八重山列島

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八重山列島
地理
場所 太平洋東シナ海フィリピン海
座標 北緯24度00分 - 24度40分
東経122度45分 - 124度30分
諸島 南西諸島先島諸島
島数 23島(うち有人島は12島)[1]
主要な島 西表島 (289.61km2)[2]
石垣島 (222.25km2)[2]
与那国島 (28.95km2)[2]
面積 587.16 km2 ({{rnd/b構文エラー: 予期しない演算子 < です。|構文エラー: 予期しない演算子 < です。|(構文エラー: 予期しない演算子 < です。)|構文エラー: 予期しない演算子 < です。 }} sq mi)
国土地理院、2016年10月1日現在)[3]
最高標高 526 m (1,726 ft)[4]
最高峰 於茂登岳
所属国
都道府県 沖縄県
市町村 石垣市
八重山郡竹富町与那国町
最大都市 石垣市(人口47,564人[5]
ファイル:Okinawa pref3-1.png
沖縄本島と八重山列島の位置図

八重山列島(やえやまれっとう)または八重山諸島(やえやましょとう)は、南西諸島西部の島嶼群で、宮古列島とともに先島諸島の一部を成す。

概要

中心となる石垣島をはじめ、竹富島小浜島黒島新城島(上地島、下地島)、西表島由布島鳩間島、有人島では日本最南端の波照間島などの石西礁湖周辺の島々と、これらから西に離れた日本最西端の与那国島の合計10の有人島、及び、北に位置する尖閣諸島など多くの無人島からなる島嶼群である。面積では沖縄県全体の約4分の1に相当し、県内では沖縄本島に次いで西表島が2番目、石垣島は3番目の大きさである[6]

行政区分では、沖縄県石垣市八重山郡竹富町及び与那国町の1市2町からなり、有人島では、石垣島が石垣市、与那国島が与那国町にそれぞれ属し、他の8島はすべて竹富町に属する。国指定の天然記念物が多数ある一方、1637年から琉球王国に課された重い人頭税で島民が苦しんだり、1771年の八重山地震に伴う明和大津波で多くの人命が失われるなど、過酷な歴史がある[6]。多くの人命を奪う風土病であったマラリアは1962年に撲滅された。

名称

八重山」の名称の由来には諸説がある。1719年琉球を訪れた中国人徐葆光の著書『中山伝言録』には、「八重山、一名北木山、土名彜師加紀、又名爺馬」との記載がある。このうち、「彜師加紀」は「いしかき」、「爺馬」は「やま」と読むとされる。この記載では現在の八重山列島と石垣島とが区別されておらず、「八重山」が石垣島のことを指しているとも解される。「八重山」は「爺馬」と同じく「やま」への当て字であると考えられている。後の文献では離島も含めなぜ「八重山」と表記されるかは諸説あり、未だに決め手がない[6]

「八重山」は、八重山方言では「ヤイマ」(国際音声記号[jaima])、沖縄方言では「エーマ」([eːma])、与那国島では「ダーマ」([daːma])と発音される。

地理

有人・無人島

面積が0.01km2(100m四方)以上の島を列挙した。

有人島
無人島

地勢

面積が100km2以上の島は西表島(289.61km2[2])と石垣島(222.25km2[2])の2島で、いずれも古見岳於茂登岳など、標高500m程度に達する山塊を含む高島で、河川も比較的よく発達している。それ以外の島は隆起珊瑚礁の低島で、標高も100mに達しない。

生物的自然

低地の隆起珊瑚礁には、熱帯要素の強い植物群落が成立する。内湾や河口域にはマングローブ林が発達するが、その種数は日本の他地域より多く、たとえばマヤプシキは日本ではこの地域でしか見られないし、より熱帯域では普通種であるニッパヤシゴバンノアシもわずかに観察される。より内陸の低地でもウラジロアカメガシワオオイワガネなど、いずれも熱帯域に広く分布するもので、日本ではこの地域でしか見られないものである。

石垣島、西表島には標高500m程度の山塊があり、水条件もよいため、その多くは照葉樹林に覆われていた。ただし、特に石垣島では開発のためにその面積を大きく減じている。このような森林はオキナワウラジロガシなどを主体としたもので、ヒカゲヘゴなどの木生シダを多く含んでいる。また着生植物にとみ、リュウキュウセッコクリュウキュウトリノスシダEnglish版の大株にアマモシシラン (Vittaria zosterifolia) がさらに着生して樹状に大きな塊を作り、またツルアダンが多数這い上る姿は、日本の他地域では見られない特徴となっている。

この地域はカンムリワシサキシマハブイシガキケブトハナカミキリなど、固有種が多く、その多くは石垣島、西表島に分布する。イリオモテヤマネコのように西表島にのみ分布するものもあるが、多くは両島に分布するものである。

歴史

15世紀末、八重山諸島ではオヤケアカハチと琉球王府に従属的な長田大主が覇を競ったが、1500年、オヤケアカハチが琉球王国への朝貢を断ったために尚真王に討伐され(オヤケアカハチの乱)、八重山諸島は琉球王国の支配下に入った。1524年竹富島出身で琉球王府に仕えた西塘が竹富大首里大屋子の頭職に任じられ、竹富島に蔵元を開いて八重山を統治した[7]

1628年には宮良・大浜・石垣の3つの間切が設けられて頭職が置かれ、1632年には王府から在番が派遣されるようになった。1641年には大和在番が置かれ、薩摩藩の役人が駐在した[8][9]が、7年後の1648年に廃止された[10]1637年には人頭税が導入され、1903年に廃止されるまで重税が課された。

明治時代に入ると、1908年島嶼町村制が施行されて間切が廃止され、八重山諸島全域をひとつの自治体として八重山村が置かれた。しかし、範囲が広大で交通が困難であったため、1914年に石垣村・大浜村(ともに現在の石垣市)・竹富村(現在の竹富町)・与那国村(現在の与那国町)に分村した。

放送

テレビラジオとも、石垣島の石垣中継局は石垣島、西表島東部、そして両島間にある周辺の島々(竹富島・小浜島・黒島ほか)、さらに石垣島から約60km離れた波照間島をカバーしている(石垣島のテレビの場合、南部は石垣中継局、北部は川平テレビ中継局がカバーしている)。また祖納テレビ中継局は西表島西部と鳩間島、与那国中継局は与那国島をそれぞれカバーしている。

ラジオ

  • NHKと民放の琉球放送(RBCiラジオ)ラジオ沖縄 (ROK) が石垣島・西表島・与那国島にそれぞれ中継局がある。なおFM沖縄は中継局が設置されていない。
    • NHKは1972年6月に石垣島にラジオ第1第2の中継局を設置、1976年には石垣島と与那国島にFM放送の中継局が設置された。
    • 長らくAMが石垣局が八重山全域、FMは石垣局が石垣・竹富両市町、与那国局が与那国島をそれぞれカバーしていたが、AM(中波)では隣国の台湾島中国大陸等の放送局との混信で、特に西表島西部や与那国島では夜間のAMの受信は困難で短波のNHKの国際放送を受信する人も少なくなかった。そこで1991年11月に西表島西部(祖納)にラジオ第1が、2003年10月には同じくラジオ第2、与那国島にラジオ第1と第2がFMによる中継局を設置し、AMに関しては受信状況がかなり改善された(西表島西部はFM放送の中継局は未設置だが石垣島中継局からの電波で受信可能)。
    • 民放は長らくRBCiラジオが宮古島にある中継局、ラジオ沖縄は沖縄本島の親局から直接受信していたが、NHK同様夜間になると台湾や中国大陸等からの混信で受信で、西表島西部と与那国島では受信不可能だった(石垣島では一部地域で親子ラジオの中央放送社がRBCiラジオを再送信していた)。そこでNHKに続いて2004年4月にRBCiラジオとラジオ沖縄も石垣島・西表島・与那国島にFMによる中継局を設置した。
  • 2007年7月に八重山地域では初のコミュニティFMとなるFMいしがきが開局し、石垣島の南側の大半と同島に近い竹富町の離島で聴取可能となったほか、インターネット経由での聴取も可能となった。
ラジオ中継局周波数一覧
所在地 出力 NHK1 NHK2 NHKFM RBCi ROK FMいしがき
石垣島 NHK1とNHK2は1kW、他は0.1kW 540kHz 1521kHz 87.0MHz 89.0MHz 87.8MHz 76.1MHz
西表島 すべて0.01kW 85.2kHz 83.1kHz 83.9MHz 81.5MHz
与那国島 すべて0.01kW 83.5kHz 80.3kHz 85.8MHz 84.7MHz 79.5MHz

テレビジョン

  • NHKと民放が地上アナログテレビ放送・地上デジタルテレビ放送ともに石垣島の石垣と川平、西表島西部の祖納、与那国島に中継局がある。ただし琉球朝日放送 (QAB) はデジタルのみである。
  • 地上アナログ放送は民放がいずれもUHFでの放送のため、RBCテレビは10チャンネル、OTVは8チャンネルと親局と同じチャンネルに合わせているところが多く、石垣島の日刊紙八重山毎日新聞や八重山日報のラテ欄でもRBCは10チャンネル、OTVは8とチャンネル表示している(NHKは石垣局のチャンネルを表示、また西表局エリアではNHK総合が8チャンネルであるためOTVは他の空チャンネルにリモコンを合わせる)。
    • NHKは前身の沖縄放送協会 (OHK) が1967年12月22日に八重山地域の親局となる石垣局が宮古島と同時に開局。翌日には川平局、西表(祖納)局、与那国局が開局した。当時は沖縄本島~宮古島、同島~石垣島には海底ケーブルが未敷設だったため沖縄本島(1968年12月に開局)や宮古島とは別々の番組編成だった。1972年5月の本土復帰と同時にNHKの総合テレビとなるが親局だった石垣局(八重山局)は宮古局に統合され、宮古総合テレビジョンの中継局となった。しかし本島と宮古島には海底ケーブルが未敷設だったため本島とは別の番組編成だった。このため朝の連続テレビ小説大河ドラマ等は1日~1週遅れ、大晦日恒例の紅白歌合戦は翌日の元日の夜に放送された。
    • 1976年12月にようやく本島と宮古島に海底ケーブルが敷設され、ようやく本島・日本本土と終日同時放送となり、あわせて教育テレビの放送も開始された。
    • 1980年代前半には石垣島にケーブルテレビ石垣ケーブルテレビが開局し、民放の番組を時差配信した。
    • 1993年12月16日にようやく民放の琉球放送 (RBC) と沖縄テレビ (OTV) が放送開始、これまでNHKしかなかった多くの八重山の住民にとっては念願の民放開局だった。
    • 2008年12月にNHKの石垣局で地上デジタルテレビ放送が開始され、2009年4月にNHKの石垣局以外の中継局(川平・祖納・与那国・内道)、10月には民放も全局で開始されアナログでは未放送だった琉球朝日放送 (QAB) も放送が開始された。
  • NHKのアナログ放送は電波を伝送するため高い出力で電波を出していたが、西表~与那国の伝送方法が改善し、1998年に西表局は100Wから30Wに減力、与那国局はVHFからUHFに切り替えた。川平局が500Wで出しているのは西表局へ伝送するため。民放も石垣から与那国へ伝送している。
  • 琉球朝日放送 (QAB) は開局以来長らくアナログ中継局を設置しておらず、ケーブルでの再配信も行われていないので受信できなかったが、2009年に開局14年にしてようやくデジタル放送開始とともに見られるようになり、テレビ朝日系の番組も14年ぶりに見られるようになった。
  • 2011年7月24日、23時59分ごろ、NHKは本島と同時に停波したが、那覇では23時54分に停波した民間放送が沖縄で最後に砂嵐状態になったのは与那国島であり(NHKの係員は現地でスイッチを切っているが民間放送までスイッチを切ったかは不明、キャリア切れの自動停波だと約5分かかる)、これを以て沖縄県のアナログテレビ放送は52年弱の歴史に幕を閉じている。
  • 与那国島では台湾から100kmあまりしか離れていないため、台湾のテレビ放送も受信できるといい、かつては日本の総理大臣や沖縄県知事よりも台湾の総統をよく見ていたという。
テレビ中継局一覧
所在地 中継局名 (種別) 出力 総合 教育 RBC OTV QAB
石垣島 石垣 (アナログ) 1kW 9 12 30 28
(デジタル) 100W 26 (1) 24 (2) 33 (3) 35 (8) 36 (5)
川平 (アナログ) V500W, U300W 11 6 44 46
(デジタル) 30W 22 (1) 18 (2) 19 (3) 20 (8) 21 (5)
西表島 祖納 (アナログ) V30W, U100W 8 1 23 25
(デジタル) 1W 17 (1) 13 (2) 32 (3) 42 (8) 48 (5)
与那国島 与那国 (アナログ) 10W 37 39 41 43
(デジタル) 1W 36 (1) 45 (2) 29 (3) 35 (8) 47 (5)
内道 (アナログ) 0.1W 49 51 53 55
(デジタル) 0.01W 19 (1) 18 (2) 20 (3) 21 (8) 22 (5)
  • アナログ放送は内道局を除いてNHKはVHF、民放 (RBC、OTV) はUHFで放送。
  • デジタル放送のカッコ内の数字はリモコンキーIDの番号

脚注

  1. 離島関係資料(平成28年1月) 第1 指定離島・島しょ・人口 (PDF)”. 沖縄県企画部地域・離島課 (2016年1月). . 2017閲覧. - 面積0.01km2以上の島の数。尖閣諸島9島(魚釣島、久場島、南小島、北小島、飛瀬、沖ノ南岩、沖ノ北岩、沖ノ北岩北、大正島)を除く。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積 (PDF)”. 国土地理院 (2016年10月1日). . 2017-2-21閲覧.
  3. 平成28年 全国都道府県市区町村別面積調 沖縄県 (PDF)”. 国土地理院 (2016年10月1日). . 2017閲覧. - 八重山諸島に属する市町村の面積の合計。ただし、尖閣諸島の面積5.53km2を除く。
  4. 沖縄県市町村別最高点一覧”. 沖縄県企画部土地対策課 (2004年10月). . 2012閲覧.
  5. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「demography」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  6. 6.0 6.1 6.2 『やえやまなび』2015年改訂版(南山舎)
  7. 竹富町のあゆみ 竹富町
  8. 島の歴史 竹富島ゆがふ館
  9. 与那国島に関する主要歴史年表 (PDF)
  10. 波照間永吉「八重山の御嶽信仰習俗覚書」 沖縄芸術の科学:沖縄県立芸術大学附属研究所紀要 1、p.3-25、1988年3月31日、沖縄県立芸術大学

関連項目

沖縄県に属する諸島

外部リンク