協和発酵キリン

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協和発酵キリン株式会社(きょうわはっこうキリン)は、医療用医薬品事業・バイオケミカル事業等を行う、総合バイオメーカーである。キリンホールディングスの子会社で、キリングループに属する。

概要

1937年に寳酒造合同酒精・大日本酒類醸造の共同出資によって設立された「協和化学研究所」を淵源としている。当時は軍事用としてアセトンブタノールイソオクタンの必要性が高まっており、アルコール発酵の応用でアセトン・ブタノールやイソオクタンの微生物発酵による合成を研究することが主目的であった。1944年には製造プラントの稼動に漕ぎ着けたが、眠り病などの異常発酵の解決に手間取り、実際に量産体制を整えたのは終戦後の1948年にまでずれ込んだ。

その後戦時中の被害からの企業再整備に伴い、1949年に現在の会社を設立。加藤辨三郎が初代社長に就任し、発酵技術を基盤としてペニシリンストレプトマイシンなどの医薬品製造や焼酎をはじめとした醸造業として再出発した。1955年には合成清酒「利久」の醸造元だった利久発酵工業(理化学興業(株)、理研酒工業)を、1960年には「ダイヤ焼酎」などの醸造元だった日本酒類(大日本酒類醸造の後身)をそれぞれ吸収合併して酒類事業を拡大させる一方で、飼料や食品添加物、化学品への製造・販売にも進出した。

2000年以降は事業再編を精力的に行った。2002年9月に酒類部門をアサヒビールと合弁・分社化した「アサヒ協和酒類製造」に移行し、なお且つ酒類製造子会社であったサントネージュワイン(山梨県)、ほか2社の所有株式全てをアサヒビールへ譲渡。その後、2005年にアサヒビールとの合弁を解消し、現在はアサヒビールの子会社のニッカウヰスキーが協和醱酵工業が製造発売していた焼酎(大五郎、かのか、玄海)・ワインの製造を引き継いでいる(アサヒ協和酒類製造は2006年1月1日付けでニッカウヰスキーと合併した)。

フリーズドライスープの「本格派・たまごスープ」などで知られる食品調味料事業については、2005年4月1日に「協和発酵フーズ」として分社。その後、キリンビールグループとの経営統合により、2009年4月1日にキリンフードテック(旧・武田キリン食品)と統合し、キリン協和フーズ(現、MCフードスペシャリティーズ)が発足した。化学品部門は、化学品製造子会社である協和油化(1966年設立)と2004年に統合し、協和発酵ケミカル(現、KHネオケム)となった。

2007年10月、キリングループとの戦略的提携(キリン傘下入り)を発表。まずキリンホールディングスが友好的TOBによって協和醱酵工業株式28.49%を取得。そして2008年4月1日、協和醱酵工業がキリングループの医薬品事業会社であるキリンファーマを株式交換により完全子会社化。キリンホールディングスの株式保有比率は50.10%となり、同社の連結子会社となった。協和醱酵工業・キリンファーマ両社は、2008年10月1日に協和醱酵工業を存続会社として合併し協和発酵キリン株式会社となった。

現在は、医療用医薬品が連結売上高の約75%(2012年)を占め、医薬品メーカーとなっている。また連結売上高の約23%(2012年)を占めるバイオケミカル事業では、各種のアミノ酸の発酵生産において味の素社と双璧である。うまみ調味料として用いられるグルタミン酸ナトリウムにおいては味の素社に先んじて世界で初めてその発酵技術を確立した実績がある。

旧・協和醱酵工業は第一勧銀グループだが、傘下入りしたキリングループは三菱グループに属するため、協和発酵キリンは第一勧銀(現:みずほ銀行)色と三菱色を併せ持つ企業であるといえる。2017年現在協和発酵キリンは第一勧銀グループの社長会である三金会に加盟している[1]

防府工場には2002年まで硬式野球部があり、都市対抗野球にも何度も出場していた(1975年の第46回大会、1991年の第62回大会、2002年の第73回大会に出場)。主なOBには津田恒実広島)・上本達之西武)などがいる。

沿革

  • 1936年 - 寳酒造合同酒精・大日本酒類製造、購買・販売の効率化を図るために「協和会」を設立。
  • 1937年 - 協和会、協和化学研究所を設置。加藤辨三郎が所長に就任。
  • 1939年 - 日本共商(1937年に協和会の購買部門が独立して創業)、協和化学興業に社名変更し協和化学研究所の運営を承継。
  • 1943年 - 協和会を構成する三社と東洋紡績第一生命大日本麦酒醸造の共同出資により東亜化学興業が設立。東洋紡の防府工場を業態転換して、翌1944年にアセトンブタノールの製造プラントが稼動。
  • 1945年 - 東亜化学興業が協和化学興業を吸収合併、協和産業に社名変更。
  • 1949年 - 協和醱酵工業株式会社を創立し、協和産業の全事業を承継。
  • 1951年 - ストレプトマイシンの量産を開始。
  • 1955年 - 利久発酵工業を吸収合併。
  • 1956年 - グルタミン酸の生産技術を発明。
  • 1960年 - 日本酒類(大日本酒類製造の後身)を吸収合併。
  • 1961年 - 大協石油(現・コスモ石油)と合弁で大協和石油化学を設立。
  • 1966年 - 大協和石油化学より協和油化を分離、大協和石油化学は新大協和石油化学へ。
  • 1978年 - ジョンソン・エンド・ジョンソンと合弁でヤンセン協和を設立。
  • 1981年 - CIを導入し、シンボルマークを制定。(2005年にはシンボルマークを立体化した)
  • 1988年 - 日産化学工業高級アルコール事業を併合、日本オキソコール設立。
  • 1991年 - 日本オキソコールを協和油化へ併合。
  • 1995年 - リジンを巡る国際カルテルに加担していたことが暴露される。
  • 2000年 - 三菱化学と合弁でジェイ・プラス設立。
  • 2001年 - ジョンソン・エンド・ジョンソンとの提携解消、ヤンセン協和を譲渡し、同社はヤンセン ファーマとなる。
  • 2002年 - 酒類事業をアサヒビールへ譲渡。
  • 2003年 - 昭和電工と合弁で日本酢酸エチル設立。
  • 2004年 - 化学品事業と協和油化を統合、協和発酵ケミカル発足。
  • 2005年 - 食品事業を協和発酵フーズ(現・キリン協和フーズ)として分社化。事業持株会社制(医薬&バイオケミカル)へ移行。
  • 2008年 - 株式交換によりキリンファーマを完全子会社化、キリンホールディングスの連結子会社に。また、ファインケミカル事業を分社化し、協和発酵バイオ発足。同年キリンファーマと合併し、商号を協和発酵キリン株式会社に変更。シンボルマークも緑の「KYOWA[2]から、オレンジ色の「KYOWA KIRIN」に変更された。
  • 2010年 - 原料アルコール事業の販売部門を、(同じくキリングループの)メルシャンの同部門と統合し、第一アルコール株式会社を設立。
  • 2011年 - キリン協和フーズの株式をキリンホールディングスに譲渡。協和発酵ケミカル(現・KHネオケム)をみずほ系投資会社・日本産業パートナーズが組成する買収ファンドに売却。
  • 2012年 - 富士フイルム社とバイオシミラー医薬品についての開発・製造・販売の合弁会社「協和キリン富士フイルムバイオロジクス株式会社」を発足。大塚製薬社との糖尿病領域とがん領域についての戦略的提携を発表。協和発酵バイオ タイ現地法人を設立。宇部工場に新製剤工場を竣工。
  • 2013年 - 抗FGF23完全ヒト抗体KRN23の開発・販売を米国ウルトラジェニクス社と契約締結。シンガポールにトランスレーショナル研究所を開設。レオファーマ社とカルシポトリオールとベタメタゾンジプロピオン酸エステルの配合外用剤の日本における販売提携契約締結。
  • 2014年 - 英国ProStrakan社がArchimedes社を買収。高崎工場内に、新製剤棟を竣工。
  • 2015年 - 富士リサーチパーク内に新たな研究棟(IK8棟)を竣工。遺伝子組換えヒトアンチトロンビン製剤「アコアラン®静注用600」の国内承認取得。アストラゼネカ社とのBenralizumab(KHK4563)に関するオプション契約締結。
  • 2016年 - Kyowa Kirinブランド統一。高崎工場内にバイオ医薬原薬製造棟が竣工。
  • 2017年 - 協和キリンフロンティア株式会社設立。協和メデックス株式会社の株式譲渡契約を締結。

主な医療用医薬品

  など。

国内グループ会社

医薬

  • 協和メデックス
  • 協和メディカルプロモーション
  • 協和メディアサービス
  • 協和医療開発

バイオケミカル

かつてのグループ会社

不祥事

ファイル:KyowaHakkoKirin-TokyoResearchPark.jpg
マウスを紛失した東京リサーチパーク
  • 1995年、リジンをめぐる国際カルテルに加担していたことがFBIの盗撮によって暴露、告発された[3]
  • 2010年9月10日、「同年8月4日・11日、東京リサーチパーク研究棟内で薬の基礎研究のために飼育していた遺伝子組み換えマウスの雌計二匹を紛失した」と発表した。死んでいたマウスを誤って処分した可能性が高く、病原体もないことから、生態系への影響はほとんどない。しかし社内での調査・捜索を優先した結果、文部科学省への報告が最初の紛失から約3週間後の8月26日まで遅れ、遺伝子組み換え生物の扱いで要求される厳重な管理体制と迅速な報告体制の不備が浮き彫りとなった[4]

宣伝・広告

NNN JUST NEWS』の末期(1983年10月 - )から『NNNニュースプラス1』の途中( - 1995年3月)までと、『THEサンデー』(1995年4月 - 1998年3月)の中期の約15年間に渡り、日本テレビ系列のニュース番組や、TBS系列の『JNN報道特集』、フジテレビ系列の『小川宏のTOP情報』、『報道2001』の提供スポンサーを務め、「カラダワンダーランド」・「自然は大きなホスピタル」をテーマにした企業CMを流し、「医薬品メーカー・協和発酵」としての知名度を上げてきた。最近では、一社提供番組の水百景テレビ東京系列、2005年4月 - 2009年12月)や全国ネット番組のウェークアップ!ぷらす読売テレビ制作・日本テレビ系列、不定期枠)を提供していた。

2008年からは、竹内まりやの「人生の扉」をイメージソングとした企業CMが放映された(「協和発酵キリン」発足まで)。

現在は、『情熱の系譜』(テレビ東京系列)でCMと番組の垣根を越えた新たな形態のコンテンツを提供している。(2010年4月5日 - )なお、番組はYouTube情熱の系譜チャンネル、および番組連動HP上で番組放送と同時に視聴可能である。

なお、かつてアルコール類(焼酎「SUN」、チューハイ「SUNSHOWER」、「サントネージュワイン」)を展開していた当時、在京及び在阪局に限りスポットCMを多数出稿(=放送)していたが、焼酎「大五郎」については、全国基幹地域を中心にスポットCMを出稿。それと前後して「SUN」「SUNSHOWER」など焼酎関連商品のスポットCMも北海道、宮城、静岡など基幹地域の一部で出稿していた。

「SUN」については、歌手の麻倉未稀をCMキャラクターとして、1980年代末期に宇崎竜童と交代するまで比較的長きにわたり起用し続けた。

2001年には新聞広告として、両方の鼻の穴にティッシュペーパーを詰めた少女が登場する花粉症治療啓蒙広告(花粉なんか、)を発表した。同広告は第69回毎日広告デザイン賞の第3部「広告主参加作品の部」の最高賞を受賞した[5]

参考文献

脚注・出典

  1. 「六大社長会の加盟企業 秘2017年版バージョン」『週刊ダイヤモンド』2017年7月29日号、32-33頁。
  2. 合併前のシンボルマークについては、現在は協和発酵バイオが使用している。
  3. FBIが隠し撮り--暴かれた味の素/協和発酵らの謀議
  4. 遺伝子組換えマウスの不適切な管理について 協和発酵キリンニュースリリース(2010年9月10日)
  5. 2001年度・第69回 毎日広告デザイン賞 入賞作品展 展覧会リポート、株式会社JDN。(2014/9/29閲覧)

外部リンク

1966年、前身企業である協和発酵の企画の下で東京シネマが制作した短編映画《現在、上記サイト内に於いて無料公開中》。