帝人

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ファイル:Kasumigaeki common gate.jpg
東京本社(霞が関コモンゲート)
ファイル:Teijin-Building-01.jpg
かつての本店、大阪本社 2017年に中之島フェステバルタワーに移転(帝人ビルディング)

帝人株式会社(ていじん、英:Teijin Limited)は、本店、本社を大阪市北区に置く、日本の大手繊維事業者。帝人グループの中核企業であり、事業持株会社である。

UFJグループで、みどり会構成企業の一つであり、かつては宇部興産日立造船と共に「三和御三家」と呼ばれていた。

概要

創業者で米沢高等工業学校山形大学工学部の前身)の講師でもあった秦逸三久村清太と共に1915年大正4年)に、当時閉鎖中であった山形県米沢市館山(現在は米沢市立第三中学校敷地)の米沢製糸場を買い取り、鈴木商店の子会社、東工業米沢人造絹糸製造所として設立される。当時は第一次世界大戦中で、ヨーロッパからレーヨンの輸入が少なくなっていたこともあり、創業と共に高い業績をあげると、1918年(大正7年)には株式会社に改組、帝国人造絹絲に社名を変更する。

昭和に入ると、金融恐慌により、出資元であった鈴木商店は破綻清算に追い込まれ、また山形の工場も1927年昭和2年)に竣工した岩国工場に比べて、効率性で劣ったことなどから閉鎖に追い込まれる。これにより、創業の地・山形から当時の繊維業の本場でもあった大阪船場に近い、大阪へ本社を移すと共に、以後はその後竣工された三原工場、松山工場など西日本を中心に生産がおこなわれるようになる。しかし戦後に入ると同社の主力であったレーヨンの需要は瞬く間に低下し、代わって米・デュポン社からナイロンの製造技術を得た東洋レーヨン(現・東レ)の激しい巻き返しに遭い、一時は倒産寸前にまで陥ってしまった。

その後、大蔵大臣をつとめた経験があり、鈴木商店出身でもある大屋晋三が社長に就くと、1958年(昭和33年)にはイギリス・ICI社からポリエステル(東レとの共同商標「テトロン」)製造の技術を導入、これが見事に成功をおさめ、息を吹き返すと共に、以後帝人は東レと同じく化学繊維メーカーとして繊維業界での地位を確立させることになる。

また、1957年(昭和32年)にニューヨークデュッセルドルフへ駐在員を赴任させたのを皮切りに、1960年代前半までに欧州、アフリカ、中近東、アジアの計10都市に事務所を開設している。さらに大屋の発案で、1961年(昭和36年)からは専務取締役(財務担当)と取締役(技術担当)をニューヨークに、常務取締役(化学担当)をデュッセルドルフにそれぞれ駐在させるなど、首脳レベルの役員を海外駐在させるという当時としては異例の態勢で海外展開に取り組んでいる。

1970年代、大屋により設立された「未来事業部」により、50以上の新規事業が立ち上がったが、1973年(昭和48年)の第一次石油危機により、この拡大政策は頓挫する。やがて繊維不況とも相俟って、以降、帝人は厳しい経営環境に晒されることになるが、医薬医療事業や炭素繊維等の高機能繊維の成長により、2000年度から2006年度にかけて7期連続の営業増益を記録するなど、1990年代後半からは堅調な業績推移が続いている。

大屋が四半世紀近くも社長に在任したこともあって、一時は社長の任期を定款で制限したこともあったが、新会社法への移行に伴うコーポレートガバナンスの確立でこの規定は削除された。

現在においても繊維事業が売上高の5割程度を占めており、また独・ベーリンガーインゲルハイム社との合弁に端を発する医薬品事業も拡大を続けている。

沿革

  • 1915年大正4年)11月 - 秦逸三久村清太が、山形県米沢市で東工業(株)米沢人造絹糸製造所を設立。
  • 1918年6月17日 - 東工業から帝国人造絹絲株式会社として独立。
  • 1922年 広島工場、操業開始
  • 1926年(大正15年/昭和元年) - 「帝人タイムス」創刊。
  • 1927年 岩国工場、操業開始
  • 1933年10月 - 東京・大阪株式取引所に株式上場
  • 1934年 米沢工場を廃止
  • 1935年 広島工場を廃止
  • 1949年 - 戦争のため休刊していた「帝人タイムス」が復刊。
  • 1949年5月 - 東京、大阪、名古屋各証券取引所に上場。
  • 1962年11月 - 商号を帝人株式会社に変更。
  • 2003年平成15年)1月 - ロゴマークをテイジンからTEIJINに変更。
  • 2003年4月 - 事業持株会社制に移行。
  • 2006年1月 - 札幌、名古屋、福岡各証券取引所に上場廃止。
  • 2012年10月 - 帝人テクノプロダクツ株式会社など4社を吸収合併。
  • 2013年4月 - 組織再編。帝人化成株式会社を吸収合併。
  • 2013年7月16日 - 大阪証券取引所の現物株取引終了に伴い、大阪証券取引所上場廃止。(東京証券取引所への現物市場統合)
  • 2017年7月 - 本店を大阪市中央区南本町一丁目6番7号(帝人ビルディング)より大阪市北区中之島三丁目2番4号中之島フェスティバルタワー・ウエストに移転。
  • 2018年4月 - 東邦テナックス株式会社を吸収合併。

本社・事業所

主なグループ会社

2015年3月末時点の子会社及び関連会社数は152社である[1]

繊維事業

流通・リテイル事業

  • 帝人フロンティア株式会社(大阪市中央区)
  • 株式会社帝健(大阪市中央区)
  • 株式会社テイジンアソシアリテイル(東京都港区) - テイジンメンズショップを運営
  • 帝人ワオ(大阪市中央区)
  • 株式会社テクセット(東京都中央区)
  • 株式会社フォークナー岡山県瀬戸内市

化成品事業

  • ウィンテックポリマー株式会社(東京都港区)
  • 帝人デュポンフィルム株式会社(東京都千代田区)
  • テイヨー株式会社(広島県呉市
  • 広島プラスチック株式会社(広島県東広島市

医薬医療

  • 帝人ファーマ株式会社(東京都千代田区)
  • 帝人在宅医療株式会社(東京都千代田区)
  • 帝人ナカシマメディカル株式会社(岡山県岡山市)
  • スリープメディカルサービス株式会社(東京都千代田区)

IT関連事業

その他事業

  • 帝人エコ・サイエンス株式会社(東京都港区)
  • 帝人エンジニアリング株式会社(大阪市中央区)
  • 帝人物流株式会社(大阪市中央区)
  • 株式会社テイビ(大阪市中央区)

かつて存在したグループ企業

テレビCM

1960年代末期頃よりテレビCMを放映している。1990年代の企業CMでは、数学者で大道芸人として知られるピーター・フランクルが何かに取り憑かれたかのように、黒板に白墨で書きなぐる様子を映したCMなどが放映されていた。 同時期には、ジャズサックス演奏者の坂田明や、女優室井滋を起用したCMや、SFドラマ「スタートレック」のミスター・スポックことレナード・ニモイを起用した企業CM「帝人あらわる。」が放映された。

他に1990年代半ばには、「人間を幸せにする人間、帝人。」という内容で、トーベ・ヤンソンの原作で知られるアニメーションムーミン」の登場人物全員を登場させたCMも放映された(森本レオがナレーションを担当)。さらに2000年平成12年)から2年間にかけては、俳優浅野忠信を起用したCMもあった。

その後2002年平成14年)5月から2008年(平成20年)まで、「だけじゃない、テイジン」をキャッチフレーズにフランス人少女・カトリーヌ(子役:マノン・ゴラン、吹き替え:三輪勝恵)が出演したCMを経て、2008年(平成20年)9月からは「んなことあるかも?テイジン」を新キャッチフレーズに、同社の製品やサービス、事業を動物になぞらえた「テイジン未来動物図鑑」シリーズCMを放送している。

しかし、諸般の事情から、『福山エンヂニヤリング』以来レギュラー提供していた、関西テレビ制作・フジテレビ系列30分枠での提供を、2011年9月をもって撤退した[2]。その後は当面、日本テレビの『全国高等学校サッカー選手権大会』(高校サッカー)の提供のみであったが、2012年10月以降30秒スポンサーで一部番組で提供を再開した。

2017年10月17日より女優の上白石萌歌を起用した「DAKE JA NAIを探そう」篇のテレビCMを流している。

スポンサー番組

現在の番組

  • 不定期に同系列番組に提供する事がある。

過去の番組

著名な出身者

キャンペーンガール

Category:帝人キャンペーンガール」も参照

2002年(平成14年)からは「イメージガール」に変わり、2003年(平成15年)に終了した[3]

脚注

  1. 『第149期有価証券報告書』,帝人株式会社
  2. 撤退後は花王が90秒の筆頭提供(その後は60秒)となっており、筆頭提供を続ける。ちなみに花王は、『キャサリン三世』60秒の筆頭提供である。ただし、2013年4月以降は30秒であり、同年9月で終了。2018年4月現在は『有吉弘行のダレトク!?』のスポンサーの1社である。
  3. 2003年を最後に終了

関連項目

外部リンク