四国攻め

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四国攻め(しこくぜめ)

四国征伐四国の役四国平定などの呼称も用いられる。

天正 13 (1585) 年,豊臣秀吉長宗我部元親をくだして四国を平定した戦い。元親は,永禄3 (60) 年土佐国長岡郡岡豊の家を継ぎ,以来四隣を征して土佐一国,さらに阿波国,讃岐国,伊予国を席捲し,天正 13年までにほぼ四国全域を征し,秀吉に対抗するようになった。秀吉は同年,紀伊根来を討って紀伊国を平定するや,同3月長宗我部討伐の兵を発し,同4月弟秀長に命じてこれを攻めさせた。元親は,防戦したが,同5月これにくだり,阿波,讃岐,伊予3国を没収され,土佐一国の支配のみを認められた。これによって四国は秀吉の掌握下に入った。



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