原田大二郎

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原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年4月5日 - )は、日本俳優明治大学特別招聘教授。妻は英文学者で第5代東洋学園大学学長の原田規梭子[1]。女優で元AKB48岩田華怜は大姪(姉の孫)[2][3]

来歴

血液型はO型。左利き。横浜生まれの山口県育ち。2歳のとき、伯父養子となる。上関町八島田布施町城南(現在・宿井)、平生町佐賀、光市脇田(現在・光井4丁目)などに居住した。山口県立熊毛南高等学校を経て、1967年明治大学法学部を卒業後、劇団文学座に入座した。

1970年新藤兼人監督が1968年に起きた連続射殺事件の犯人である永山則夫を描いた映画『裸の十九才』で主役としてデビューを果たす。

1975年にテレビドラマ『Gメン'75関屋一郎警部補役で、全国に名前を知られるようになる。しかし余りに藤田美保子のアップが多いことに不満を持った原田が、まず夏木陽介に相談、夏木からは、それは自分ではどうする事も出来ないので、プロデューサーの近藤照男に言いいなさいと言われ、原田が近藤の所に改善を求めに直談判に行くと、近藤から不満が有るなら来なくていい。と突き放され、短期の出演、殉職という形で番組から降板することとなった。[4][5]


映画『蒲田行進曲』(橘役)、『敦煌』(敦煌市などでロケ)に出演。舞台は『アンナ・カレーニナ』に始まり『幻に心もそぞろ狂おしの我ら将門』『ジュリアス・シーザー』『十二夜』『喜劇おためし遊ばせ』『喜劇耳かきお蝶』など。また『にごり江』『王女メディア』『マクベス』『夏の夜の夢』など、演出家蜷川幸雄のもとで行うことも多い。宮崎駿監督『ハウルの動く城』の犬・ヒン役でも話題になった。

1985年に公開された邦画「哀しい気分でジョーク」に出演し、共演したビートたけしから、その演技力や個性を評価され、その後のバラエティの道へ開眼したことをラジオ番組にて告白した[6]。 その映画共演の関係から、1980年代後半に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に幸福配達人として出演し、気さくでひょうきんなキャラクターが受け、バラエティ番組やレポーターなどで活躍の機会が増える。

2001年から、明治大学で特別招聘教授として朗読を指導している。明治大学文化プロジェクトを立ち上げ、受講の学生を中心にシェイクスピア劇の上演を監修している。指導に約150日を費やす作業である。

バラエティ番組で見せるキャラクターから「うるさいおじさん」と言われることもある反面、情にもろいところもある。地元山口の放送局の番組に積極的に出演している。その縁で懇意にしていた山口放送アナウンサー・井上雪彦が急死したときは、急遽駆けつけ葬儀参列後、追悼番組に出演した。自筆の追悼文を読み上げた際に、嗚咽が止まらず、号泣していた。

中学校・高校での2年先輩に当たる朝日放送テレビアナウンサー道上洋三とは、在学当時から交流がある。現在でも、道上の冠番組『おはようパーソナリティ道上洋三です』(ABCラジオ)へたびたびゲストで出演。2012年8月13日月曜日)から17日金曜日)までは、夏季休暇中の道上に代わって、同番組のパーソナリティを務めている。なお、原田が(ラジオ・テレビを通じて)生放送の帯番組を取り仕切るのは、この時が初めて。また阪神タイガースが勝利した翌日には、同球団のファンとして知られる道上に倣って、生放送中に同球団の公式応援歌「六甲おろし」を披露している。

旅好きとしても知られる。旅好きになったきっかけは、青年時代にテレビで見ていた『すばらしい世界旅行』。こうした関係で2006年12月15日、『週刊お宝TV』(NHKBS2)で『すばらしい世界旅行』が特集された際、ゲストとして出演した。

児童文学作家那須正幹とは、同氏原作の映画『ズッコケ三人組』に共演して以来の親友であり、同名のテレビドラマやテレビアニメの声優もやっている。

囲碁が趣味で、1995年には『NHK囲碁講座』「美香の見合い大作戦」に吉田美香とともに出演。武宮正樹に師事。のちに小林千寿とも共演、小川誠子ら囲碁棋士との交流も深い。

「いじめ問題」の解決に意欲的であり、長男が中学時代に一部の同級生達からいじめに遭っていた事を告白し話題となった(当時子供のいじめは現在ほど問題視されておらず、著名人が我が子のいじめ被害を告白する事は異例であった)。また上記のいじめに立ち向かった体験を夫人と共に執筆し、講演活動も行っている。

山口県をPRする「山口ふるさと大使」に山口県知事二井関成から委嘱されている。

参院選出馬

2010年7月第22回参議院議員通常選挙山口県選挙区定数1)に民主党公認、国民新党推薦で立候補したが、自民党公認岸信夫に敗れた。現在は、俳優業に戻っている。東京都または光市光井在住。

出演

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

舞台

テレビアニメ

劇場アニメ

吹き替え

エッセイ

  • いじめなんかじゃ、くたばるもんか!-原田大二郎家の格闘二十年(規梭子夫人(前述)との共著、ハローケイエンターテインメント)

ラジオ

(第21&22回「走れ!彗星ランナー」 陸上部監督・末長武役)

バラエティ

CM

ゲーム

演出

脚注

  1. http://www.u-presscenter.jp/uploads/photos/5202.pdf 東洋学園大学広報室
  2. “AKB48岩田華怜、大叔父の俳優・原田大二郎が劇場公演に来場!”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2014年1月31日). http://www.cinematoday.jp/page/N0060173 . 2014閲覧. 
  3. “AKB48岩田華怜、俳優・原田大二郎は親戚だと明かす”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2013年1月8日). http://www.cinematoday.jp/page/N0049158 . 2014閲覧. 
  4. 『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 P.291-292 夏木は自分のアドバイスのせいで原田が降板になり、原田の力になれなかったことを今でも申し訳なく思っていると話している。
  5. 日本テレビ『いつみても波瀾万丈』 1996年1月7日放送 原田の「Gメン'75」の降板理由は諸説あり、放送当時は、障害を抱えた長男が生きるか死ぬかの大手術をする事になり、父親として息子の病魔と向き合うか、俳優としての天職に徹するかの板挟みになり、結局は、役者としての仕事を投げうってでも息子の闘病とつきあう道を選んだ、と報じられた。その期間、極度のノイローゼ状態に陥り、プロデューサーに「疲れた顔をしている」と言われた事に激昂し「疲れているのはあんたのせいだ」と降板を願い出て、一晩、電話で語り合った末「そこまで言うなら、殉職の回を用意するから、それまではしばらく遊んでいなさい」と了承され、殉職・降板が決まった、と原田本人が証言していた時期もある。つまりは、原田の降板は、単一の原因ではなく、原田自身の極度の神経衰弱に起因する、と考えるのが妥当である。
  6. 大竹まこと ゴールデンラジオ! 2012年5月8日放送分より
  7. “河合祥一郎「ゴドーを待ちながら」を新訳・演出、原田大二郎&高山春夫ら出演”. ステージナタリー. (2016年9月19日). http://natalie.mu/stage/news/202306 . 2016閲覧. 
  8. 風を見た少年”. メディア芸術データベース. . 2016閲覧.
  9. ハウルの動く城”. 金曜ロードSHOW!. . 2016閲覧.


外部リンク