外国語

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外国語(がいこくご、: foreign language: langue étrangère: Fremdsprache)とは、外国で使われている言語のことである。

概説

外国語とは外国で使われている言語のことである。例えば、イギリス人にとっては、フランス語スペイン語ロシア語アラビア語中国語日本語などは外国語である。また、フランス人にとっては、英語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語、日本語などは外国語である。日本人にとっては、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語などは外国語である。ただし、日本人といっても日系人にとっては事情は異なり、日系ブラジル人にとってはブラジル語(ブラジル流のポルトガル語)は外国語ではない。特に日系ブラジル人2世、3世以降にとっては、ブラジル語は自国語である。日系ペルー人 2世、3世以降にとって、スペイン語は自国語である。

なお「外国語」と対比的な概念、つまり自国の言語は「自国語」や「母国語」と言う。

なお、「外国語」がどの程度理解しづらいかということは、自国語とその外国語との言語学的な姻戚関係の深さにもよる。たとえばスペイン人にとっては、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などはたしかに定義としては「外国語」なのだが、このうちイタリア語・スペイン語・フランス語に関しては、「外国語」ではあっても、特に学習しなくても言われていることのおおよその意味は分かる。スペイン語話者は、全く学習していなくても、イタリア語の放送を聞いておおよその意味が分かるし、イタリア語話者はスペイン語の放送を聞いておおよその意味が分かる。フランス人でもイタリア語やスペイン語の放送の概略を理解できる。というのは、イタリア語、スペイン語、フランス語はともにロマンス諸語であり、つまりローマ帝国の言葉であるラテン語が同帝国が支配した広大な地域の中で方言化したものがルーツであり、今も仏・伊・西語には共通の痕跡や類似した語彙や全く同形の語彙が多数残っているためである。ただし、スペイン人がイタリア語を正しく話すこと(イタリア人がスペイン語を正しく話すことなど)は学習しないと難しい。したがって、スペイン人とイタリア人がとりあえずコミュニケーションする時は、無理して相手の言葉を間違いだらけで話すよりも、それぞれの自分の母国語を話し、相手はそれを聞いておよその意味を理解し、また母国語で返答し相手に理解してもらう、ということを繰り返せば、コミュニケーションがおおむね成立する。

(なおそれと同様に、東アジアの漢字圏では、漢字を用いた筆談が相当程度成立する。たとえば、台湾語を学んだことの無い日本人でも、単純なことであれば、望みのものごとを漢字の用語で書いて見せれば、ある程度理解してもらえることも多い。音声レベルや語順では台湾語と日本語はすっかり外国語で、かなり異なっていても、どちらも漢字を用いているおかげで、単純な語彙レベルでは視覚的にほぼ同形のものが今でも相当割合あるおかげである。)

外国語学習

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ドイツでのフランス語学習風景。フランス語を学んでいるドイツ人学生が臨時の先生役になって説明しているところ。

ヨーロッパでは外国語学習は行われている。イギリス人がフランス語、ドイツ語 、イタリア語、スペイン語などを学んだり、フランス人が英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語などを学ぶということは行われている。

先進諸国の中で外国語の学習意欲が特に低い国は米国である、と言われる。米国が軍事力や経済力によって世界の広い領域で影響力をふるってきたのでアメリカ英語が通じる地域が多いために、米国人は米語で済ませてしまう傾向があり、結果として外国語を学んだことも無いような米国人、外国語の知識が全く欠如したような米国人が非常に多い。

日本における外国語学習

その時々の世界情勢、主に日本が交流している国々を考慮しながら、日本人は学習する言語を選んできた。

平安時代においては、日本では海を隔てた大陸にある大国、中国との交流が非常に盛んで、中国の言葉を学ぶことが一般的であった。いわゆる漢語であるが、教育を受けた者の中には中国式の発音や文法等もしっかり学び習得している日本人もいた。中でも突出して外国語の習得力に優れていたのは空海である。空海は中国語を使いこなし、文法的にも間違いが少なく、漢詩をすらすらと書くことができた。804年の中国への留学時に、乗り込んでいた船が嵐にやられ、座礁するような形でようやく中国の海岸に辿りついた時、船に乗り込んでいた日本の役人(遣唐大使)は中国語がうまく使えなかったが、空海が代わりに話して窮地を切り抜け、また、助けを求めるために福州の長官へ嘆願書を書くことも空海が代わりに行った。その手紙の文章(中国語)があまりに見事で美しかったために、それを受け取った長官が感動し、一行を特別待遇で迎え入れ、さまざまな便宜をはかってくれたという。

江戸幕府が鎖国政策を敷いていた時、例外的に出島を設置し、最初はポルトガルと交易したので、ポルトガル語を学ぶ人が多かった。その影響で、日本語にはポルトガル語の影響を受けた語彙(外来語)が多数残っている。例えば、カルタビードロボタンブランコパンタバコジュバン金平糖などである。後にオランダと交易するようになり、外国語を学んでいる人の大部分はオランダ語を学ぶことになった。 幕末では主としてオランダ語が学ばれていた。たとえば福沢諭吉はオランダ語を学び、オランダ語通訳として働き、海外との人脈を作ったり海外からの情報を得ていた。しかし、日本と米国日米修好通商条約を結ぶと主たる貿易相手・交流国は米国となり、日本にやってきた米国人にはオランダ語が全然通じない、という苦しい状況になり、福沢は英語を学ぶようになった、と福沢の自伝(『福翁自伝』)などに書かれている。

明治維新で政権を握った人々は、西欧のどの国の制度を模倣するかということで、様々な意見を言う人々がいた。イギリスフランスの諸制度を取り入れるべきだという人々がいた。こういう人々は英語やフランス語を特に学んでいた。またドイツ帝国から諸制度を取り入れるべきだと言う人々もいた。こういう人はドイツ語を学んでいた。いくつかの方向性があったのである。たとえば、法政大学の前身には1880年開設の東京法学社(のち東京法学校)および1886年開設の東京仏学校があり、フランス語を学び、フランス系の法学を日本にもたらす役割も果たしていた。また、たとえば1883年に設立された獨逸學協會學校ではドイツ語が学ばれていて、ドイツ系の法学も日本に伝えられることになった。

伊藤博文などが権力を握り、ドイツ帝国を模倣する方向で近代化を進めることにしたので、結果として日本ではドイツ語の学習が盛んになった。この時代、医学を学ぶ人は主としてドイツ医学から学び、ドイツ語を学んでいたので、現在でも医療関係用語には患者を「クランケ」と言うなど、ドイツ語がいくつも残っている。ただ、世界最大の植民地を所有していたイギリスの制度や情報を取り入れる必要から、この時代に最も学ばれた言語はイギリス英語であった。(なお、この時代では「英語」を学ぶと言う場合、ブリティッシュ・イングリッシュ(イギリス英語)が主流であった。)また日本の北側にはロシアがあり、隣国のひとつで交流・交易もあったので、ロシア語の学習や制度等の研究もそれなりに行われていた。


第二次世界大戦下

軍国主義化した政府によって英語は「敵性語」として禁止されてしまい、学ぶことができなくなった。

第二次世界大戦後

米国の軍が進駐し、日本は米国の管理下に入ったので、英語が盛んに学習されるようになった。その後、日本は米国の同盟国という扱いになり、米国の影響を強く受け続けたために、(ブリティシュ・イングリッシュではなく)アメリカ英語のほうの学習・教育が盛んに行われるようになった。なお学校教育においては、英語は「外国語」という教科の1科目であるが、殆どの学校では英語が選択されている。この傾向は、教育カリキュラムでの「外国語活動」という枠の導入以来さらに強まった。

昭和時代から暁星学園では中学・高校一貫でフランス語教育を行っている。

第二次世界大戦後、日本が米国の影響を強く受けたために、「第一外国語」に英語が選ばれることが増えた。昭和時代を通じて、「第二外国語」としてフランス語ドイツ語などを学ぶ大学生が多かった。ただし西洋史・西洋哲学・西洋芸術などを専門としている人は、その学問領域における重要な書籍を読むために、フランス語やドイツ語を、英語同等あるいは英語以上に力を入れて学ぶ人も多かった。

20世紀半ばまでは、欧米などに海外留学する場合、1カ月以上かけてに乗ってゆかなければならず、また日本円の貨幣価値(為替レート)が非常に低く現地の滞在費が高額であったために、留学は困難なことであった。

なおこの時代すでに、NHKのテレビ放送やラジオ放送で主要外国語の入門講座は開かれており、入門段階ではそれを利用して学ぶことはきわめて一般的であった。

平成期

平成期には小学校から英語教育が行われるようになった。

公立の中等教育中学校高等学校中等教育学校)においては、原則的に英語が学習されている。ただし、高等学校の中には、英語に加えて(あるいは英語のかわりに)フランス語ドイツ語(標準ドイツ語)中国語標準中国語)、韓国語などの外国語を学ぶことができる学校もわずかながら存在する。例えば、暁星学園では現在も中学・高校一貫でフランス語教育を行っている[1]

センター試験受験者数の比率としては、2011年度の受験者で英語が519538人で、中国語392人、韓国語163人などである[2]

大学になると、外国語学部を設置している大学であれば、その外国語学部で様々な言語を学ぶことができる。また外国語に特化している大学では多種類の言語を学べるようになっている場合がある。例えば東京外国語大学では、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、朝鮮語、モンゴル語、インドネシア語フィリピン語ベトナム語ラオス語カンボジア語タイ語ヒンディー語ウルドゥー語アラビア語トルコ語などを学ぶことができ、さらに、もっとマイナーな言語、一般の人では名前(言語名)すら聞いたこともないような言語についても資料・教材等があり学習できる場合もある。

外国語・外国文学を専門としない大学生は、2つの外国語を2年程度学ぶのが一般的である。カリキュラムもそのように編成してあることが多い。各人の学ぶ外国語を「第一外国語」「第二外国語」と区別している大学も多い。

スイスなど、ほとんどの国民が3~4ヶ国語話せるのが当たり前の国などと比較すると、統計的に見れば、日本人はあいかわらず語学はあまり得意としてはいない部類になる。(もっとも、イタリアではほとんどのイタリア人はイタリア語しか話せず、英語は大抵ひどく苦手なので、比較する国による。)

フランス語の学習者は、平成期の日本では学習者数が減少傾向にある。とは言っても、フランス語・ドイツ語・スペイン語などを実用的に使いこなせる人材は、日本国内の大学のフランス文学科・フランス語学科・ドイツ文学科・ドイツ語学科・スペイン語学科などから毎年多人数輩出されており、たとえば日本の商社の従業員として、あるいはテレビ局の海外駐在員として、あるいは日本国内の「外資系企業」の従業員、あるいは外務省の職員などとして採用され活躍しており、それが世界における日本の経済活動や政治活動を支えている。 平成時代になると、中華人民共和国が経済力を高めていることを背景に、仕事などに役立つことを期待して中国語を学ぶ人が増えている。また、大韓民国との文化交流の増加(韓流音楽 韓流ドラマの日本での流行)を背景に韓国語を学ぶ人も増えている。韓国語と日本語は同じ語族に属す言語で、主語・目的語・述語の順(配列)がほぼ同じになり、共通のルーツを持つ語彙も多いので外国語の中では比較的学びやすい言語のひとつである。

学生でなくても外国語学習は容易にできる。今もNHKのテレビ放送やラジオ放送で主要外国語の入門講座は開かれており、また放送大学で主要言語の講座は無料で視聴できる状態になっており、また最近ではインターネット経由で様々な言語の音声やテキストに触れることができ、各国のテレビ放送もネット経由で視聴する方法がある。ネイティブの教師から直接に学びたい場合、日本国内に学習施設は多数ある。たとえばフランス語ならば、フランス政府系の組織である「アンスティチュ・フランセ 日本」の施設(東京、横浜、九州など)でフランス人から学ぶことができる[3]。また東京・神田にあるフランス語学校の老舗アテネ・フランセでもフランス人から学ぶことができ、フランスの学校に入学するのに必要な資格すら取得することができる。またたとえば、スペイン語ならば、スペイン政府系の組織である「セルバンテス文化センター」でスペイン人から学ぶことができ[4]。 イタリア語ならば、イタリア政府(イタリア外務省)の組織であるイタリア文化会館で学ぶことができる[5]。ドイツ語ならば、ドイツ政府系の組織である「ドイツ文化センター」で学ぶことができる[6]北海道・函館などにはロシア語の教育機関もある[7]。日本国内にはマイナーな言語を教えている施設もある。さまざまな言語を教える学校が、しかも各国の政府系の学校が、日本国内に多数存在している。

かつては留学はハードルが高かったが、昭和後期~平成の現在では安価になった航空料金で航空機に乗って容易に海外に行け、しかも20世紀半ばと比べて円が相当に強くなっているので、留学のハードルは下がっており、語学を中級程度まで日本国内で習得した段階で当該言語が話されている国に留学することで語学力を向上させる、ということもごく一般的になっている。

脚注

関連項目

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