児湯郡

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ファイル:Miyazaki Koyu-gun.png
宮崎県児湯郡の位置(1.高鍋町 2.新富町 3.西米良村 4.木城町 5.川南町 6.都農町)

児湯郡(こゆぐん)は、宮崎県日向国)の

人口69,083人、面積715.03km²、人口密度96.6人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の5町1村を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記5町1村に西都市および日向市の一部(美々津町)を加えた区域にあたる。

歴史

古代

和名類聚抄によると、は八つのから構成されており、三納郷、都野郷、穂北郷、大垣郷、覩唹郷、三宅郷、韓家郷、平群郷が記載されている。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

テンプレート:日向国児湯郡の式内社一覧
神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
凡例を表示

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 西国筋郡代[1] 10村 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、調殿村、童子丸村、南方村、穂北村
藩領 日向高鍋藩 3町
13村
高城町[2]、都農町[2]、美々津町[2]、高鍋村、上江村、椎木村、高城村、石河内村、川原村、平田村、持田村、川南村、三納代村、日置村、川北村、高松村
日向佐土原藩 2町
15村
妻町[2]、都於郡町[2]、岩爪村、荒武村、山田村、上三財村、加勢村、三納村、平郡村、下三財村、藤田村、鹿野田村、妻村、伊倉村、新田村、上富田村、下富田村

町村制以降の沿革

ファイル:Miyazaki Koyu-gun 1889.png
1.高鍋村 2.上江村 3.富田村 4.新田村 5.下穂北村 6.都於郡村 7.三財村 8.三納村 9.西米良村 10.東米良村 11.上穂北村 12.木城村 13.川南村 14.都農村 15.美々津村(紫:西都市 桃:日向市 赤:高鍋町 橙:新富町 黄:木城町 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(15村)
    • 高鍋村 ← 北高鍋村、南高鍋村、蚊口浦村、高鍋町(現・高鍋町)
    • 上江村 ← 上江村、持田村(現・高鍋町)
    • 富田村 ← 上富田村、下富田村、日置村、三納代村(現・新富町)
    • 新田村 ← 新田村、伊倉村(現・新富町)
    • 下穂北村 ← 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、妻町、妻村、右松町[3](現・西都市)
    • 都於郡村 ← 鹿野田村、都於郡町、岩爪村、荒武村、山田村(現・西都市)
    • 三財村 ← 藤田村、下三財村、上三財村、加勢村、寒川村(現・西都市)
    • 三納村 ← 平郡村、三納村(現・西都市)
    • 西米良村 ← 小川村、村所村、板谷村、越野尾村、上米良村、竹原村、横野村(現存
    • 東米良村 ← 銀鏡村、上揚村、八重村、中尾村、尾八重村(現・西都市)、中之又村(現・木城町)
    • 上穂北村 ← 南方村、穂北村、調殿村、童子丸村(現・西都市)
    • 木城村 ← 高城町、高城村、川原村、石河内村、椎木村(現・木城町)
    • 川南村 ← 平田村、川南村(現・川南町)
    • 都農村 ← 都農町、川北村(現・都農町)
    • 美々津村 ← 美々津町、高松村(現・日向市)
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治31年(1898年10月26日 - 美々津村が町制施行して美々津町となる。(1町14村)
  • 明治34年(1901年2月7日 - 高鍋村が町制施行して高鍋町となる。(2町13村)
  • 大正9年(1920年8月1日 - 都農村が町制施行して都農町となる。(3町12村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正13年(1924年
    • 4月1日 - 下穂北村が町制施行して下穂北町となる。(4町11村)
    • 8月1日 - 下穂北町が改称して妻町となる。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和13年(1938年10月1日 - 上江村が高鍋町に編入。(4町10村)
  • 昭和28年(1953年2月11日 - 川南村が町制施行して川南町となる。(5町9村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 美々津町が日向市に編入。(4町9村)
    • 4月1日 - 妻町・上穂北村が合併して西都町が発足。(4町8村)
  • 昭和33年(1958年
    • 4月1日 - 西都町・三納村・都於郡村が合併し、改めて西都町が発足。(4町6村)
    • 11月1日 - 西都町が市制施行して西都市となり、郡より離脱。(3町6村)
  • 昭和34年(1959年3月31日 - 新田村・富田村が合併して新富町が発足。(4町4村)
  • 昭和37年(1962年)4月1日(4町2村)
    • 三財村が西都市に編入。
    • 東米良村が分割し、一部(銀鏡・上揚・八重・中尾・尾八重)が西都市、残部(中之又)が木城村にそれぞれ編入。
  • 昭和48年(1973年)4月1日 - 木城村が町制施行して木城町となる。(5町1村)
  • 平成17年(2005年2月18日 - 新富町の一部が佐土原町に編入。

変遷表

脚注

  1. 1.0 1.1 「旧高旧領取調帳」では明治5年に肥後国球磨郡から所属郡が変更された14村も本郡として記載されている。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 無高のため記載なし。
  3. 右松村のうち。本項では町数に数えない。

参考文献

  • テンプレート:宮崎県の自治体