信濃毎日新聞

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信濃毎日新聞(しなのまいにちしんぶん、: The Shinano Mainichi Shimbun)は、長野県地方新聞である。 また同紙を発行する新聞社の名称。

朝刊夕刊を発行しており、発行部数は約44万5000部、県内購読率は57パーセント(2014年上半期時点)。通称は信毎(しんまい)。

概要

1873年7月5日長野新報として創刊。1881年より現在の題号となる。戦前は山路愛山風見章桐生悠々などが主筆を務めた。

1975年頃までは長野市などの北信地方偏重の影響があり、現在も南信地方、とりわけ名古屋の影響が強い飯田市下伊那郡木曽郡では中日新聞が普及している。

1991年からはアメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス・ポストディスパッチEnglish版紙と提携している。

2014年3月24日(月)の朝刊から、1ページ12段(従来は15段)1行13字に変更した[1]

社名の変遷

  1. 「長野新報」(1873年(明治6年)7月5日〜同年10月2日、隔月刊)
  2. 「官許長野毎週新聞」(1874年(明治7年)1月27日1876年(明治9年)4月30日、週刊・毎週日曜日刊行)
  3. 「長野新聞」(1876年5月10日1879年(明治12年)12月28日、隔日刊・毎週月水土曜日刊行)
  4. 「長野日日新聞」(1880年(明治13年)1月6日〜同年8月28日、日刊 ※日曜・祭日を除く)
  5. 「信濃日報」・「信濃毎日新報」(1880年8月30日1881年5月25日、日刊 ※日曜・祭日を除く、信濃毎日新報1880年9月1日創刊)
  6. 「信濃毎日新聞」(1881年(明治14年)6月7日1945年(昭和20年)4月20日・1945年10月15日1946年(昭和21年)6月15日、日刊)
    • 「信濃毎日新報」を吸収合併して改称。
  7. 「信濃毎日共同新聞」(1945年4月21日〜同年10月14日、日刊)
    • 終戦前後、政府の命令で在京三紙(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞(当時は読売報知))と中日新聞(当時は中部日本新聞)の長野版分を信濃毎日新聞に肩代わりさせ題号の下に四紙の題号を併載し共同新聞とした。
  8. 「信濃毎日新聞」・「夕刊信州」(1946年6月16日1949年(昭和24年)12月26日、日刊)
    • 関連会社の「夕刊信州社」を設立し夕刊を復活。
  9. 「信濃毎日新聞」・「夕刊信毎」(1949年12月27日1952年8月31日、日刊)
    • 「夕刊信州社」を吸収合併したが独立夕刊が継続。最初は「夕刊信濃毎日新聞」。
  10. 「信濃毎日新聞」(1952年(昭和27年)9月1日〜、日刊)

信濃毎日新聞株式会社

通称として「社」を付け「信濃毎日新聞社」と呼称される場合もあるが[3]、登記上の名称は新聞名と同じ信濃毎日新聞株式会社である。

新潟県上越地域では1951年〜1970年まで信濃毎日新聞上越版が発行されていた。

印刷工場

  • 長野製作センター - 長野市青木島四丁目3番3号
  • 塩尻製作センター - 塩尻市広丘高出1963番地1
※塩尻工場では日本経済新聞の委託印刷も行っている(配送対象地域は長野県山梨県)。

ラテ欄

テレビ欄

以下の記述は朝刊掲載分についてであり、長野県内全共通。

メインテレビ面(最終面) 第2テレビ面(中面)
地上 NHK総合(長野放送局)
地上 NHKEテレ(長野放送局)
地上 テレビ信州(TSB)
地上 長野朝日放送(abn)
地上 信越放送(SBC)
地上 長野放送(NBS)
地上 テレビ東京
衛星 NHK BS1(BS1)
衛星 BSプレミアム
衛星 BS日テレ
衛星 BS朝日
衛星 BS-TBS
衛星 BSジャパン
衛星 BSフジ
衛星 WOWOW(プライム)
地上 東海テレビ
地上 中京テレビ
地上 CBCテレビ
地上 メ〜テレ
地上 テレビ愛知
衛星 WOWOW(ライブ、シネマ)
衛星 スター・チャンネル1
衛星 BSイレブン
衛星 トゥエルビ
衛星 放送大学
衛星 アニマックス
衛星 BSスカパー
衛星 日本映画専門チャンネル
衛星 Dlife
衛星 GAORA
衛星 時代劇専門チャンネル
  • 基本的に県内地上波局6局はフルサイズで掲載。テレビ東京・中京広域圏5局はハーフサイズ。衛星放送についても全ての局がハーフサイズ。東京キー局や中京広域圏の局は県内ケーブルテレビ区域外再放送で視聴可能。一部地域ではアンテナ受信でも視聴可能。
  • ただし、第2テレビ面の日本テレビテレビ朝日TBSテレビフジテレビの掲載は2014年7月24日付発行分で終了となった。
  • 県内のケーブルテレビ局の自主制作チャンネルの番組表も地域面にそれぞれ掲載。

ラジオ欄

以下の記述は朝刊掲載分についてであり、長野県内全共通。

ラジオ面(中面)
AM 信越放送(SBC)
AM NHK第1
AM NHK第2
FM NHK-FM
FM FM長野
FM TOKYO FM
AM TBSラジオ
AM 文化放送
AM ニッポン放送
FM FM AICHI
AM CBCラジオ
AM 東海ラジオ
短波 ラジオNIKKEI
  • 長野県内の各ラジオ局(信越放送・NHKラジオ第1・NHKラジオ第2・FM長野・NHK-FM)はフルサイズで、長野県内各放送局の周波数は朝刊に関しては番組表上段にまとめて掲載。その他の掲載局については親局の周波数を局名の横に掲載。
  • 東京FMキー局のTOKYO FMと短波放送のラジオNIKKEIはハーフサイズで掲載。また東京AMキー局(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送)と在名ラジオ局(CBCラジオ・東海ラジオ・FM AICHI)は夕方18時以降の超ハーフサイズで掲載。
  • 県内のコミュニティFM局(FMぜんこうじFM軽井沢FMさくだいらiステーションエルシーブイFM769)の番組表も地域面に掲載。

地方面

政治家との関係

創業家の小坂一族から、創業者の小坂善之助立憲政友会)、長男の順造立憲政友会立憲民政党)、孫の善太郎自民党)・徳三郎)、曾孫の憲次)といった衆議院議員が輩出しており、報道には自民党寄りの傾向もみられる。

5期20年に渡って県政を担った吉村午良元長野県知事時代には、自民党系の県議会与党であり大政翼賛会とも揶揄されていた県政会(現在は解散)寄りの立場を取っていた。そのため乱開発による莫大な県債発行や北信に偏った開発、また1998年長野オリンピック誘致での国際オリンピック委員会への買収疑惑については、ほとんど批判的な報道が行われなかった。また、知事や政治家の失言などもほとんど報道されず、オリンピック時に批判を浴びた吉村知事の「ミズスマシ」発言を始めとした失言の数々は、東京から取材に来ていた全国紙の記者が居たため公になったと言われている。それゆえ県政の御用新聞と呼ばれ、ジャーナリズムが果たすべき権力への監視を放棄していたとの批判がある。

また憲次と選挙区で競合する元衆議院議員田中秀征に関しても冷淡といわれ(憲次の父、善太郎と旧選挙区が同じで、初当選のとき善太郎は落選したためと考えられる)、共同通信が全国に配信した秀征のコメントが掲載された記事を、信濃毎日新聞は全国の地方紙各紙の中で唯一掲載しなかったという。

2000年代前半に長野県知事を務めた田中康夫については、初当選した直後こそ一挙手一投足を逐一注目して報道していたが、「脱記者クラブ宣言」により記者クラブが廃止されて以降、全ての面で一貫して批判を繰り返していくことになる。

この姿勢を端的に示すものが、2007年3月に信濃毎日新聞が大々的に報道した公文書破棄事件(康夫が後援会元幹部による働きかけを記録した文書を破棄するよう指示を出したとされている)である。これは百条委員会で証言していた岡部英則元経営戦略局参事の発言に基づいているが、他の証言者の発言と矛盾していることから読売新聞などは信憑性が低いと判断しており、信濃毎日新聞の突出した報道姿勢が目に付くこととなった。長野県で高いシェアを占める信濃毎日新聞の執拗な批判報道が、康夫の知事としての支持率低下・3期目選挙落選の要因となったとされている。

2007年9月3日、長野地方検察庁は百条委員会によって告発された康夫の「公文書毀棄幇助容疑」に対し、「嫌疑なし」で不起訴処分とした。また同時に「公文書毀棄容疑」などで告訴されていた当時の下水道課長ら2人も、「嫌疑不十分」で不起訴処分とした。

長野県議会との関係では、2008年6月から県議会議員の政務調査費問題を取り上げた。内容としては、下伊那郡選出の県議会議員が2007年度の収支報告書に「ヘアブラシの購入代金(504円)を茶菓子代として記載した」「県政報告会での茶菓子代(1,050円)として報告したもののうち、320円分は開催日翌日付の領収書であった」[4]、さらに2006年度の収支報告書では、「仕出し弁当屋に支出した10,000円を茶菓子代として記載した」[5]といったものであった。この記事を受け、県議会議員は誤りであったとして収支報告書を訂正した[6]

しかし信濃毎日新聞は追及をやめず、仕出し弁当屋に支出した10,000円については、『領収書のただし書きにあった「味おにぎり100ケ分」の記述が消されていた』、また『あて先が「○○党」だったものが「○○党県議団」と加筆されていた』ことについて「改ざん」であると報道した[7]。その結果、県議会議員はこの記事が出た当日に「生き恥をさらすことはできません」という遺書をのこして自殺した[8]

地元放送局との関係

信越放送(SBC)(テレビはTBS系列、ラジオはJRNNRN系列)の設立に参画、同局の筆頭株主であり、ニュース番組は信毎ニュースのタイトルや「協力 信濃毎日新聞」のクレジットを入れて放送している。

一方、長野県内での競合局である長野朝日放送(abn)(テレビ朝日系列)、テレビ信州(TSB)(日本テレビ系列)、長野エフエム放送(FM長野)(JFN系列)にも資本参加している。

なお、長野放送(NBS)(フジテレビ系列)の株主には名を連ねていない(同社はフジ・メディア・ホールディングス持分法適用関連会社)が、イベント等を共催することはある。

疑義の報道等

  • 松本サリン事件では第一通報者犯人説(神奈川大学経営学部教授の常石敬一が事件初期に提唱した誤った論法によるもの)虚偽の内容を報道、人権を侵害し当該事件の第一通報者で被害者でもある河野義行に訴えられた。信濃毎日新聞は1995年6月2日、「河野さん、事件と無関係」という見出しの記事を掲載した上で、二段囲みの「おわび」を掲載した[9]。おわび記事の掲載を受け、同年6月9日地裁松本支部における二回目の口頭弁論和解し、原告側は一切の請求を取り下げた。なお、信濃毎日新聞は『河野さんへの疑惑報道が真実に反するものであったことを素直に認め、深く陳謝の意を表します。しかし、法的責任の有無は別問題であります。疑惑報道そのものは、捜査状況を客観的に報じたものであり、法令違反に相当する故意や過失はなかったと判断しています。報道内容は「報道の自由」の枠内にあったと確信しています』といった内容の意見陳述を準備していた[10]
  • 1995年10月15日、特集「松本サリン報道検証」の『検証5河野さんに社名で「おわび」』において、おわび記事掲載を受けて原告側から「信毎の措置を評価し、訴えを取り下げたいという意向が伝えられた」と報道した[11]。しかし後日、「信毎の措置を評価し、和解交渉の場をつくる用意があるとの意向が伝えられた」に訂正された。
  • 2015年に掲載した連載記事「現代につむぐ神話」において、執筆者である赤坂真理伊藤博文について「植民地で殺された」と記載し、そのことが評価を難しくしているとした[12][13]。しかし伊藤博文が暗殺されたのは当時ロシア利権を持っていた東清鉄道の駅であるハルビン駅であり事実誤認であった。後日、「朝鮮半島の独立運動家に暗殺されたという最期が、評価をむずかしくしている」に訂正された。

脚注

  1. 信濃毎日新聞の文字が大きくなります
  2. 中馬清福さん死去 前信濃毎日新聞社主筆 - 『朝日新聞デジタル』2014年11月4日16時53分
  3. 出版部のプロフィールに見られるように、出版部門は「信濃毎日新聞社メディア局出版部」を自称しており書籍の奥付でも「信濃毎日新聞社」を使用している場合がある。
  4. 信濃毎日新聞.2008年6月20日
  5. 信濃毎日新聞.2008年6月24日
  6. 信濃毎日新聞.2008年6月25日
  7. 信濃毎日新聞.2008年7月5日朝刊
  8. 信濃毎日新聞.2008年7月5日夕刊
  9. 信濃毎日新聞.1995年6月2日
  10. 信濃毎日新聞.1995年10月15日
  11. 信濃毎日新聞.1995年10月15日
  12. 信濃毎日新聞.2015年1月31日
  13. 信濃毎日新聞.2015年2月28日

関連項目

外部リンク


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