宗谷郡

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北海道宗谷郡の位置(緑:猿払村 黄:明治期)

宗谷郡(そうやぐん)は、北海道北見国宗谷総合振興局

人口2,737人、面積589.97km²、人口密度4.64人/km²。(2018年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の1村を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1村に稚内市(天興・曙を除く)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の宗谷郡域は西蝦夷地に属し、慶長8年、松前藩によって宗谷に利尻礼文樺太を司さどる役宅が置かれた後、貞享2年以降ソウヤ場所が開かれていた。天明2年よりも前に樺太大泊にも分社があった厳島神社が、天明5年には宗谷大神宮(後の北門神社)が創建されている。

江戸時代後期になると、南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年宗谷郡域は天領とされた。この時は会津藩が警固をおこなった。文化6年以降、津軽藩がソウヤに出張陣屋を築き警固に当たった。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり今度は秋田藩が出張陣屋を築き警固をおこなった。同3年には、有珠善光寺の住職・性誉仙海と宗谷場所請負人藤野家の宗谷支配人粂屋八右衛門らによって泰平山松寿院護国寺(宗谷護国寺)が開山されている。同6年以降は宗谷岬周辺(珊内、サンナイ)が引き続き箱館奉行「御預所」(秋田藩警固地)、その他は秋田藩領となっていた(6藩分領)。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して宗谷郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

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北海道一・二級町村制施行時の宗谷郡の町村(2.稚内村 3.宗谷村 紫:稚内市 水色:分立して現存する町村 23.猿払村)

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 1 北海道
  • 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)

関連項目

テンプレート:北見国の郡