尊円法親王

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尊円法親王(そんえんほうしんのう、永仁6年8月1日1298年9月7日) - 正平11年9月23日1356年10月17日)は、青蓮院第十七世門跡伏見天皇の第6皇子。母は三善俊衡の娘。初名は守彦親王。尊円入道親王とも。

略歴

1308年延慶元年)に青連院に入り、1310年(延慶3年)に親王宣下を受ける。1311年(延慶4年)法門に入り、名を尊円と改めて青連院門跡に就任した。1314年正和3年)から1329年元徳元年)まで門跡管領を止められたが再び門主となり、元弘元年(1331年)には天台座主に任じられている。この前後4回にわたり天台座主隣、その間四天王寺別当を歴任している。

青蓮院流

和歌をはじめ世尊寺行房に学び、行房が南朝方として北国の金沢で戦死すると、その弟行尹に学んだ。小野道風藤原行成などの上代様書法を研究、それに南宋の張即之の書風を加味し、尊円流または青蓮院流と称される書法を作り出した。

現在残されている著作・書写作品

脚注

  1. 青蓮院の基礎資料『門葉記』や『華頂要略』、明治期の宝物調書『古器物目録』『宝物調書』(東京国立博物館蔵)に本像の名を見出せない事、また箱書から一時は慈鎮像として伝来した可能性がある事などから、厳密には『高僧像』『伝尊円法親王像』と呼ぶべき作品のようである(福島恒徳 「尊円法親王像をめぐって」、所収: 展覧会図録 『ホノルル美術館名品展 ─平安~江戸の日本絵画─』)。同論文ではこれに加え、本像が法親王の兄・花園天皇像(長福寺蔵)と非常に似ているから、元は藤原豪信筆で花園天皇像として描かれ、後に青蓮院の重要人物である尊円法親王の御影に転用された可能性を指摘している。

関連項目


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