保科 正之(ほしな まさゆき)
江戸時代初期の大名。幼名は幸松丸。江戸幕府 2代将軍徳川秀忠の四男。3代将軍徳川家光の異母弟。信濃高遠藩主保科正光の継嗣となり,のち会津藩主。4代将軍徳川家綱の補佐として,幕政に参与した。山崎闇斎の朱子学,吉川惟足の理学神道を信奉。著書『輔養編』『二程教録』『会津家訓』。(会津藩,保科氏)