佐渡国

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佐渡国(さどのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。

「佐渡」の名称

平城宮木簡には「佐度国」と表記されている。

沿革

国が建てられた時期は不明。初見は文武天皇4年(700年)に遡る。天平15年(743年2月11日越後国に合同した(『続日本紀』)。天平勝宝4年 (752年11月3日に元に復した。

もと雑太郡一郡のみの国であったが、養老5年(721年)に雑太郡、加茂郡羽茂郡の三郡に分けられた。後、明治29年(1896年)に佐渡郡一郡にまとめられた。

近代以降の沿革

歴史

佐渡市#歴史の項を参照

国内の施設

国府

国府は雑太郡にあった。国仲平野の南辺にあったと推測される。下国府遺跡が官人の住居と推定されているが、政庁はまだ見つかっていない。

国分寺・国分尼寺

奈良時代に作られた国分寺はいったん放棄された。江戸時代の延宝7年(1679年)に賢教によって真言宗の寺として再建され、平安時代に造られた薬師如来像を今に伝える。元の国分寺の遺跡は今の寺の至近にある。どちらも所在地は佐渡市国分寺である。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す小社9座9社が記載されている。大社はない。
総社一宮以下
  • 総社 総社神社 (佐渡市吉岡) - 元は国府の近くにあったものを徳治2年(1307年)に現在地に遷座したと伝えられる。
  • 一宮 度津神社
  • 二宮 大目神社
  • 三宮 引田部神社

地域

人物

国司

守護

鎌倉幕府

室町幕府

武家官位としての佐渡守

名誉称号としての佐渡目(朝廷から芸術家・職人への受領)

  • 佐渡雅好(のちの佐渡嶋正吉)[2] 浄瑠璃の太夫・家元。

脚注

  1. 田中聡「南北朝・室町期における佐渡守護と本間氏」(『新潟史学』66号、2011年)
  2. 『浄瑠璃太夫口宣案』、『烏丸家記五諸人上卿之留』

参考文献

関連項目