安井謙

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安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年3月10日)は、日本政治家参議院議長(第13代)、参議院副議長(第11代)、自治大臣第4代)、国家公安委員会委員長第13代)、総理府総務長官第14代)、参議院議院運営委員長(第16代)、自由民主党参院議員会長(第9代)・参議院幹事長参議院議員(6期)等を歴任した。

兄は戦後、公選の初代東京都知事を務めた安井誠一郎

概要

岡山県出身。旧制岡山第二中学校旧制第六高等学校京都帝国大学経済学部卒業。京都帝国大学在学中は学生運動に参加し、左翼思想に傾倒していたため周囲から「マルクス坊や」と称されていた。1935年南満州鉄道に入社する[1]

第二次世界大戦後、初の公選により東京都知事に選出された兄・安井誠一郎の秘書を務める。1950年第2回参議院議員通常選挙自由党公認で東京地方区(定数4)から出馬し、281,256票を獲得してトップ当選を果たした。以後、6期36年にわたり参議院議員を務め、1955年保守合同により自由民主党結党に参加。1957年参議院議院運営委員長に起用され、1959年まで務める。また党務では田中角栄三木武夫福田赳夫ら歴代の総裁の下で自由民主党参議院議員会長、参議院幹事長、東京都連会長等を歴任した。

第5次吉田内閣労働政務次官を務め、第2次池田内閣自治大臣国家公安委員会委員長に任命され、初入閣を果たした。第1次佐藤第1次改造内閣総理府総務長官に任命され、2度目の入閣を果たす。総理府総務長官在任中は建国記念の日導入に携わった。

1968年重宗雄三参議院議長の下で参議院副議長に就任する。1971年まで3年間副議長を務め、1977年には参議院議長に就任した。1980年6月22日衆参同日選挙では、参議院議長の職責を果たすため、自民党の党籍を離脱し、無所属東京地方区から出馬。自民党の推薦も受け、過去最多の1,315,583票を獲得してトップ当選した。なお、安井が6回の選挙でトップ当選できなかったのは、1968年第8回参議院議員通常選挙で、公明党阿部憲一の得票数を約1万票下回った時のみである。同年7月7日、参議院議長を退任(後任は徳永正利自民党参院議員会長)。1981年11月、勲一等旭日桐花大綬章受章。

1986年3月10日、急性心不全のため死去した。74歳没。

所属団体・議員連盟

  • 日仏友好議員連盟
  • 日韓友好議員連盟

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第2回参議院議員通常選挙 1950年6月4日 東京都地方区 自由党 281,256 ' 1/17 - -
第4回参議院議員通常選挙 1956年7月8日 東京都地方区 自由民主党 473,549 ' 1/17 - -
第6回参議院議員通常選挙 1962年7月1日 東京都地方区 自由民主党 794,618 ' 1/24 - -
第8回参議院議員通常選挙 1968年7月7日 東京都地方区 自由民主党 821,204 ' 2/24 - -
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 東京都地方区 自由民主党 1,268,412 ' 1/20 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 東京都地方区 無所属 1,315,583 24.8 1/11 - -
当選回数6回

著書

脚注


関連項目

外部リンク


議会
先代:
河野謙三
日本の旗 参議院議長
第13代:1977年 - 1980年
次代:
徳永正利
先代:
河野謙三
日本の旗 参議院副議長
第11代:1968年 - 1971年
次代:
森八三一
先代:
石原幹市郎
日本の旗 参議院議院運営委員長
第16代:1957年 - 1959年
次代:
高橋進太郎
公職
先代:
臼井荘一
日本の旗 総理府総務長官
第14代:1965年 - 1966年
次代:
森清
先代:
周東英雄
日本の旗 自治大臣
第4代:1960年 - 1962年
次代:
篠田弘作
先代:
周東英雄
日本の旗 国家公安委員会委員長
第13代:1960年 - 1962年
次代:
篠田弘作
党職
先代:
郡祐一
自由民主党参院議員会長
第9代:1973年 - 1977年
次代:
徳永正利

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