平本学

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平本 学(ひらもと まなぶ、1979年1月8日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

大阪産業大学附属高から、立命館大学へ進学。

2000年度ドラフトの際、ヤクルト阪神、更にはメジャーリーグ数球団が争奪戦を繰り広げ、本人もメジャー志向が強かったものの最終的にヤクルトを逆指名。ドラフト1位で入団する。

プロ入り後

1年目の2001年は、チームが優勝を決めた後の10月8日にプロ初登板・初先発を果たすが、犠打でアウトを1つ取った以外はすべて出塁を許し4失点でKOされてしまう。その後は、2年間一軍登板は無かった。

2004年の夏場に、2001年以来の一軍登録されるとその後安定した投球を展開した。

2005年、戦力として期待されるもオープン戦で結果を出せず二軍落ち。シーズン序盤はコントロール重視した結果、一時は二軍のクローザーを務めるほどの安定した成績を残すも、一軍の投手陣がそれなりの結果を出していたため一軍に上がることはなかった。するとシーズン中盤以降辺りからコントロールが乱れ始めて成績が下降。そしてフェニックスリーグまでおよそ2ヶ月間登板することがなかった。久しぶりの登板となったフェニックスリーグでも四死球を多く出し、その後の登板機会は無く解雇も噂された。

2005年オフ、週刊ベースボール誌上にて突然のアンダースロー転向が発表された。2ヶ月間登板が無く、秋季キャンプメンバーにも漏れたのはアンダースロー転向の準備の為という事だった。しかしその後右足首を骨折し、2006年、登板の機会が殆ど無いまま戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトにも参加したが獲得する球団はなかった。

選手としての特徴・人物

サイドスローよりやや腕が下がる投法から繰り出されるMAX153キロの速球と、信じられないくらい曲がる高速スライダーが持ち味。その高速スライダーの変化量は内角めがけて(打者めがけて)投げて外角のボールとなってしまう程。ただし立命館大学時代からの制球難がプロになってからも直らず、イースタン・リーグで8打席連続四死球という不名誉な記録を残してしまう。球が常にナチュラルにかなり変化しており、彼の投げる球は意図せずしてほぼ全てが『高速』変化球である。

投手としては珍しいスイッチヒッターであった[1]

詳細情報

年度別投手成績

2001 ヤクルト 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 8 0.1 4 0 2 0 1 0 0 0 4 4 108.00 18.00
2004 11 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 42 9.1 10 1 5 0 1 6 1 0 6 6 5.79 1.61
通算:2年 12 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 50 9.2 14 1 7 0 2 6 1 0 10 10 9.31 2.17

記録

背番号

  • 15(2001年 - 2005年)
  • 63(2006年)

脚注

関連項目

外部リンク

テンプレート:ヤクルトスワローズ2000年ドラフト指名選手