焼き固めた堅塩が用いられるが、荒塩の原料となる鹹水は、全て御塩浜で採取され、御塩汲入所に運ばれる。採鹹作業は毎年7月下旬から8月上旬の土用頃の時期、約1週間程かけて行われる。所在地は三重県伊勢市二見町西。

御塩汲入所

前述の通り、御塩浜で採取された鹹水は、全て御塩汲入所に運ばれる。運ばれた鹹水は、隣接する御塩焼所荒塩にされる。所在地は三重県伊勢市二見町荘。

御塩汲入所

前述の通り、採取された鹹水は、全て御塩焼所に隣接する御塩汲入所に運ばれる。運ばれた鹹水は、御塩焼所において鉄の平釜で炊き上げられ、荒塩にされる。この作業は交代で火を焚き続けながら、一昼夜かけて行われる。所在地は三重県伊勢市二見町荘。

神宮鰒調整所

神饌用の鰒(アワビ)は、全て神宮鰒調整所乾燥させられたものが用いられる。その由来は、倭姫命が志摩国を巡行した際、国崎の海女おべんが鰒を差し出したことから、御贄処として定められたとされる。毎年6月から8月にかけ、古式ゆかしく身取鰒・玉貫鰒と呼ばれる熨斗鰒に調整されており、その技法は県の無形民俗文化財に指定されている。所在地は三重県鳥羽市国崎町。

神宮干鯛調整所

神饌用の干鯛は、全て神宮干鯛調整所で乾燥させられたものが用いられる。干鯛は、島周辺で水揚げされた内臓を取り除き、塩水につけた後、晴天の日に2日間ほど乾燥させて調整されたもので、御弊鯛とも呼ばれる。所在地は愛知県知多郡南知多町大字篠島

神宮土器調整所

神宮で用いる土器は全て神宮土器調整所で焼かれた土師器が用いられる。神宮では、一度使用した土器は細かく粉砕し土中に埋めることになっている為、年間約6万個の土器が調整される。所在地付近は、高天原から埴土を移したという伝承があり、良質な粘土に恵まれていることから、皇大神宮鎮座当時から土器を調整してきたとされている。所在地は三重県多気郡明和町蓑村。

神服織機殿神社八尋殿

神宮で供進される和妙は、全て神服織機殿神社八尋殿で奉織される。和妙とは、神御衣祭の際、皇大神宮及び荒祭宮に奉献される反物のことを指す。皇大神宮鎮座当初には、五十鈴川のほとりに宇治の機殿を建て、天上の儀式に則りの和妙を奉織していたと伝えられるが、天武天皇の御代に紡績業の盛んな現在地に移されたとされる。現在は、神御衣祭を控えた5月と10月に神職が参向し、奉織が行われる。奉織前の5月1日・10日1日には神御衣奉織始祭が、奉織後の5月13日・10月13日には神御衣奉織鎮謝祭が、それぞれ斎行される。所在地は三重県松阪市大垣内町。

神麻続機殿神社八尋殿

神宮で供進される荒妙は、全て神麻続機殿神社八尋殿で奉織される。荒妙とは、神御衣祭の際、皇大神宮及び荒祭宮に奉献される反物のことを指す。現在は、和妙と同様に、神御衣祭を控えた5月と10月に神職が参向し、奉織が行われる。奉織前の5月1日・10日1日には神御衣奉織始祭が、奉織後の5月13日・10月13日には神御衣奉織鎮謝祭が、それぞれ斎行される。所在地は三重県松阪市井口中町。

文化施設・教育施設

神宮徴古館

神宮農業館

式年遷宮記念神宮美術館

式年遷宮記念せんぐう館

第62回神宮式年遷宮を記念して、外宮宮域内に開館した博物館施設。20年に1度行われる神宮式年遷宮の祭典をはじめ、装束神宝奉製や社殿造営の技術を未来へ継承する為、その製作工程や豊受大神宮正殿の原寸模型などを展示している。

神宮文庫

神宮研修所

神宮研修所は、神社本庁指定の神職養成機関である。高等学校卒業以上25歳未満の男子のみ入学可能であり、全寮制(寮費・食費無料)、入学金・授業料無料、奨学金支給、制服白衣白袴貸与が特徴である。2年間の課程を修了した者には、神社本庁より正階の神職階位が授与される。所在地は三重県伊勢市中村町桜が丘。

神宮五十鈴川幼稚園

神宮五十鈴川幼稚園は、大正4年5月1日宇治山田市(現伊勢市)の青年会第1支会の事業として創立37年を閲した昭和27年7月15日、園主徳井利左衛門を始め市民らの要望により経営を神宮司庁に移管、園名を「神宮五十鈴川幼稚園」に改めた。当園は神宮の公営事業の一環として神宮司庁が運営し、設置者は神宮大宮司、神宮司庁文教部に所属し同部長または次長が園長に就任、平成4年以降は園務長と改称、その指揮下に主任教諭の園長を置いている。毎朝、全員で園内の神殿にて朝拝が行われる他、随時神宮参拝の行われることが特色である。所在地は三重県伊勢市宇治中之切町。

神宮高倉山幼稚園

前身は、昭和24年、私立厚生小学校内に開設された厚生幼稚園である。当初、小学校の教室・講堂等の一部を借用し保育が行われ、同28年には園舎建設のため同小学校PTAと地域住民により厚生幼稚園育成会が結成され、園舎竣工に先立つ昭和29年、育成会に運営が移管された。昭和44年、折からの児童数の激増により運営基盤の確立と施設拡充を図るべく、育成会は、同園を神宮司庁に移管することを決定、同年12月に神宮高倉山幼稚園と改称し設立認可を受け、翌年3月31日を以って厚生幼稚園が廃園、4月1日神宮高倉山幼稚園が開園した。同年4月13日に第1回入園式を挙行。厚生幼稚園からの編入児と新入児合せて192名が入園した。神宮司庁では、既に姉妹園である神宮五十鈴川幼稚園の保育と運営の実績があり、園の運営は開園当初より順調に行われた。当園は神宮司庁の公益事業の一環として運営され、設置者は神宮大宮司、文教部に属し同部長または 次長が園務長に就任し、その指揮下に主任教諭の園長を置いている。現園舎は、厚生中学校の跡地を購入し建設。昭和44年竣工。尚、教育方針の詳細及び行事等に就いては神宮五十鈴川幼稚園と同様である。所在地は三重県伊勢市八日市場町。

関係地

神宮宮域林

神宮が所有している森林を、「神宮宮域林」といい、約5500ヘクタールある。宮域林は三重県伊勢市の南部に位置し、五十鈴川の水源である神路山島路山高倉山の3山からなる。第一回遷宮以来御杣山として遷宮に用いられるヒノキ御用材を産出していたが、鎌倉中期以降資源不足が原因で御杣山は宮域林を離れた。現在では木曽国有林から産出される材で御用材を賄っている。宮域林では、再び御用材を自給することを目標に大正12年に「神宮森林経営計画」を策定し、それに従って造林・育成がなされている。生態的機能・水源涵養を主眼とした針広混交林施業を行っている[14]。毎年約2万本のヒノキを植樹している。

佐八苗圃

神宮の祭事に使用するなどをそだてる「佐八苗圃(そうちびょうほ)」があり、伊勢市内の1.7ヘクタールに約2万のが栽培されている。

祭事

年間祭事

  • 月次祭(つきなみさい)
    • 内宮6月16日22時、6月17日2時
    • 外宮6月15日22時、6月16日2時
    • 内宮12月16日22時、12月17日2時
    • 外宮12月15日22時、12月16日2時
    • 神嘗祭と共に三節祭と呼ばれ、最も重要な祭事の1つとされ、外宮内宮両正宮に続き、別宮、摂社、末社、所管社で25日まで行われる。
  • 風日祈祭(かざひのみさい)
    • 5月14日内宮9時、外宮5時
    • 8月4日内宮9時、外宮5時
  • 御酒殿祭
    • 6月1日内宮御酒殿10時
    • 10月1日内宮御酒殿10時
    • 12月1日内宮御酒殿10時
  • 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
    • 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時
    • 10月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
  • 神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)
    • 5月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
    • 10月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
  • 神御衣祭(かんみそさい)
    • 5月14日内宮12時、荒祭宮(正宮の後)
    • 10月14日内宮12時、荒祭宮(正宮の後)
    • 和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣を奉る。
  • 大祓(おおはらえ)
    • 6月30日:夏越(なごし)大祓
    • 12月31日:年越(としこし)大祓
    • その他大祭の前月末日

毎日の祭事

  • 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)

文化財

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神宮祭主職舎本館(重要文化財、左奥の建物)
ファイル:Jingu-Chokokan 02.JPG
神宮徴古館(登録有形文化財)
ファイル:Jingu-Nogyokan 02.JPG
神宮農業館(登録有形文化財)

国宝

重要文化財(国指定)

  • 紙本著色伊勢新名所絵歌合
  • 神宮古神宝類(明細は後出)
  • 太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
  • 太刀 銘次家
  • 太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
  • 刀 折返銘有国
  • 毛抜形太刀
  • 古事記上巻 1冊 応永三十三年春瑜書写奥書
  • 古事記裏書 1冊 応永三十一年道祥書写奥書
  • 古文尚書 13巻 自正和元年至正和三年清原長隆伝授奥書
  • 神宮法楽和歌 16巻 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
  • 日本書紀私記 応永三十五年髪長吉叟書写奥書
  • 日本書紀私見聞(道祥自筆本、応永三十三年抄出奥書)1冊・日本書紀私見聞(春瑜自筆本)2冊
  • 皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
  • 度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
  • 天養記[15]
  • 神鳳鈔(附:神鳳鈔御巫本)[16]
  • 氏経卿神事記[17]
  • 氏経卿引付 7冊[18]
  • 金銅透彫金具 - 静岡県浜松市浜北区根堅出土
  • 据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)福岡市西区羽根戸出土
  • 角屋家貿易関係資料(明細は後出)
  • 渋川春海天文関係資料(明細は後出)
  • 神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)[19] - 所在:伊勢市宇治浦田

出典:2000年までの国宝・重要文化財指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

国の登録有形文化財

国の選択無形民俗文化財

国の史跡

  • 旧林崎文庫(伊勢市宇治今在家町所在)[24]

おみくじ

伊勢神宮にはおみくじがない[25]。神宮側の見解としては、おみくじは日ごろから参拝できる身近な神社で引くものであることと、「一生に一度」とされたお伊勢参りをした日が大吉でないわけがないことを理由として挙げている[26]。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある[27]

内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじ[25]や「おかげ干支みくじ」[28]が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している[29]

その他

  • 毎年11月に開かれる全日本大学駅伝対校選手権大会熱田神宮西門~伊勢神宮間)では、内宮宇治橋前のロータリーが106.8kmのゴール地点となる[30]
  • 歌手の倉木麻衣が第62回伊勢神宮式年遷宮奉祝「TOKYO FM奉納歌謡公演」にて歌の奉納を行う。場所は伊勢神宮内宮にある参集殿奉納舞台で行われ、女性ポップス歌手として神宮公式奉納は初となる。
  • 三重県最大の観光スポットであり、式年遷宮が行われた2013年には内宮・外宮合わせて14,204,816人(前年比176.9%)が来訪した[31]
  • 伊勢神宮周辺に昭和30年代に民間団体が寄付を募り建て、その後民間団体は解散し保守点検もされず国道、県道、市道を不法占拠している石灯籠全514基を、石灯籠落下による死亡事故を受け、国、県、市で早急に撤去すると発表[32]

所在地

交通

内宮まで

鉄道

自家用車

外宮まで

鉄道

バス

  • 三重交通「外宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
  • 三重交通「伊勢市駅前」バス停下車 (下車後徒歩5分)

自家用車

補足事項

  • 外宮から内宮へは、徒歩で約50分(バス運行あり)
  • 大鳥居より内には犬連れで入れない[34]。内宮の参拝時には、大鳥居の横に位置する警備室の裏にある中型犬の犬舎で、参拝の間犬を預かってもらえる[34]。小型犬の場合はバスケットやケージを持参すれば、その中に入れて預かってくれる[34]

脚注

注釈

  1. 法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。
  2. 神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである。
  3. 垂仁紀に「穴磯邑大市長岡岬に祀った」とある。
  4. 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜内人神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
  5. カレンダーの日割りによっては1月5日又は6日になる場合もある。
  6. 明治時代以降、式年遷宮のときに宇治橋が架け替えられるようになり、昭和24年(1949年)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった。

出典

  1. 伊勢の神宮”. 神社本庁. . 2012閲覧.
  2. 神宮について”. 伊勢神宮. . 2012閲覧.
  3. 宇佐市について”. 宇佐市観光協会. . 2012閲覧. “古代より栄え-、神仏習合の八幡神が誕生し-、内なる伊勢、外なる八幡の二所宗廟として発展-”
  4. 当宮について 歴史と信仰”. 石清水八幡宮. . 2012閲覧.
  5. 5.0 5.1 神道の本
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 日本の神々の事典
  7. 幻想地名事典』55頁。
  8. 井上順孝『神道』
  9. 「伊勢神宮大宮司に小松氏 祖父が元皇族 」日本経済新聞2017/7/3 23:33
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 知識ゼロからの伊勢神宮入門
  11. 11.0 11.1 神仏習合の本
  12. 別宮”. 伊勢市観光協会. . 2012閲覧.
  13. 櫻井勝之進 『伊勢神宮』
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参考文献

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  • 「伊勢神宮」『幻想地名事典』 山北篤監修、桂令夫ほか著、新紀元社Truth In Fantasy事典シリーズ 9〉、2006-09。ISBN 978-4-7753-0451-8。
  • 井上順孝 『神道』 ナツメ社図解雑学〉(原著2006-12-04)、初版。ISBN 978-4-8163-4062-8。アクセス日 2009-05-03
  • 『神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 学研編集部編、学研マーケティング〈NEW SIGHT MOOK ブックス・エソテリカ2〉、1992-02。ISBN 978-4-05-106024-4。
  • 『神仏習合の本 本地垂迹の謎と中世の秘教世界』 学研マーケティング〈NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 45〉、2008-05。ISBN 978-4-05-605154-4。
  • 茂木貞純 『知識ゼロからの伊勢神宮入門』 幻冬舎、2012-01。ISBN 978-4-344-90240-4。
  • 『日本の神々の事典 - 神道祭祀と八百万の神々』 学研編集部編、薗田稔、茂木栄監修、学研マーケティング、1997-07。ISBN 978-4-05-601629-1。

関連書籍

関連項目

外部リンク

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