原田憲

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原田 憲はらだ けん1919年2月12日 - 1997年1月29日)は、日本政治家衆議院議員(14期)、運輸大臣郵政大臣経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治

来歴・人物

大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、明治大学専門部政治科卒業。1947年、旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄鈴木善幸中曽根康弘増田甲子七中山マサ松野頼三倉石忠雄石田博英園田直櫻内義雄根本龍太郎佐々木秀世中村寅太など)。通算当選14回。

1968年第2次佐藤再改造内閣運輸大臣として初入閣。その後自民党国会対策委員長、第2次田中改造内閣郵政大臣などを歴任したが、1979年の総選挙では、日本共産党村上弘の返り咲きを許し落選する。大阪は自民党の地盤が脆弱であることを露呈した。自民党では大野伴睦村上勇水田三喜男派に所属したが、水田の死去後は田中派に加入。

1988年12月、竹下改造内閣経済企画庁長官に就任したが、リクルートからの献金問題で在職わずか30日で辞任に追い込まれた。1992年東京佐川急便事件に関連して経世会金丸信会長辞任後の後継会長選びで、座長見解として「小渕恵三君が適当と思う」とコメントしたことから、小渕会長への流れが急加速、その後の竹下派分裂・政界再編の遠因となった。

1996年、新しく導入された小選挙区制大阪9区から出馬。次期衆議院議長の最有力候補と目されていたが、世代交代の波に逆らえず新進党西田猛に敗れ落選。翌年の1997年1月29日、肺炎のため大阪府池田市の病院で死去。享年79(満77歳)。

所属していた団体・議員連盟

関連項目


議会
先代:
大出俊
日本の旗 衆議院懲罰委員長
1993年 - 1996年
次代:
奥田敬和
先代:
越智伊平
日本の旗 衆議院運輸委員長
1982年 - 1983年
次代:
福家俊一
公職
先代:
中尾栄一
日本の旗 経済企画庁長官
第39代:1988年 - 1989年
次代:
愛野興一郎
先代:
久野忠治
日本の旗 郵政大臣
第33代:1973年 - 1974年
次代:
鹿島俊雄
先代:
中曽根康弘
日本の旗 運輸大臣
第39代:1968年 - 1970年
次代:
橋本登美三郎
党職
先代:
金丸信
自由民主党国会対策委員長
第17代:1972年 - 1973年
次代:
福田一

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