大乗仏教

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大乗仏教の内、後期密教を含まないもの(黄)含むもの(橙)、上座部仏教(赤)の分布図。経典言語の違いに着目した場合は、赤:パーリ語、黄:漢訳、橙:チベット語[注 1]にほぼ対応する。この地図には図示されていないが、インド仏教とネパールのネワール仏教ではサンスクリット語の仏典が用いられている。

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、: महायान Māhāyāna, : Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。

概要

名称

大乗はサンスクリットのmahā-yānaの訳であり、大きな乗り物の意[2]摩訶衍摩訶衍那と音写される[2]。乗り物とは仏教の教義体系を指す[2]。大乗とは、偉大な教え・優れた教えの意味である[2][注 2][注 3]

大乗の語は、漢訳の初期教典と部派教典にも見られるもので[4]摩訶衍(まかえん)はその音写とされ摩訶衍を採る経典も多くある[5]。摩訶衍は後漢時代の漢訳『雑譬喩経(支婁迦讖訳)』、三国時代の漢訳『舊雑譬喩経(康僧会訳)』、南北朝時代の漢訳『央掘魔羅経求那跋陀羅訳)』からすでにみられるが[6]、央掘魔羅経は大乗の語も合わせて用いている[7][9]

パーリ上座部の文献やスリランカの史書に出てくる方等(ほうとうぶ)あるいは方広部(ほうこうぶ、: Vetulla, Vetullavādin, Vetulyaka[10], : Vaitulyavādin, Vaitulika)という言葉は大乗を指していたと推定される[11][12][15]

小乗という訳語は部派仏典には瞿曇僧伽提婆(ゴータマ・サンガデーヴァ)による漢訳『増一阿含経』に一例だけみられるが[16]、あらゆる般若経の最古形とされる『道行般若経』には「小乗」(Hinayāna)の語はない[17]。「小乗」の語の成立は「大乗」の語より遅れており、起源も別であるらしい[17]。大乗経典が生まれてくる過程において、その一部に「小乗」の語が考案されて用いられたとされる[17]。この語は部派仏教の全てを指すのではなく、説一切有部のみを、もしくはその一派のみを小乗と呼んだことが、ほぼ論証されている[17]

教義

大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと[18][注 4]如来蔵説が唱えられたこと[21]などがある。

これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していった。そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがある。

自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、大乗の求道者は、阿羅漢ではなく他者を救済するブッダに成ることを主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創りだしていった。

発展の諸相

ブッダとは歴史上にあらわれた釈迦だけに限らず、過去にもあらわれたことがあるし未来にもあらわれるだろうとの考えはすでに大乗以前から出てきていたが、大乗仏教ではこれまでに無数の菩薩たちが成道し、娑婆世界とは別にある他方世界でそれぞれのブッダとして存在していると考えた。この多くのブッダの中に西方極楽浄土阿弥陀如来や東方浄瑠璃世界の阿閦如来薬師如来などがある。また、歴史的存在、肉体を持った存在であった釈迦の教えがただそのまま伝わるのではなく、大乗仏教として種々に発展を遂げ、さまざまな宗派を生み出すに至る。三法印などすべての宗派に共通する教義も多々ある。

顕教

インド

ネパール

チベット

中国・日本

天台宗

智顗538年-597年)を実質的な開祖とし、『法華経』を根本経典とする宗派。

浄土教

阿弥陀仏極楽浄土往生することを説いている[22]。『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の「浄土三部経」を根本経典とする[23]

参照: 浄土教

座禅を中心においた修行によって、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする[24][25]

参照:

密教

インド

ネパール

チベット

中国

チベット

日本

大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持  ・祈祷 を重んじる[26]。根本経典は『大日経』と『金剛頂経』。天台密教では『蘇悉地羯羅経』も重視する

参照: 密教

伝播

紀元前後より、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国朝鮮日本ベトナムに伝わっている(北伝仏教)。またチベットは8世紀より僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入、その後チベット人僧侶の布教によって、大乗仏教信仰はモンゴルや南シベリアにまで拡大されていった(チベット仏教)。

7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教神秘主義の一潮流であるタントラ教Tantra または Tantrism)と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができとなること(即身成仏)ができるとする。密教は、インドから中国・韓国・日本へ、チベットブータンにも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。

考古学的には、スリランカ、そして東南アジアなど、現在の上座部仏教圏への伝播も確認されている。スリランカでは東南部において遺跡が確認されており、上座部仏教と併存した後に12世紀までには消滅したようである。また、東南アジアではシュリーヴィジャヤなどが大乗仏教を受入れ、その遺跡は王国の領域であったタイ南部からスマトラジャワなどに広がっている。インドネシアのシャイレーンドラ朝ボロブドゥール遺跡なども著名である。東南アジアにおいてはインドと不可分の歴史的経過を辿り、すなわちインド本土と同様にヒンドゥー教へと吸収されていった。

脚注

注釈

  1. 図では漢訳仏典に基づく東アジア仏教圏は大乗に、チベット仏教は金剛乗(密教)にラベリングされている。チベット仏教とは密教であると誤解されることがあるが、実際のところチベットの仏教観では、金剛乗は釈尊が段階的に説いた教えのひとつであり、小乗・大乗・金剛乗のすべての教えの完備が尊重されている[1]
  2. なお、[2]
  3. アルダマーガディー語に近縁するプラークリットであるパーリ語では mahā jana は「大勢の人々(大衆)」という意味。[3]
  4. 波羅蜜という用語が現れたのは、かなり後に編纂された部派仏典のわずかな経論や[19]ジャータカ系・仏伝系の経典から[20]

出典

  1. 吉村均「チベット・ネパール仏教の実践」『仏教の事典』 末木文美士・下田正弘・堀内伸二編、朝倉書店、2014年。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 中村元 『広説佛教語大辞典 中巻』 東京書籍、2001年6月、1120頁の「大乗」の項目。※同頁によれば、ジャイナ教での用例の出典は『アーヤーランガ』の一・三、四・二。
  3. 『パーリ仏教辞典』 村上真完, 及川真介著 (春秋社)1487頁。
  4. 大乗 (阿含部・毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  5. 摩訶衍 - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  6. 摩訶衍(阿含部「央掘魔羅經」, 本縁部「舊雜譬喩」「舊雜譬喩經」) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  7. 大乗 摩訶衍(央掘魔羅經) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  8. 『大蔵経全解説大事典』雄山閣、30頁。
  9. 大正蔵の阿含部に収められている央掘魔羅経は大乗経典である[8]
  10. Vetulla:m. 方等部, 方広部, 大乗仏教. -pițaka 方広説の三藏, 大乗経. -vādin 方等部, 大乗説者. (水野弘元「増補改訂 パーリ語辞典」 p.302)
  11. 馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、145頁、152頁、157頁、167頁・註(20)、169頁・註(44)、170頁・註(61)。
  12. Vetullavada - Wisdom Library
  13. 平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新版2011年(初版1974年)、170頁、322頁。
  14. 馬場紀寿「上座部仏教と大乗仏教」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』高崎直道監修、桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編著、春秋社、2011年、167頁・註(20)、169頁・註(44)。
  15. 平川彰は Vetullavāda を方広派、Vetulyaka を方広部と翻訳している[13]パーリ語 vetulla はパーリ語文献では異端という否定的意味で用いられたが、これは九分経のひとつである vedalla (広破)が変化したものと推測され、これに対応するサンスクリットの vaipulya (方広)、vaidalya (広破)、vaitulya (無比)は大乗側では自称として用いられたものである[14]。cf. 付録3 「大乗」のニュアンス─世親、親鸞に通づるもの - 真宗大谷派 西照寺
  16. 小乗 (阿含部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  17. 17.0 17.1 17.2 17.3 『バウッダ』 中村元・三枝充悳著. 小学館. 337-338頁。
  18. 『バウッダ』 中村元・三枝充悳著. 小学館. 337-339頁。
  19. 波羅蜜 (阿含部・毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  20. 波羅蜜 (本縁部) ※鳩摩羅什以前の漢訳で訳者が明白な経典のみ表示。 - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
  21. 如来蔵(にょらいぞう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. . 2017閲覧.
  22. デジタル大辞泉「浄土教」
  23. 融通念仏宗では、『華厳経』・『法華経』を正依とし、「浄土三部経」を傍依とする。
  24. デジタル大辞泉「禅宗」
  25. 『大辞林』第三版「禅宗」
  26. デジタル大辞泉「密教」

関連項目



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