安房郡

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千葉県安房郡の範囲(1.鋸南町 水色・薄緑:後に他郡から編入した地域)

安房郡(あわぐん)は、千葉県安房国)の

人口7,657人、面積45.19km²、人口密度169人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。

歴史

古代

ファイル:藤原宮跡出土 木簡「上挟国阿波評松里」 (複製).JPG
藤原宮跡出土木簡(複製)
「上捄国阿波評松里」の表記が見られる。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。

阿波国造の領域を中心に編成された。養老2年(718年)に安房国が分離するまでは上総国に属し、安房国分立後は同国に属した。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、安房坐神社(安房神社)の所在地として重んじられ、文武天皇4年(700年)2月5日には郡司に近親者の連任が許されている[1]。一般にを治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、安房郡では神社を代々まつってきた安房国造一族が重視されたものである。なお、藤原京出土木簡に「己亥年十月上挟国阿波評松里」(己亥年は西暦699年とあり、また平城宮木簡に「上総国阿波郡片岡里服織部……」とも見え、上挟(上総)、阿波(安房)、(郡)の表記であったものと考えられている。

近代

元は安房国の南西部のみを領域とし、同国北西部の浦賀水道沿岸および平久里川流域は平群郡(のち平郡)、北東部の加茂川流域は長狭郡、南東部は朝夷郡に属していた。郡制施行時の1897年明治30年)に平郡以下の3郡を編入して安房国全域が安房郡1郡のみとなった。2006年平成18年)に郡内の7町村が合併して南房総市となった結果、現在は旧平郡の鋸南町のみが属する。

町村制以前の沿革

  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 31村 浜田村、見物村、波左間村、坂田村、●洲崎村、犬石村、佐野村、●○畑村、●山荻村、○永代村、茂名村、●神余村、●出野尾村、岡田村、坂井村、布沼村、相浜村、大賀村、●宮城村、●北条村(長須賀出作)、●安布理村、●南条村、○古茂口村、大網村、●川名村、●伊戸村、坂足村、小沼村、●○塩見村、早物村、加賀名村
旗本領 6村 布良村、中里村、北竜村、南竜村、香村、根本村
幕府領・旗本領 2村 ●滝口村、●太神宮村
藩領 安房館山藩 19村 ●東長田村、●○真倉村(上真倉村)、真倉村(根小屋村)、●○真倉村(下真倉村)、真倉村(新井浦)、真倉村(館山下町)、真倉村(館山中町)、真倉村(館山上町)、真倉村(楠見浦)、真倉村(浜上須賀村)、真倉村(岡上須賀村)、真倉村(北下台村)、●○沼村、松岡村、●洲宮村、●西長田村、笠名村、●北条村(新宿村)、長須賀村
安房船形藩 11村 宝貝村、南片岡村、北片岡村、薗村、水玉村、●大井村、竹原村、●広瀬村、御庄村、中村、腰越村
上野前橋藩 12村 畑藤原村(藤原村)、国分村、北条村(国分出作)、大作村、●山本村、滝川村、●稲村、加戸村、二子村、江田村、山名村、池ノ内村
近江三上藩 9村 ●○北条村、北条村(安布里出作)、北条村(新宿町)、北条村(大網出作)、●北条村(上野原村)、●高井村、古川新田、●八幡村、○湊村
前橋藩・船形藩 1村 ○安東村
その他 寺社領 2村 清水村、飯沼村
  • 慶応4年
    • 北条村から新宿町、新宿村が独立・合併して新宿町となる。また、上野原村が独立。国分出作、安布里出作、長須賀出作、大網出作は北条村の一部となる。
    • 船形藩が廃藩。元治元年(1864年)立藩のため、わずか4年での廃藩となった。
    • 7月2日1868年8月19日) - 船形藩領の全域、幕府・旗本領の大部分(浜田村、見物村、波左間村、坂田村、中里村、北竜村の全域、洲崎村、太神宮村の一部を除く)、館山藩領の一部(洲宮村、西長田村、笠名村)が安房上総知県事の管轄となる。また、以降の藩の設置にはすべて旧寺社領、寺社除地も含む。
    • 7月13日(1868年8月30日) - 徳川宗家駿河府中藩への転封にともない駿河田中藩が転封され、安房長尾藩となる。
    • 長尾藩の入封にともない郡内の三上藩領が上総国望陀郡に転封。
    • 上記の変更にともない館山藩、前橋藩で領地替えが行われ、郡内は2藩の管轄となる(村名は幕末時点のもの)。
知行 村数 村名
藩領 館山藩 46村 東長田村、真倉村(根小屋村)、真倉村(下真倉村)、真倉村(新井浦)、真倉村(館山下町)、真倉村(館山中町)、真倉村(館山上町)、真倉村(楠見浦)、真倉村(浜上須賀村)、真倉村(岡上須賀村)、真倉村(北下台村)、沼村、松岡村(以上は変更なし)、浜田村、見物村、波左間村、坂田村、洲崎村、犬石村、布良村、中里村、北竜村、南竜村、佐野村、畑藤原村(藤原)、畑村、山荻村、永代村、茂名村、安布理村、山本村、南片岡村、北片岡村、南条村、古茂口村、大網村、川名村、伊戸村、坂足村、小沼村、太神宮村、根本村、塩見村、早物村、加賀名村、飯沼村(新たに領地に追加)
長尾藩 46村 滝口村、神余村、出野尾村、岡田村、洲宮村、坂井村、布沼村、相浜村、西長田村、大賀村、香村、宮城村、笠名村、北条村、国分村、北条村(国分出作)、北条村(安布里出作)、北条村(新宿村)、北条村(長須賀出作)、北条村(大網出作)、北条村(上野原村)、北条村(新宿町)、大作村、滝川村、稲村、加戸村、二子村、宝貝村、清水村、安東村、薗村、水玉村、大井村、竹原村、広瀬村、御庄村、中村、腰越村、長須賀村、江田村、高井村、古川新田、山名村、池ノ内村、八幡村、湊村
館山藩・長尾藩 1村 真倉村(上真倉村)(もともと館山藩領と寺社領だったが、寺社領の一部のみ長尾藩となった)
  • 明治初年に真倉村内の各村が分立。
  • 明治3年 - 古川新田が高井村に編入。
  • 明治4年
  • 明治5年 - 根小屋村が上真倉村に編入。
  • 明治6年(1873年6月15日 - 千葉県の管轄となる。
  • 明治7年(1874年
    • 松岡村、北竜村、南竜村が合併して竜岡村が成立。
    • 加戸村が稲村に編入。
  • 明治8年(1875年
    • 浜上須賀村、岡須賀村が合併して上須賀村が成立。
    • 南片岡村、北片岡村、清水村が合併して水岡村が成立。
    • 南条村から大戸村、作名村が分立。
  • 明治10年(1877年
    • 館山下町、館山中町、館山上町、上須賀村、新井浦、楠見浦が合併して館山町となる。
    • 大作村、滝川村が山本村に、永代村が山荻村に編入。
  • 明治11年(1878年11月2日 - 郡区町村編制法の千葉県での施行により、行政区画としての安房郡が発足。「安房平朝夷長狭郡役所」が北条村に設置され、平郡朝夷郡長狭郡とともに管轄。

町村制以降の沿革

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1.北条町 2.館山町 3.豊津村 4.西岬村 5.富崎村 6.長尾村 7.豊房村 8.神戸村 9.館野村 10.九重村 11.稲都村 21.那古町 22.船形村 23.八束村 24.富浦村 25.岩井村 26.勝山町 27.保田町 28.佐久間村 29.平群村 30.滝田村 31.国府村 41.白浜村 42.七浦村 43.曦村 44.健田村 45.千歳村 46.豊田村 47.丸村 48.北三原村 49.南三原村 50.和田村 51.江見村 61.太海村 62.大山村 63.吉尾村 64.由基村 65.田原村 66.鴨川町 67.曽呂村 68.西条村 69.東条村 70.天津村 71.湊村(赤:館山市 桃:鴨川市 紫:南房総市 橙:鋸南町)

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  • 昭和3年(1928年11月10日(12町31村)
    • 岩井村が町制施行して岩井町となる。
    • 湊村が町制施行・改称して小湊町となる。
  • 昭和8年(1933年
  • 11月10日 - 江見村が町制施行して江見町となる。(14町28村)
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は566.17平方km、人口は162,835人(男79,275人・女83,560人)[2]
  • 昭和14年(1939年11月3日 - 館山北条町・那古町・船形町が合併して館山市が発足し、郡より離脱。(11町28村)
  • 昭和28年(1953年5月1日 - 滝田村・国府村・稲都村が合併して三芳村が発足。(11町26村)
  • 昭和29年(1954年
    • 3月3日 - 白浜町・長尾村が合併し、改めて白浜町が発足。(11町25村)
    • 4月1日 - 千倉町・七浦村・健田村が合併し、改めて千倉町が発足。(11町23村)
    • 5月3日 - 西岬村・富崎村・豊房村・神戸村・九重村・館野村が館山市に編入。(11町17村)
    • 6月1日 - 天津町が君津郡亀山村の一部(四方木)を編入。
    • 7月1日 - 鴨川町・田原村・西条村・東条村が合併し、改めて鴨川町が発足。(11町14村)
    • 8月1日 - 千倉町・千歳村が合併し、改めて千倉町が発足。(11町13村)
  • 昭和30年(1955年
    • 2月11日(10町12村)
      • 岩井町・平群村が合併して富山町が発足。
      • 天津町・小湊町が合併して天津小湊町が発足。
    • 3月10日 - 勝山町・佐久間村が合併し、改めて勝山町が発足。(10町11村)
    • 3月15日 - 豊田村・丸村、千倉町の一部(安馬谷、峰、白子の一部、久保の一部)が合併して丸山町が発足。(11町9村)
    • 3月31日(12町2村)
      • 富浦町・八束村が合併し、改めて富浦町が発足。
      • 和田町・北三原村が合併し、改めて和田町が発足。
      • 江見町・太海村・曽呂村が合併し、改めて江見町が発足。
      • 大山村・吉尾村・主基村が合併して長狭町が発足。
  • 昭和31年(1956年9月1日 - 南三原村の一部(海発の一部)が丸山町に、残部(海発の残部、松田、白渚、御原)が和田町に分割編入。(12町1村)
  • 昭和34年(1959年3月30日 - 勝山町・保田町が合併して鋸南町が発足。(11町1村)
  • 昭和46年(1971年)3月31日 - 鴨川町・江見町・長狭町が合併して鴨川市が発足し、郡より離脱。(8町1村)
  • 平成17年(2005年)2月11日 - 天津小湊町が鴨川市と合併し、改めて鴨川市が発足、郡より離脱。(7町1村)
  • 平成18年(2006年3月20日 - 富浦町・富山町・白浜町・千倉町・丸山町・和田町・三芳村が合併して南房総市が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

行政

安房平朝夷長狭郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)11月2日
明治30年(1897年)3月31日 廃官
安房郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治30年(1897年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡制廃止により、廃官

脚注

  1. 続日本紀』文武天皇四年二月乙酉条。文武天皇2年(698年)には筑前国宗像郡出雲国意宇郡が連任を許されており、養老7年(723年)までに八神郡全て連任を許された。
  2. 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。

参考文献

関連項目