動物園

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動物園(どうぶつえん)とは、生きた動物を飼育・研究し、一般に公開する施設。一般に陸上の動物を中心として扱うものを指す。水中の動物を中心として扱うものは特に水族館とされ、動物園の特殊な形態としてサファリパーク移動動物園、鳥類園、クマ牧場などがある。

一方で、動物にとって狭くストレスになったり飼育員の取り扱いが不適切であったりするという指摘がある。[1]

歴史

初期の動物園は、主に王侯が所有し政治的に修好関係を結ぶ、あるいは影響下に置いたり植民地として支配した国・地域から珍しい動物を集めてきた私的な施設であり、メソポタミア地中海世界・中国インドアステカなど世界各地で多元発生的に作られた。

一般公開された動物園として最も早いのは、フランス革命の後に公開されたパリ動物園(メナジェリー)(en)である。しかし、メナジェリーの施設や展示方式はオーストリアウィーンシェーンブルン宮殿脇に建てられたシェーンブルン動物園を真似たものであり、そちらも期間限定的ながらパリよりも先に一般開放された事実があることから、シェーンブルンを世界最古の動物園とする意見もある。

近代の動物園は単なる見世物ではなく、教育研究施設としての役割を強く持つべきであると考えられている。つまり、生きた動物を生きたまま収蔵する博物館としての性格が強い。最初の科学的動物園であるイギリスロンドン動物園1828年ロンドン動物学会の研究資料収集施設として創設されたが、その研究費用調達の方途として同年に一般公開された。動物園は英語ではzoological garden(s)(動物学的庭園)というが、これを縮めてzooと呼ぶこともロンドン動物園から始まった。

1907年、動物商であったドイツカール・ハーゲンベックハンブルクに動物を野生のままに展示するような動物園を作った。檻の中に閉じ込めるのではなく、野生の生態のままに観察できるやり方を「ハーゲンベック方式」(無柵放養式展示とも)という。ハーゲンベックが作った動物園がドイツ語Zoologischer Gartenと言ったことから、動物園で英語の正式表記にZoological Parkを採用しているところもいくつかある。

動物の展示

展示されている動物

ファイル:Tiger-2.jpg
ドルトムント動物園にて、泳ぐトラの様子

主に、陸上に生息する比較的大型の哺乳類鳥類といった動物が多い。園によっては、昆虫館や水族館などを併設して、昆虫類や水棲動物(爬虫類魚類両生類など)を展示している場合がある。

比較的身近にあるものとしては「こども動物園」として、低年齢の子供を対象にニワトリアヒルウサギヤギヒツジなどの家畜を放し飼いにして動物に触れることのできる小型の施設が多く存在し、大型の施設でも、同様のコーナーを持つ園もある。

また、クマ牧場北きつね牧場の様に単一の人気動物を扱った展示施設もある。

動物園の展示方法

  • 形体展示 - 剥製標本写真などで生物を見せる展示。
  • 生体展示 - 生きた個体の展示。
  • 分類展示分類学的展示) - 同じ種類の生物をひとまとめにして、見比べることが出来るようにした展示。
  • 地理学展示地理学的展示) - 同じ地域に生息する生物をひとまとめにして、見比べることが出来るようにした展示。
  • 無柵放養式展示(ハーゲンベック方式・パノラマ展示) - 堀(モート)を使用したモート式展示など、従来の檻や柵などの遮蔽物を使用した展示ではなく、生物を直接観賞出来るようにした展示。
  • 単一展示 - 同一の種類の生物だけを、同じ施設内で展示すること。
  • 混合展示 - 複数の種類の生物を、同じ施設内で展示すること。
  • 形態展示 - 生物の身体的特徴を見せるだけの、生物がただ生きているだけの展示。
  • 生態展示 - ランドスケープ・イマージョンなどを使用し、その生物が野生で生息してる環境を再現し、環境エンリッチメントなどを考慮した展示。
  • 行動展示行動学的展示) - その動物の特技や特長などの能力を、自然に誘発させて観賞者に見せるように工夫した展示。

各国の動物園

イギリス

イギリスでは1828年にロンドン動物園が開設され、動物を可能な限り自然に近い状態で展示することをコンセプトとしている[2]

アメリカ

アメリカでは1865年セントラルパークの一角に動物園が開設されてはいたが、1874年にできたフィラデルフィア動物園がアメリカ最初の動物園と称されている[3]

日本

法令上は博物館(場合によっては動物愛護管理法上、「第一種動物取扱業」)の一種とされる。

日本では寛政年間に「孔雀茶屋」や「鹿茶屋」など珍しい動物を飼育している施設があったが、主に茶代を利益とする店の宣伝目的であり、動物の収集を目的とするものではなかった[4]

日本最初の動物園は1882年上野恩賜公園内に現在の東京国立博物館が移転開設され、天産部付属施設として恩賜上野動物園の前身が作られたのが始まりと言われている。

これより以前に福澤諭吉が著書の『西洋事情・初編』(1866年(慶応2年))の中で「動物園には生きながら禽獣魚虫を養へり」と紹介している。動物園という呼称はZoological Gardensの訳で、これが初出という説がある(それまでは禽獣園と呼ばれていた)[5]

その後、全国の各地方都市に動物園が開園したが、戦時中にはほとんどの動物園が閉鎖状態となり[6]、戦後に徐々に再開されていく。1970年代まで教育施設としても子供連れを中心に親しまれ、またこの頃は移動動物園も多かった。だが1980年代以降は余暇活動の多様化や出生率の低下(少子化)等の理由によって入場者が減り、閉園に至る園も出た。

そうした環境下で行動展示等によって成功した例の一つに旭川市旭山動物園が挙げられている(収支を考えて疑問視する向きも一部にある)。

動物園の現況

現代の動物園では、単に動物を研究用に収蔵するあるいは市民の見世物とする事への批判が高まったこともあり、研究面では飼育下での繁殖などを通じて野生個体群における種の保存への還元のための基幹研究施設として市民社会向けには単なる珍獣の見世物ではなく、動物の生態をより高度に学ぶことができる生涯教育施設としての充実が求められている。

この一環として公益社団法人日本動物園水族館協会では、国内外の動物園と連携して動物の所有権を移動させることなく累代繁殖を行うための「ブリーディングローン」制度や種ごとに血統管理を伴う繁殖計画を策定する「種別調整者」制度を導入している。その代表例が希少種を特定の動物園に集約し繁殖・展示する公益財団法人東京動物園協会による「ズーストック計画」である。

また、展示面でも動物本来の動きを引き出す行動展示や生息地の自然環境を再現した「ランドスケープ・イマージョン」を取り入れた生態展示、夜行性の動物の活動中の状態を観察できるようにするための夜間開園など、よりアピール度の高い活動が行われるようになっている。

現在では様々な取組みが実を結び、入園者数が増加している園もある。しかし多くの場合は経営母体が都道府県市町村といった地方自治体であり、近年では自治体の財政難から指定管理者制度を導入したり(実質上の民営化)、展示動物数を減らしたり、運営費用の一部を市民や入園者からの寄付で賄ったりするなど、教育・研究施設として依然厳しい状況であることに変わりはない。

問題

動物はストレスで神経症的な行動を起こし、檻を往き来したり、頭を振ったり、糞を投げたりする。糞尿で足に感染症を生じる動物もいる。飼育員の中には動物の扱いが乱雑である者がいるという指摘がある。[7]更に、動物は自由や家族、自然を奪われ、長距離移動に耐えなけれならず、近親交配もなされるという批判がある。[8]

また、野生ライオンを映像で見る方が展示されたライオンを見るより教育になるという指摘がある。[9]

脚注

  1. ゲイリー・L・フランシオン. 動物の権利入門. 緑風出版. 
  2. ブルーガイド編集部『ロンドン (ブルーガイドわがまま歩き)』、2016年、68頁
  3. 渡辺守雄『動物園というメディア』青弓社、2000年、40頁
  4. 渡辺守雄『動物園というメディア』青弓社、2000年、41頁
  5. 上野動物園 - 上野動物園の歴史「開園前夜」
  6. 戦時猛獣処分を受け閉鎖された動物園について描いた童話「かわいそうなぞう」が有名。
  7. ゲイリー・L・フランシオン. 動物の権利入門. 緑風出版. 
  8. NPO法人アニマルライツセンター. “動物園・水族館に反対する4つの理由 | NPO法人アニマルライツセンター 毛皮、動物実験、工場畜産、犬猫等の虐待的飼育をなくしエシカルな社会へ” (日本語). アニマルライツセンター. . 2018閲覧.
  9. ゲイリー・L・フランシオン. 動物の権利入門. 緑風出版. 

関連項目

外部リンク

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