北浜

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北浜
—  町丁  —
座標: 東経135度30分09.8秒北緯34.691639度 東経135.502722度34.691639; 135.502722
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Osaka Prefecture.svg 大阪府
市町村 Flag of Osaka, Osaka.svg 大阪市
中央区
人口 (2015年(平成27年)10月1日現在)
 - 計 137人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 541-0041 

北浜(きたはま)は、大阪府大阪市中央区町名。現行行政地名は北浜一丁目から四丁目まで。2015年10月1日現在の人口は137人、世帯数は85世帯[1]郵便番号は〒541-0041。

地理

船場の北端に位置し、土佐堀川に面する。土佐堀通(外北浜通)と内北浜通の両側町で東西に細長く、1丁目から4丁目まである。

東側の1丁目と2丁目は江戸時代から同じ町名で、北浜駅に近く、一般的に北浜と言えばこの付近を指すことが多い。大阪取引所を中心とした金融街となっており、東京の金融街である兜町が「シマ」と呼ばれるのに対し、北浜は「ハマ」と呼称される。

西側の3丁目と4丁目はかつて過書町・大川町・梶木町・七郎右衛門町といった町名だったこともあり、淀屋橋駅に近く、北浜と呼ばれることはあまりない。また、4丁目は住友グループ企業の本社・本店オフィスが数多く立地していることから住友村とも呼ばれる。

なお、東端の東横堀川に架かる葭屋橋の東に北浜東という町名があるが、もとは京橋という町名であり、北浜には含まれない。

河川

歴史

1743年寛保3年)にの取引相場を決める金相場会所高麗橋より北浜へ移転。また、1777年安永6年)には長崎向けの輸出商品を売買する俵物会所が備後町から北浜へ移転された。明治以降は金相場会所跡地に大阪株式取引所(現・大阪取引所)が設置され、有力な両替商らによって銀行などが設立された。

1845年弘化2年)に大村益次郎福澤諭吉らを輩出した緒方洪庵が開設の適塾が津村東之町(現・瓦町3丁目)より過書町へ移転。1875年(明治8年)には蟹島新地とも呼ばれる北浜東端の築地において、大久保利通木戸孝允板垣退助らが会談して日本の三権分立と漸次立憲が決定づけられた大阪会議が開かれるなど、北浜は日本の近代化に大きな影響を与えたところでもある。

地名の由来

船場の北の浜(大阪では河岸(かし)を指す)による。

主な施設

交通

鉄道

道路

国道
主要地方道

関連項目

脚注

外部リンク

テンプレート:大阪市中央区の町名


座標: 東経135度30分09.8秒北緯34.691639度 東経135.502722度34.691639; 135.502722 (北浜)