宇治拾遺物語

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宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり)は、13世紀前半頃に成立した、中世日本説話物語集である。『今昔物語集』と並んで説話文学の傑作とされる。編著者は未詳。

概要

題名は、佚書宇治大納言物語』(宇治大納言源隆国が編纂したとされる説話集、現存しない)から漏れた話題を拾い集めたもの、という意味である。全197話から成り、15巻に収めている。古い形では上下の二巻本であったようだ。

収録されている説話は、序文によれば、日本のみならず、天竺(インド)や大唐(中国)の三国を舞台とし、「あはれ」な話、「をかし」な話、「恐ろしき」話など多彩な説話を集めたものであると解説されている。ただ、オリジナルの説話は少なく、『今昔物語集』など先行する様々な説話集と共通する話が多い(説話の直接の出典には、『古事談』『十訓抄』『打聞集』などに類似の話が見られ、『今昔』との重出話にいたっては80余話もの数にのぼる)。

貴族から庶民まで、幅広い登場人物が描かれている。また、日常的な話題から滑稽談までと内容も幅広い。
「芋粥」や「絵仏師良秀」は芥川龍之介の短編小説の題材に取り入れられている。

『宇治拾遺物語』に収録された説話の内容は、大別すると次の三種に分けられる。

  • 仏教説話(破戒僧や高僧の話題、発心・往生談など)
  • 世俗説話(滑稽談、盗人や鳥獣の話、恋愛話など)
  • 民間伝承(「雀報恩の事」など)

民間伝承には、「わらしべ長者」や「雀の恩返し」、「こぶとりじいさん」などなじみ深い説話が収められている。仏教に関する説話も含むが、どちらかというと猥雑、ユーモラスな話題(比叡山稚児が幼さゆえの場違いな発言で僧侶の失笑を買う、等)が多く、教訓や啓蒙の要素は薄い。信仰心を促すような価値観に拘束されておらず、自由な視点で説話が作られている。その意味において、中世説話集の中では特異な存在である。

成立

『宇治拾遺物語』は、1213年建保元年)から1221年承久3年)頃にかけて成立したらしい。序文では、この説話集の成立の経過について、次のようなことが書かれている。

  1. まず、「宇治大納言」と呼ばれた貴族、隆国によって書かれたという『宇治大納言物語』が成立した(現在は散佚)。
  2. その後、『宇治大納言物語』が加筆・増補される。
  3. この物語に漏れた話、その後の話などを拾い集めた拾遺集が編まれた。

いずれにしても、成立について諸説あるが、『古事談』を直接の出典としている話が包含されていることにより、その成立期である建暦期であるとする説や第159話に「後鳥羽院」という諡号が出てくるのでこの諡号が出された仁治3年(1242年)以後まもなく、とする説もある。

現存の『宇治拾遺物語』はこうして成立したらしいが、3.がさらに抄出された版であるという見方もなされている。一方で、この序文自体が編者もしくは後世の創作であるとする説もある。

原典

二十数種の伝本があり、古本系と流布本系に大別される。前者は宮内庁書陵部御所本が代表的な伝本。後者は万治二年板本で、挿絵入りで、内閣文庫他に現存する。

外部リンク