伝馬町 (曖昧さ回避)

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伝馬町(てんまちょう、でんまちょう)は、日本の地名。

江戸時代宿場の重要施設である伝馬所問屋場)があった地区を指すことが多い。

「伝馬」のつく地名

  • 長野県
    • 伝馬町(てんまちょう)、
    • 小伝馬町(こでんまちょう) - 以上いずれも現・飯田市内の地名
  • 静岡県
    • 伝馬町(てんまちょう)-現・静岡市葵区内の町名
    • 新伝馬(しんてんま)一~三丁目 -現・静岡市葵区内の町名、旧伝馬町新田の一部ほかを1990年住居表示実施により改称
    • 上伝馬(かみてんま)- 現・静岡市葵区内の町名、旧伝馬町新田の一部ほかを1992年住居表示実施により改称
    • 伝馬町(てんまちょう)-かつての清水市・現静岡市清水区内の町名。1972年住居表示により消滅(現 江尻東三丁目ほか)
    • 伝馬町(てんまちょう)-現・浜松市中区内の町名

三伝馬町

江戸に入った徳川家康の代の慶長8年、家康以前からの江戸住みであった千代田村、宝田村、祝田村に、江戸城下の伝馬役を任じていたが、手狭になり始めた江戸城域の拡張が計画され、慶長11年、これら3つの村域を移転させて起立した[2]。3つは総じて「三伝馬町」という。元の村域は江戸城西丸下として整備された。

  • 千代田村 - 現・皇居外苑3番(和田倉噴水公園付近)、南伝馬町へ移転
  • 宝田村 - 現・皇居外苑2番(馬場先門より北側)、小伝馬町へ移転
  • 祝田村 - 現・皇居外苑1番(馬場先門より南側、祝田橋の地名が残る)、大伝馬町へ移転

この移転にあたり、家康は村民たちに他の町域よりも馬の出入りが可能な大きな庇家と全江戸町域筆頭を与え、江戸の鎮守であった神田明神山王権現の通常1年置きに交代で行う例大祭に、この三伝馬町は毎年山車を出してよいという栄を与えていた。村民はそれぞれの町域で引き続き伝馬役を継いだ。伝馬町にはそれぞれ荷受問屋が集まって活況を呈し、後にさらに商家仕入問屋も集まって発展していくことになる(→銀座馬喰町)。寛永15年にはこれらの付属町として赤坂四谷にも伝馬町が起立している。

参照・注釈

  1. 角川日本地名大辞典 23 愛知県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1989-03-08(日本語)。ISBN 4-04-001230-5。
  2. 東京都中央区立京橋図書館『郷土室だより』No.79、平成5年3月31日発行。

関連項目