国際電信電話

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国際電信電話株式会社(こくさいでんしんでんわ)は、日本電信電話公社から国際電信電話株式会社法(昭和27年法律第301号)により1953年に分離独立し設立された電話会社である。法規制により日本と海外との国際電気通信国際電話を長らく独占的に扱っていた。事業者識別番号は001。略称はKDD国際電電国際電気通信連合のセクターメンバー。

KDDIの前身会社の1つである[1]

特殊法人時代

1985年3月までの日本の通信事業は、政府(郵政省)により、国内電話は日本電信電話公社国際電話は国際電信電話株式会社がそれぞれ郵政省の外郭団体として独占する形で事業を営んでいた。

太平洋戦争後、占領政策を進めてきたGHQは、国際通信設備の建設、保守を業務とする国策会社であった国際電気通信株式会社を解散させ、当該会社の保有する国際電信電話設備を逓信省に移管させ国内国際電気通信業務を所管させた。1949年に逓信省を郵政省電気通信省に分割し、国内国際電気通信業務を電気通信省に所管させた。

国際電気通信株式会社が半官半民の会社とし、国際通信施設の拡充を行っていたという先例があった事が指摘されていたが、電気通信大臣であった佐藤栄作は「電気通信省の管理者としては積極的な検討はしておらず、今日のところは国家的な使命を達成する意味において公共企業体の程度には是非とどめておきたいので、公共企業体移行への準備を進めている」[2]と述べ、1952年、電気通信省所管の国内国際電気通信業務は、公法上の特殊法人とし設立された日本電信電話公社に移管された。

翌1953年、国際電信電話業務については、国際電信電話株式会社(KDD)法に依り郵政省管轄の特殊会社として設立された国際電信電話株式会社に移管されることになった。国際電信電話は元国際電気通信株式会社の無線施設部門、日本電信電話公社中央局の国際通信部門、及び電気通信省の国際電気通信局を核とする本社部門によって組織された。

KDD法第2条により「国際電気通信業務」および「前号の業務に附帯する業務」を営むものと規定され、日本国内において唯一国際回線の保有を許可されていた。同法第2条2項により、郵政大臣の認可を受けて「会社の目的を達成するために必要な業務」、「前号の業務のほか、前項の業務の円滑な遂行に支障のない範囲内において、同項の業務を営むために保有する設備又は技術を活用して行う電気通信業務その他の業務」を営むことができると規定されていた。また独占的な国際通信事業者と見なされ、同法により企業活動が規制されていた。

1985年(昭和60年)電気通信事業法が施行された。本法施行までは公衆電気通信法の下、日本電信電話公社が国内公衆電気通信を、国際電信電話株式会社が国際電気通信を役務とすることができたが、電気通信事業法の施行により、電気通信事業への新規参入および電話機や回線利用制度の自由化が認められた。

国際電信電話法の改正と廃止

電気通信事業法の施行に関連し、1984年(昭和59年)12月に国際電信電話株式会社法の第一条と第二条が、以下のとおり改正[3]された

  • 改正前
    • 第一条 国際電信電話株式会社は、国際公衆電気通信事業を経営することを目的とする株式会社とする。
    • 第二条 国際電信電話株式会社(以下「会社」という。)は、国際公衆電気通信事業を営む外、郵政大臣の認可を受けて、これに附帯する業務その他前条の目的を達成するために必要な業務を営むことができる。
    • 第四条 会社の株式は、記名式とし、政府、地方公共団体、日本国民又は日本国法人であつて社員、株主若しくは業務を執行する役員の半数以上、資本若しくは出資の半額以上若しくは議決権の過半数が外国人若しくは外国法人に属さないものに限り、所有することができる。
    • 第九条 会社は、郵政大臣がこの法律の定めるところに従い監督する。
  • 改正後
    • 第一条 国際電信電話株式会社は、国際電気通信事業を経営することを目的とする株式会社とする。
    • 第二条 国際電信電話株式会社(以下「会社」という。)は、前条の事業を営むほか、これに附帯する業務及び、郵政大臣の認可を受けて、その他会社の目的を達成するために必要な業務を営むことができる。この場合において、同条の事業に附帯する業務に関し必要な事項は、郵政省令で定める。
    • 第四条 会社の株式は、記名式とし、政府、地方公共団体、日本国民又は日本国法人であつて社員、株主若しくは業務を執行する役員の半数以上、資本若しくは出資の半額以上若しくは議決権の過半数が外国人若しくは外国法人に属さないものに限り、所有することができる。
    • 第九条 会社は、郵政大臣がこの法律の定めるところに従い監督する。

この改正では、株式の関する事項について見直しは為されていない。

国際電信電話株式会社法は、1984年の後5回改正[4]された。
1997年6月の改正により国内電話事業に進出することが可能となり、7月から参入した。1998年に国際電信電話会社法が廃止され、会社法の定めによる企業法人となった。

完全民営化

日本国政府は、電気通信分野の規制緩和策の審議において、国際電信電話会社法の廃止および同社の完全民営化を閣議決定した[5]。決定に基づき1998年(平成10年)12月1日に国際電信電話会社法が廃止され、特殊会社ではなくなり、他社の国際通信への参入も自由となった。

完全民営化が実現する前の1997年(平成9年)11月25日に、新電電日本高速通信と合併する旨を発表。1998年(平成10年)12月1日に同社を吸収合併し、社名を国際電信電話からケイディディに変更した。

なお、電気通信事業法附則第5条によりKDDIが国際電電承継人とされ、この規定により東日本電信電話株式会社(NTT東日本)や西日本電信電話株式会社(NTT西日本)と伴に、電報の事業に係る業務のうち受付及び配達の業務を行うことが認められている。現在はKDDIがその事業を承継し、KDDIエボルバが運営している。

歴代社長

代数 氏名 在任 その他
初代 渋沢敬三 1953年(昭和28年) 大蔵大臣幣原内閣)、第16代日本銀行総裁東京帝国大学経済学部卒業
町田辰次郎
濱口雄彦 1962年(昭和37年) 東京帝国大学法学部卒業
大野勝三 1964年(昭和39年)
靱勉
菅野義丸 1971年(昭和46年)[6] 内閣官房副長官、日本国内航空社長、東京帝国大学法学部卒業
板野學
古池信三
増田元一
西本正

沿革

  • 1953年3月24日 - 国際電信電話株式会社法(昭和27年法律第301号)に基づき、国際通信部門を日本電信電話公社から分離し国際電信電話株式会社(KDD/Kokusai Denshin Denwa Co., Ltd.) を設立。本社は三菱21号館(旧ビル)に置いた。国際電信電話業務承継。
  • 1956年(昭和31年)2月22日 - 株式店頭公開[7]。日本の通信会社および特殊会社として初の株式公開企業となる。
  • 1960年(昭和35年) - 株式を東証・大証2部に上場。
  • 1963年(昭和38年)11月 - 茨城宇宙通信実験所(後に茨城衛星通信所へ改称)開設。
  • 1964年(昭和39年)- 太平洋横断ケーブル(TPC-1)開通。
  • 1969年(昭和44年)5月 - 山口衛星通信所開設。
  • 1970年(昭和45年) - 株式を東証・大証1部へ指定替え上場。
  • 1975年(昭和50年) - 国際ダイヤル通話サービス開始。
  • 1979年-1980年 - 国際電話料金値下げ要求阻止の為の汚職事件(KDD事件)が発覚。
  • 1996年(平成8年)- 英文社名表記にコーポレートタイトル「KDD ; Japan's Global Communications」を使用。
  • 1997年(平成9年) - 国際電信電話株式会社法の改正。7月よりルートKDD(国際電話接続用の国内幹線)を用いた契約者向け国内通信サービス開始。
  • 1998年(平成10年)
    • 7月1日 - NTT(現:東西NTT)との国内中継電話サービス「001国内電話サービス(識別番号:001)」開始。6秒1円のハドソン課金を採用。
    • 7月30日 - 電気通信分野における規制の合理化のための関係法律の整備等に関する法律[8]の第1条の施行[9]により、国際電信電話会社法が廃止され完全民営化。
    • 10月 - 第二電電国際電話サービス(識別番号:0078)に相互接続の回線を提供開始。
    • 12月1日 - 日本高速通信を吸収合併し社名をケイディディ株式会社とする。同時に郵政省共済組合 (9.26%) についでトヨタ自動車が第2位株主 (8.42%) となり、同社が役員を派遣し経営参画する。

短編映画

1957年から1960年代後半にかけて、国際通信関連技術について紹介する短編映画を計4本企画している。

  • 太陽と電波』(1957年)
当時の国際電話及び電信の主流だった短波通信について紹介。地球自転に伴う上空の電離層の変化と短波の関係のほか、当時の国際電信電話の施設や業務の一端も紹介されている。
  • 太平洋横断ケーブル』(1964年)
短波通信が限界に達していることを背景に、日米共同の事業として国際電信電話が1960年代前半にかけて展開してきた海底ケーブル敷設について紹介。この敷設に際して新たに開発された海底ケーブルの構造や、伝送の原理、更にこのケーブル敷設を担ってきたアメリカAT&T海底ケーブル敷設船ロングラインズ号が二宮沖(神奈川県)に出現し海底ケーブルを海岸に陸揚げさせている様子なども紹介されている。
  • 衛星通信』(1964年)
茨城県多賀郡十王町(現・茨城県日立市)に、1963年11月、茨城宇宙通信実験所が竣工。そこで実施された日米通信テストの模様を紹介。なお、映画の前半では衛星通信に関する説明、当時既に打ち上げられていた通信衛星の数々の紹介が為されている。
  • ケーブル・シップ KDD丸』(1967年)
日本で最初の本格的なケーブル敷設船として1967年に竣工したKDD丸[10]。この日本初のケーブル敷設船の構造解説と共に、建造の様子、そして竣工後行われた作業訓練も兼ねた航海テストの模様も紹介されている。

以上4本とも、東京シネマ(現・東京シネマ新社)の手により制作されており、現在は科学映像館(NPO法人・科学映像館を支える会)Webサイト内に於いて無料公開されている。

脚注

  1. 但し、公式には旧第二電電株式会社が設立した1984年6月が会社設立年月となっている。
  2. 参議院 第10回 電気通信委員会議事録による
  3. 1984年(昭和59年)法律87号
  4. 1990年(平成2年)法律65号、1992年(平成4年)法律61号、1991年(平成5年)法律63号、1997年(平成2年)法律98号
  5. KDD法廃止を閣議決定へ”. INTERNET Watch (1998年3月12日). . 2012閲覧.
  6. 1979年5月8日『朝日新聞』(東京本社発行)朝刊、23頁の訃報。
  7. 『株価20年 昭和33年版』 東洋経済新報社、1958年3月13日。
  8. 1998年(平成10年)法律58号
  9. 1998年(平成10年)政令第268号
  10. 現在は1992年に竣工した「KDDIオーシャンリンク」がその役割を引き継いでいる《→『海底ケーブルを修理する船を見てきた! 「KDDIオーシャンリンク」見学会レポート』(『INTERNET Watch』2010年10月1日付け掲載記事)》

関連項目

外部リンク