伊吹山

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伊吹山(いぶきやま、いぶきさん)は、滋賀県米原市岐阜県揖斐郡揖斐川町不破郡関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰(最高峰標高1,377 mである[1]一等三角点が置かれている山頂部は滋賀県米原市に属し[2]滋賀県最高峰の山である。山域は琵琶湖国定公園に指定されている[3]

概要

古くから霊峰とされ、『日本書紀』においてはヤマトタケルが東征の帰途に伊吹山の神を倒そうとして返り討ちにあったとする神話が残されている[4]。『日本書紀』では「五十葺山」あるいは「膽吹山」などのように記され[4]古事記では「伊服阜能山」と記述される[5][6]。かつては修験道においては「大乗峰」と呼ばれていた[1]日本百名山[7]新・花の百名山[8]一等三角点百名山[9]関西百名山[10]、近畿百名山、ぎふ百山[11]の一つに選定されている。

「伊吹山」の読み方について、国土地理院の登録された山名をはじめ、地図や道路標識などの振り仮名は「いぶきやま」となっており、伊吹山の山麓地域では「いぶきやま」と呼ばれる。一方、「いぶきさん」という呼び方も存在し[12]、滋賀県の伊吹町では「いぶきやま」、美濃尾張方面では「いぶきさん」とする名鑑がある[13]ほか、滋賀県内の伊吹山に近い地域では「いぶきやま」、遠い地域になるほど「いぶきさん」と呼ぶ傾向があるとも言われており[14]、岐阜県でも同様の傾向がある。滋賀県、岐阜県、愛知県三重県の多くの学校の校歌で「伊吹山」に関する語句が歌われている[15][注釈 1][16]

人間史

ファイル:Ibukisanji on top of Mount Ibuki s3.JPG
山頂の伊吹山寺山頂本堂、その左に伊吹山之神「白猪」の像

古くから神が宿る山として信仰の対象であった。室町時代後期には織田信長により、山上に野草園が造られたとされている[7]明治以降に近代登山の対象となった[17]大正には中山再次郎により、関西におけるスキーの山として注目されるようになった[17]1964年昭和39年)に深田久弥により日本百名山に選定されると、百名山ブームもあり全国的に登山対象の山として知名度も高まった[17]1965年(昭和40年)に伊吹山ドライブウェイが開通すると、9合目まで容易に上がれるようになり山頂部は観光地化した。

伊吹神の信仰

伊吹2神の神階
伊夫伎神社
(近江国坂田郡)
伊富岐神社
(美濃国不破郡)
850年 従五位下
852年 官社指定
859年 従五位下
→従五位上
865年 従五位下
→従四位下
877年 正四位下
→従三位
従四位下
→従四位上
神名帳
一宮制 美濃国二宮

伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」、『日本書紀』では「大蛇」とされていた[18]。『古事記』にはヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉(米原市醒ヶ井平成の名水百選の1つに選定されている「居醒の清水」[19])で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている[20][21]。山頂部にはその日本武尊の石像と[22]、伊吹山の神の白猪の像が設置されている。表登山道の三合目西側の「高屋」と呼ばれる場所はヤマトタケルが山の神に出会った場所とされていて、大正時代に石の祠が建立されその中に木造の日本武尊が祀られた[23]

また文献によれば、古代には近江国美濃国の両国で伊吹神が祀られたことが知られる[24]国史では両神に対する神階奉叙の記事が散見され、中央にも知られる神であった[24]。両神は、『延喜式神名帳においてもそれぞれ「伊夫伎神社」・「伊富岐神社」として記載されて式内社に列しているほか、美濃の伊富岐神社は美濃国内において南宮大社(一宮)に次ぐ二宮に位置づけられた[25]。現在も近江の神社は伊夫岐神社(滋賀県米原市伊吹)として、美濃の神社は伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町岩手)として祭祀が継承されている。なお、創祀については美濃地方の豪族の伊福部氏との関係を指摘する説もある[25]

山岳宗教と伊吹山寺

ファイル:Gyodoiwa (Mount Ibuki).JPG
伊吹山8合目西にある伊吹山寺を開いた三修が修行を行った行導岩

役小角が伊吹山に登り、弥高寺と大平寺を建立したと伝えられている[26]白山を開山した泰澄は、この山に分け入り白山信仰を伝えた[26]9世紀に伝わった密教と結びついて修験の場として、多くの寺院が山中に建立されるようになった[27]851-854年仁寿年間)に三修により、伊吹山の南側の中腹の尾根上に山岳寺院の弥高寺が建立されたことが「日本三代実録」に記録されている[27]。三修(さんじゅ)により山上と山麓に山岳寺院が建立され、江戸時代まで山岳修行の山とされていた[26]。弥高寺は伊吹山寺と呼ばれる定額寺の中心となる一つで、伊吹四大寺として他に大平寺、長尾寺、観音寺が建立され[27]、のちに伊吹護国寺となった[1]鎌倉時代には修験者による山岳宗教が発達し一時は数百の堂房が山中に建ち隆盛したが、戦国時代に兵火でほとんどが焼失し現存せずその地名が残されている[1]。弥高寺は戦国時代に京極氏浅井氏により城郭の一部として改造され、1512年永正9年)に兵火に遭い、その後ふもとに坊舎が移された[1][27]円空は伊吹山の太平寺に暮らし、平等石(行道岩)で修業を行い、木彫仏を残している[28]。「弥高寺跡」は1986年(昭和61年)3月28日に、滋賀県により天然記念物(史跡)の指定を受けた[27]

年表

  • 673年 - 天武天皇により麓に三関のひとつである不破関が置かれる。
  • 平安時代 - 日本七高山(近畿地方の7つの霊山)の一つに数えられる[1]
  • 712年和銅5年) - 古事記の景行記に、伊吹山にまつわる日本武尊の伝説が記される[4]
  • 851-854年仁寿年間) - 伊吹山の南側の中腹の尾根上に山岳寺院の弥高寺が建立された[27]
  • 1558年永禄元年)- この年から1570年(永禄13年)の間に、織田信長が南蛮人から入手した薬草を栽培する菜園を伊吹山に作らせる[7]。その菜園には、ポルトガル人が自国で用いていた約3,000種のハーブが移植されたといわれている[29]
  • 明治末年 - 川崎義令が千種類に及ぶ薬草を採取する。
  • 1912年大正元年)10月 - 山頂の弥勒堂近くに礎石を築き、現代にも残る日本武尊の石像が供養される。
ファイル:Weather station on Mount Ibuki 2010-07-10.JPG
2010年まで山頂にあった伊吹山観測所
ファイル:Toll house of Mount Ibuki.JPG
伊吹山表登山道の登山口(米原市上野)に設置された入山協力金受付

気候

伊吹山は冬に日本海側からの季節風の通り道となり、濃尾平野では、冬季に北西の方角から吹く季節風を「伊吹おろし」と呼ぶ[42]亜寒帯湿潤気候で雪も非常に多く、1927年2月14日には世界最深積雪記録となる積雪量1182cmを記録しており、現在でもこの記録は破られていない。また、旧平年値(1971-2000)における月別平均気温は稚内とほぼ同じ値となっている[43]。以下、データは2001年3月31日に観測を終了した伊吹山測候所の記録である。

伊吹山(標高1375.8m、平年値1971-2000)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 9.9(49.8) 10.8(51.4) 14.6(58.3) 22.1(71.8) 23.5(74.3) 25.4(77.7) 27.6(81.7) 29.2(84.6) 28.8(83.8) 21.4(70.5) 18.3(64.9) 13.8(56.8) 29.2(84.6)
平均最高気温 °C (°F) -2.8(27) -2.6(27.3) 1.2(34.2) 8.6(47.5) 13.3(55.9) 16.3(61.3) 20.0(68) 21.1(70) 17.5(63.5) 12.2(54) 6.5(43.7) 0.2(32.4) 9.3(48.7)
平均最低気温 °C (°F) -7.4(18.7) -7.8(18) -4.7(23.5) 1.3(34.3) 6.2(43.2) 11.1(52) 15.1(59.2) 15.9(60.6) 12.2(54) 6.1(43) 0.7(33.3) -4.6(23.7) 3.7(38.7)
最低気温記録 °C (°F) -16.3(2.7) -16.5(2.3) -15.9(3.4) -10.0(14) -5.6(21.9) 0.3(32.5) 6.5(43.7) 7.6(45.7) 3.2(37.8) -3.6(25.5) -9.9(14.2) -14.7(5.5) -16.5(2.3)
降水量 mm (inches) - - - 134.6(5.299) 166.2(6.543) 279.7(11.012) 315.2(12.409) 217.1(8.547) 253.7(9.988) 142.3(5.602) 90.4(3.559) - -
出典#1: 伊吹山気温[44]
出典#2: 気象庁[45]

地質

ファイル:20091228伊吹山.jpg
西側の琵琶湖上空方面から望む伊吹山

伊吹山は約3億年前に噴火した海底火山であったとされており[46]ウミユリフズリナの化石が発見されたことから、地層には約2億5千年前の古生代に海底に堆積した層が含まれていると考えられている[6]。その時期にサンゴ礁が形成されたことで石灰質の地層が堆積した。中腹より上部は、古生代二畳紀に形成された石灰岩が広く分布している[34]。山頂部では、カレンフェルトや巨大な石灰露岩などのカルスト地形が見られる[34][47]化石が多く含まれ、フズリナウミユリの化石がよく見られる[1]。石灰岩には塊状の亀裂が多く、水透しが良く表土は乾燥し易い[34]。現在は良質の石灰岩が採掘される山として知られている。

山麓は湧水の里としても知られている[48]。石灰岩層は山肌に降った雨などを浸透させ、伊吹山の山麓には石灰岩層から抽出されたカルシウム分などミネラルを多く含む湧水が豊富である。このうち、米原市にある泉神社の湧水は名水百選の一つに選ばれている。醒ヶ井宿にある居醒の水が平成の名水百選に選ばれたほか、「春照の泉(臼谷の湧水)」が知られている。南西山麓米原市上野の伊吹山の登山口には「ケカチの水」と呼ばれる湧水がある。山頂の弥勒堂へ向かう山岳行者が身を清めた場所とされていた。

生物

植物

標高が低い山であるが、石灰岩層の山であることと地理的な環境条件などの要因で植物相が豊かで植物研究に貴重な山とされ[6]牧野富太郎らの多くの植物学者や採薬師により調査がなされている[49][50]。日本では高尾山に継いで藤原岳と共に2番目に植物の種類が多い山であるとする調査結果がある[51]。山麓から山頂にかけて様々な野草の群生地があり、コイブキアザミ Cirsium confertissimum などの9種の固有種がある[30][注釈 3]。高山の高茎草原に見られる種も自生していて、おもなものとしてオオバギボウシカノコソウキバナノレンリソウクガイソウ、シシウド、シモツケ、シモツケソウ、ニッコウキスゲハクサンフウロメタカラコウ、ユウスゲ、ルリトラノオなどがある[52]。頂上の残雪表面では雪氷藻類が確認されている[53]

ファイル:Wild plant garden on Mount Ibuki (Ligularia stenocephala).JPG
伊吹山頂草原植物群落(シモツケソウとメタカラコウなどが開花した夏)

山頂部では樹木の生育が抑えられて高木が少なく、日本では数少ない北方性の高山植物または亜高山性植物の植物が分布する山地草原が発達している[54][注釈 4][34]。約300種の温帯性および亜高山性の草木の群生地となっていて、近畿地方以南では他に例がない。地層形成年代が古いことと高山的な気象条件になることから、伊吹山の固有種を産出している[50][54]。日本で分布の西南限となっている種が多数ある[50]。日本海要素の植物が多い[50][54]。石灰岩地を好んで生育する植物が多い[50][54]。西日本に分布する南方要素(襲速紀要素)の植物が北上してきている[50][54]。多くの薬草(民間薬草が230種ほど、局方薬草19種)が分布し[55]イブキカモジグサ、キバナノレンリソウ[注釈 5][56]イブキノエンドウのように、ヨーロッパを原産とする雑草が生育しているが、これらは、織田信長ポルトガル人宣教師の希望を聞き入れ、伊吹山に土地を与えてハーブガーデンを作ったときに、ヨーロッパから持ち込まれたハーブに紛れて入ってきたと推測されている[6][57][58]。オオバギボウシとメラカラコウ群落、オウバギボウシとショウジョウスゲ群落、サラシナショウマ群落、フジテンニンソウ群落、シモツケソウ群落、アカソ群落、岩場のイブキジャコウソウ群落、チシマザサ群落などが草本植物群落の季節ごとのお花畑となる[50]。2003年(平成15年)7月25日に、『伊吹山頂草原植物群落』が、代表的高山植物帯、特殊岩石地植物群落、著しい植物分布の限界地であることなどにより、国の史跡名勝天然記念物(植物天然記念物)の指定を受けた[35][36][34]。周囲の木本植物群落としては、イブキシモツケ群落、オオイタヤメイゲツミヤマカタバミ群落、ブナオオバクロモジ群落などがある[50]

上野からの登山道の3合目の草原にはユウスゲの群生地があり、ニホンジカなどによる食害対策として防護ネットが設置され、観察路などが整備されている[59]。2013年(平成25年)から7月下旬に、その群生地で「ユウスゲ祭り」が開催されている[59]。このユウスゲの群生地付近はオカメガハラと呼ばれ、春から秋にかけて70種ほどの草花が生育している。またその北側の3合目公衆トイレ周辺では100種ほどの草花が生育している。2009年(平成21年)から西山麓の姉川左岸の米原市大久保地区周辺にはセツブンソウ、キバナノアマナなどの群生地があり、春先に「セツブンソウふれあい祭り」が開催されている[60]

山麓は針葉樹広葉樹地帯で、三合目から上部は草地となり、1,700を超える多くの植物が分布している[4][61]

山頂部の高山植物または亜高山性植物
イブキトラノオメタカラコウマルバダケブキニッコウキスゲサンカヨウキオンコキンバイノビネチドリなど
分布の西南限となっている種:イブキフウロエゾフウロ[62]グンナイフウロハクサンフウロキンバイソウ[63]イワシモツケヒメイズイイブキソモソモ[64]など
日本海側要素の植物
イブキトリカブトオオカニコウモリオオヨモギスミレサイシンザゼンソウハクサンカメバヒキオカコシミヤマイラクサエゾユズリハハイイヌガヤタムシバなど
伊吹山の固有種
コイブキアザミイブキアザミルリトラノオイブキコゴミグサイブキレイジンソウコバノミミナグサ[65]イブキヒメヤマザミイブキハタザオイブキタンポポ
石灰岩地を好んで生育する植物
イチョウシダクモノスシダヒメフウロイワツクバネウツギイブキコゴメグサキバナハタザオクサボタンなど
南方要素の植物
ギンバイソウミカエリソウカキノハグサなど

「イブキ」を冠する和名の種

イブキトラノオのように最初に伊吹山で発見されたことから、和名に「イブキ」を冠する種が多数ある[66]。イブキアザミ、コイブキアザミ、イブキコゴメグサ[67]イブキジャコウソウイブキスミレ[68]イブキトラノオイブキフウロイブキトリカブト[69]、イブキレイジンソウといった20種以上のイブキを冠する種の植物が自生している[52][70][71]田中澄江が著書『新・花の百名山』で伊吹山を代表する花の一つとして、イブキジャコウソウを紹介した[8]