座間市

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座間市(ざまし)は、神奈川県中部に位置するである。

概要

昔より八王子街道(平塚宿を起点に田村で中原街道と交差し、厚木海老名、座間、相模原を経て八王子に通じる)の宿場町として栄えることにより集落が形成され、現代に入り戦前は農村、戦中は陸軍士官学校及び高座海軍工廠の設置により軍都としての色合いを強めた。しかし戦後は米軍進駐を経て、昭和30年代半ば頃からは大企業の誘致が行われ自動車産業中心とした企業城下町が形成された。更に昭和40年代の急激な人口の増加により農村から工業及び住宅都市へと変貌を遂げ、現在では県下33市町村中4位の人口密度をもつ市町村となる。

しかし、バブル景気崩壊後、市の基幹産業である自動車産業も不景気の煽りで日産自動車工場などが撤退したことから、税収入の低下を招き、市の財政状況が悪化した。現在でも周辺近隣自治体と比較すると財政的には劣っており回復は厳しいものの、人口においては県下でも比較的高い水準で増加しており、隣接する相模原市大和市などと同様のベッドタウンとして現在に至っている。

県下では数少ない上水道地下水(市内の8つの水源井)を用いる自治体であり、井戸水の特徴である夏は冷たく冬は暖かい「座間の地下水」は知れ渡るようになってきた。しかしながら近年の人口増加及び地下水資源の減少等により県営水道を約15%含有する状況になっている。

2000年代に入り在日米軍の再編等に伴う米国陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転問題が浮上し、これに反対する活動を行政でも行っていたが、2008年平成20年)8月に防衛省との間で「米陸軍第一軍団新司令部のキャンプ座間移転に伴う基地対策に関する確認書」に市長が署名し移転容認へと転じた。

地理

東京都心から約50km横浜から約20kmの場所に位置する。市域を南北に縦断するJR東日本相模線の東側に沿って伸びる崖を境に、西部・相模川沿いの沖積低地と、東部の相模野台地(相模原台地)に属する高台に分かれる。相模野台地は河岸段丘であるが、当市域内では上段の相模原面が大部分を占め、広大な平坦面が広がる。その中で目久尻川とその支流が南流し、細長い谷戸を形成している。キャンプ座間付近から市域中央部にかけて南北に連なる座間丘陵は相模原面よりも古い時代に形成された一段高い堆積面であり、氷河期以来の侵食による開析が進んでいる。相模川沿いの沖積低地では水田が広がっている。

八王子街道沿いに形成された古くからの集落のうち、座間および入谷(座間入谷)は低位段丘上に、新田宿および四ッ谷は沖積低地内に形成された自然堤防上に分布する。目久尻川沿いの谷戸にも水田が開かれ、谷戸の周辺に栗原地区の旧集落が分布する。広大な相模野台地上は近世以前は「相模野」と呼ばれる原野であり、当市域周辺は「座間野」と呼ばれる近隣農村の入会地であった。江戸時代後期に座間野は相模川沿いの座間、入谷、新田宿、四ッ谷各村の飛び地となり、明治以降は生糸産業の発展に合わせて畑が広がるようになった。1930年代に移転・新設された軍事施設のうち、高座海軍工廠の跡地に日産自動車座間工場が誘致されると、これを中心とした工業地区が市域東部に形成された。台地上の桑畑は戦後の生糸産業の衰退とともに野菜の生産に重心が移ったが、1960年代にはベッドタウン化の波が及び、小田急線沿いの区域で宅地化が進行した。1970年代には相鉄線沿いにも波及し、南東部の栗原地区でも宅地化が進行した。この結果1990年代までには、中央部の栗原地区を除き、低位段丘面も含めた台地上のほぼ全域が市街地化されるに至っている。

自然

河川
  • 水鳥の池
  • 栗原遊水池

軍事施設

市内北西部(座間市座間)に米軍座間キャンプ及び陸上自衛隊施設部隊(第4施設群)が所在し、全体面積2,346,381.52m2(座間市分620,832.22m2、相模原市分1,725,549.30m2)であり市域の約3.5%を占有している。

在日米軍の再編成の日米最終合意に基き、米陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)を改編し、新司令部(陸軍・海軍・空軍・海兵隊の4軍を指揮)を設置。また、2013年3月26日に陸上自衛隊中央即応集団司令部が朝霞駐屯地から移転、駐屯地に昇格する。なお、これに伴い駐屯地の所在地は座間市から相模原市に変更となる[1]

隣接している自治体・行政区

歴史

年表

  • 1927年(昭和2年)4月1日:小田急電鉄開通、座間駅(現相武台前駅)、6月 新座間駅(現座間駅)が開設される。
  • 1935年(昭和10年)6月23日:相模線入谷駅が開設される。
  • 1937年(昭和12年)9月30日市ヶ谷より陸軍士官学校移転、開設、通称「相武台」。
  • 1944年(昭和19年):高座海軍工廠開廠(終戦後解体)。
  • 1945年(昭和20年)9月2日:米軍により陸軍士官学校を接収。米軍座間キャンプとなる。
  • 1950年(昭和25年)8月:アメリカ陸軍第8軍司令部が米軍座間キャンプ内に設置される。
  • 1952年(昭和27年):上水道創設決定。
  • 1954年(昭和29年):公民館開設。(旧陸軍士官学校の火災時に出た廃材で建設)※現在は市役所西支所内に移転
  • 1955年(昭和30年):町営水道給水開始。
  • 1959年(昭和34年):座架依橋開通。(当初は交互通行のブレハブ橋)
  • 1963年(昭和38年):座間町(現座間市)消防署開設。(消防本部団結成)
  • 1963年(昭和38年):高座3町清掃センター設置。(所在は海老名市)
  • 1964年(昭和39年):座間電報電話局開局。
  • 1965年(昭和40年):日産自動車座間工場完成。
  • 1965年(昭和40年):座間町(現座間市)内電話自動化。
  • 1966年(昭和41年):座間郵便局(現座間中宿郵便局)が相模台(現相模が丘)に移転開設し集配局となる。
  • 1967年(昭和42年):星谷寺の梵鐘が国の重要文化財に指定される。
  • 1967年(昭和42年):座間町(現座間市)消防本部を町役場内に設置。
  • 1968年(昭和43年):町役場中央庁舎竣工。(現在は解体)
  • 1968年(昭和43年):町内の郵便番号が付与される。(〒228)
  • 1968年(昭和43年):文化福祉会館開設。(現在は解体)
  • 1970年(昭和45年):座間町(現座間市)消防本部庁舎完成。
  • 1970年(昭和45年):相武台前駅橋上駅舎竣工。
  • 1970年(昭和46年):座間バイパス一部開通。
  • 1971年(昭和46年):保健ステーション開設(現在は解体)。
  • 1971年(昭和46年):米軍座間キャンプの自衛隊との共同使用開始。(横浜防衛施設局長と町長との間で13項目の覚書と確認書を締結)
  • 1972年(昭和47年):米軍座間キャンプ一部返還。(富士山公園開園)
  • 1972年(昭和47年):相模台出張所(現、相模が丘コミュニティーセンター)開設。
  • 1973年(昭和48年):東部出張所開設。
  • 1974年(昭和49年):下水道事業開始。
  • 1974年(昭和49年):国道246号バイパス開通。
  • 1975年(昭和50年):県立青少年会館開館。(後に市に移管。現市立青少年開館)
  • 1976年(昭和51年):座間警察署開設。
  • 1976年(昭和51年):市民福祉憲章制定。
  • 1978年(昭和53年):座間駅橋上駅舎竣工。
  • 1978年(昭和53年):公共下水道供用開始。
  • 1978年(昭和53年):座間市立図書館会館(市立公民館講堂を改修利用、現在は移転に伴い解体)。
  • 1979年(昭和54年):座間市消防署東分署開設。
  • 1983年(昭和58年):市立図書館新館開館。
  • 1984年(昭和58年):座間市消防署北分署開設。
  • 1994年平成6年):スカイアリーナ座間開設(市民体育館)。
  • 1995年(平成7年):日産自動車座間工場閉鎖。(現在は座間事業所とカレスト座間
  • 1995年(平成7年):市役所移転、ハーモニーホール座間開設(市民文化会館)。
  • 1996年(平成8年):市民健康センター開設(休日急患センター)。
  • 2000年(平成12年):電話番号逼迫に伴い市内の一部の市外局番(0427地域)が042へ3桁化。
  • 2001年(平成13年):サニープレイス座間開館(総合福祉センター、文化福祉会館から移管)
  • 2001年(平成13年):電話番号逼迫に伴い市内の市外局番(0462地域)が046へ3桁化。
  • 2010年(平成22年)4月1日:相模原市が政令指定都市移行に伴い郵便番号を変更、相模原市一部地域と上3桁「228」を共用していた座間市内も228-00xxから252-00xxに変更。
  • 2011年(平成23年)11月3日:市のマスコットキャラクターとなる「ざまりん」が命名、発表される[2]

行政区画の変遷

市名の由来

東海道が通り、宿駅「夷参(いさま)」の駅があった。これが地名「座間」の発祥とされている。

人口

座間市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

地域

町名

座間市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。

町名の由来

  • 座間 - 座間(宿)村。諸説あり次の3つに絞られる[3]。①皇国地誌村誌によると鈴鹿明神の祭典を「イガスリ祭」といい、これを坐摩神社に倣った[4]新編相模国風土記によると高座郡の郷名「伊参」=イサマが転じた[5]相模川河畔から「石間(イサマ)」。
  • 入谷 - 座間入谷村寛文年間に座間(宿)と分村し、当時の名主が「入の谷」に住んでいたため[6][7]
  • 栗原 - 栗原村。栗の林があったため[8][9]
  • 新田宿 - 新田宿村慶長年間に新たに開発した農地[10][11]
  • 四ツ谷 - 四ツ谷村元亀2年開拓当初4軒だったので「四ツ家」「四ツ屋」と呼ばれた[12][13]

以下は昭和30年代以降の開発に伴う町名変更によるもの(次項参照)。

  • 相模が丘 - 居住者により呼称された相模台を命名。その後相模原市が後からつけた同名の地名と避けるため改正[14]
  • 立野台 - 藤原為家が周辺一帯を「たち野山」と詠む(皇国地誌村誌)のに因み、宅地造成会社が命名[15]
  • 相武台 - 陸軍士官学校一帯を総称し昭和天皇が命名したことから[16]
  • 緑ケ丘 - 座間中学校が建設されたときに公募によって座間中学校の生徒が命名したものを選定[17]
  • 明王 - 不動明王の堂があったと伝えられる[18]
  • 広野台 - 居住者による通称名[19]
  • 小松原 - 小松の生えた原野を地籍簿作成にあたりつけられた[20]
  • ひばりが丘 - ヒバリが多かったことから「雲雀ヶ丘」となり、小学校開設時に小学生にもわかりやすいように平仮名としたもの[21]
  • 東原 - 目久尻川左岸丘上の広い地域をいった[22](左岸=東側)。
  • さがみ野 - 昭和50年新設されたさがみ野駅周辺が発展したため[23]

町名整理

元は座間、座間入谷、座間新戸、栗原、四ツ谷、新田宿の6大字を編成していたが、座間および座間入谷の両大字は相互に多数の飛び地を持ち境界が錯綜していた。また、西部の相模川沿いを本来の領域とする四ッ谷、新田宿も東部境界沿いに飛び地を持っていた。そのため、特に相模線以東の区域での市街化の進行とともに救急や郵便等で該当地番を探すのが困難になってきたことから、1950年代以降相次いで新しい字・町名が設置されてきた。

  • 1959年(昭和34年)4月 - 座間、新田宿の各一部から相模台を新設。
  • 1959年(昭和34年)9月 - 座間入谷、栗原の各一部から立野台を新設。
  • 1960年(昭和35年)7月 - 座間入谷、座間、栗原の各一部から相武台を新設。
  • 1962年(昭和37年)10月 - 座間入谷、座間、栗原の各一部から緑ケ丘を新設。「緑ケ丘」は公募により決定された。
  • 1970年(昭和45年)11月 - 座間入谷、座間、栗原、緑ケ丘の各一部から明王を新設。
  • 1974年(昭和49年)1月 - 相武台から相武台1〜4丁目を新設。
  • 1974年(昭和49年)11月 - 座間入谷、四ツ谷の各一部から小松原1・2丁目を新設。
  • 1974年(昭和49年)11月 - 座間、相武台、相模台の各一部から広野台1・2丁目を新設。
  • 1975年(昭和50年)1月 - 座間入谷、座間の各一部から座間1・2丁目を新設。
  • 1976年(昭和51年)1月 - 座間入谷の一部から入谷1〜5丁目を新設。
  • 1977年(昭和52年)11月 - 座間入谷、栗原、小松原の各一部からひばりが丘1〜5丁目を新設。

相模が丘は、当初の字名変更(1959年)で「相模台」として起立した。しかし、相模原市が隣接する区域で住居表示を実施した際に「相模台」という町名を新設した(1969年)ことから、座間市側では混乱を避けるため1981年の住居表示実施時に再度変更した。

郵便

郵便番号

電話番号

市外局番等

  • 046-2xx・40x(下記の区域を除く) - 厚木MA(厚木市、海老名市、相模原市南区の一部、座間市の大部分、大和市、愛川町、清川村)
  • 042-7xx・810〜819(817を除く)・85x〜86x(相模が丘一・五丁目に限る) - 相模原MA(町田市の大部分、相模原市の大部分、座間市の一部)

行政

歴代首長

  • 歴代村長
    • 初代 片野要助
    • 第2代 仁村喜作
    • 第3代 中村弥四郎
    • 第4代 佐藤太四郎
    • 第5代 片野要助
    • 第6代 星野保幸
    • 第7代 宮代七之助
    • 第8代 小俣権平
    • 第9代 小俣権平
    • 第10代 星野保幸
    • 第11代 星野保幸
    • 第12代 大矢稲太郎
    • 第13代 澤田鶴松
    • 第14代 長谷川藤吉
    • 第15代 稲垣許四郎
    • 第16代 稲垣許四郎
  • 歴代町長
    • 初代 稲垣許四郎
    • 第2代 稲垣許四郎
    • 第3代 稲垣俊夫
    • 第4代 鹿野文三郎
  • 市長
    • 初代 鹿野文三郎(1971年 - 1976年)
    • 第2代 本多愛男(1976年 - 1984年 2期)
    • 第3代 星野勝司(1984年 - 2008年 6期)
    • 第4代 遠藤三紀夫(2008年 - 現職)

行政委員会

常任委員会
  • 予算決算常任委員会(定数22)
  • 企画総務常任委員会(定数8)
  • 民生教育常任委員会(定数8)
  • 都市環境常任委員会(定数8)
特別委員会
  • 基地政策特別委員会

消防事務

市議会・議員

  • 定数:22名
  • 任期:2016年(平成28年)10月1日〜2020年(平成32年)9月30日
  • 議長:京免康彦(無所属)
  • 副議長:吉田義人(自由民主党)
会派名 議席数 議員名(◎:代表)
自民党・いさま 8 ◎伊田雅彦(無所属)、京免康彦、吉田義人、荻原健司、竹田陽介、熊切和人、高波貴志、内藤幸男
公明党 4 ◎上沢本尚(公明党)、安田早苗、加藤学、伊藤多華
ざま大志会 2 ◎沖本浩二、池田徳晴
日本共産党座間市議団 3 ◎中澤邦雄(日本共産党)、守谷浩一、星野久美子
ざま明会 2 ◎佐藤弥斗、松橋淳郎
無会派 3 安海のぞみ、加藤陽子(神奈川ネット)、沖永明久(市民の党)
22


  • 出身校(最終卒業校)

安海のぞみ(玉川大学)、加藤学(帝京大学)、竹田陽介(法政大学)、加藤陽子(東洋大学)、吉田義人(城西大学)、上沢本尚(獨協大学)、守谷浩一(東京農工大学大学院)、池田徳晴(東京理科大学)、内藤幸男(産業能率大学)、伊田雅彦(東海大学)、中澤邦雄(富山大学)、安田早苗(関西外国語短期大学)、伊藤多華(東京デザイナー学院)、星野久美子(太田高等保育学院)、高波貴志(栗原高校)、荻原健司(綾瀬高校)、佐藤弥斗(長狭高校)、京免康彦(高校)、松橋淳郎(藤沢商業高校)、沖本浩二(岩国工業高校)、沖永明久(築上中部高校)、熊切和人(ひばりが丘高校)。

経済

1957年昭和32年)頃より、企業誘致を積極的に行い昭和40年代には当時23町村あった中において財政的には常に上位を占めており、周辺の市制を敷いている団体と同じような水準を目指す姿勢を示し始めるが、歯止めのきかない人口増加に待ったなしのインフラ等の整備を行うことを余儀なくされ地方交付金の不交付団体としていられた期間はオイルショックの打撃を受けた1973年(昭和48年)までの8年間しかなかった。 ちなみに、当時座間町が誘致し町の成長を促した企業として、東洋ナイロンカラーファスナー、岡本理研、田谷精機、三共紙器、東京コスモス電機日産自動車などがあげられる。

産業

  • 主な産業 - 工業・商業

都市化の波と共に著しく農業等の産業は縮小し、以前は日産自動車企業城下町だったことから、自動車工業に関連した企業が多い。1995年平成7年)には日産自動車座間工場(当時・現在の座間事業所)が閉鎖され、周辺の工業も縮小傾向にある。これゆえ、商業等の比率が高くなっているものの、相模原、厚木、大和、海老名等の近隣地域と商圏が大きく重なっており、市内商業(大型店及び商店街等の小売店)は衰退気味である。

  • 産業人口
    • 第1次産業 413人(0.6%)
    • 第2次産業 18,978人(29.8%)
    • 第3次産業 43,298人(68.0%)

(2000年国勢調査に基く)

  • 商業施設
MEGAドン・キホーテUNY座間店
コストコ座間倉庫
スーパービバホーム座間店
イオンモール座間
  • 本店・本社を置く主な企業
日本電産トーソク
東京コスモス電機
シーイーシー

姉妹都市・提携都市・その他提携

海外

アメリカ合衆国の旗スマーナ市(Smyrna)(アメリカ合衆国テネシー州
1991年3月姉妹都市提携

災害時における相互応援協定

日本の旗秋田県大仙市
2005年7月4日姉妹都市再提携(旧仙北郡中仙町と提携していたが合併のため再提携となる)

地域(犯罪情報等の提供に関する協定)

座間警察署
2007年10月22日提携

企業

イオン株式会社と「包括連携協定」を締結
2018年2月9日締結

教育

昭和40年代の急激な人口増加に伴い、インフラ整備を迫られほぼ毎年のように施設造営を繰り返していることから校舎等の建造物の形状、規格等が非常に類似したものとなっている。近年の児童・生徒数は少子化により減少したものの現時点において座間市内の教育施設の統廃合は行われていない。

小学校
  • 座間小学校(旧座間第一小学校)(1947年(昭和22年)開校 ※当初は相模原町立座間小学校 1973年(昭和48年)4月1日校名改称)
  • 栗原小学校(旧座間第二小学校)(1950年(昭和25年)開校 1973年(昭和48年)4月1日校名改称)
  • 相模野小学校(旧座間第三小学校)(1962年(昭和37年)開校 1973年(昭和48年)4月1日校名改称)
  • 相武台東小学校(1970年(昭和45年)開校)
  • ひばりが丘小学校(1971年(昭和46年)開校)
  • 東原小学校(1973年(昭和48年)開校)
  • 相模が丘小学校(1976年(昭和51年)開校)
  • 立野台小学校(1977年(昭和52年)開校)
  • 入谷小学校(1978年(昭和53年)開校)
  • 旭小学校(1980年(昭和55年)開校)
  • 中原小学校(1984年(昭和59年)開校)
中学校
  • 座間中学校(1947年(昭和22年)開校 ※当初は相模原町立座間中学校、現在の場所に移転前は旧陸軍88連隊(現米軍相模原住宅)にあった)
  • 西中学校(1967年(昭和42年)開校)
  • 東中学校(1972年(昭和47年)開校)
  • 栗原中学校(1977年(昭和52年)開校)
  • 相模中学校(1979年(昭和54年)開校)
  • 南中学校(1986年(昭和61年)開校)
高等学校
特別支援学校
  • 座間市では、「座間市奨学金条例」に基づく無利子貸与型奨学金制度がある。 主に、高等学校・高等専門学校を対象としている。なお、奨学金は返還義務がともなう。

交通

鉄道路線

道路

路線バス

ファイル:Kanachu-Zama-Friend.jpg
座間市コミュニティバス「ザマフレンド号」

昨今の道路事情、利用者数の減少等により見直しが行われ、区間短縮及び減少傾向にある。

(台01)相武台前駅 - 相武台団地循環 - 相武台前駅
(下02)相武台下駅 - 立野台 - さがみ野駅北口
(台02)相武台前駅 - 相武台グリーンパーク
(台04)相武台前駅 - 立野台 - 座間四ッ谷
(台06)相武台前駅 - 相武台下駅 - 磯部
(海10)海老名駅東口 - 立野台 - 相武台前駅
(台12)相武台前駅 - ひばりヶ丘 - 南林間駅
(台13)相武台前駅 - 総合体育館前 - 北里大学病院北里大学
(台14)相武台前駅 - 座間 - 原当麻駅
(相27)相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学 - 相武台前駅
(綾76)相武台前駅 - さがみ野駅北口(相鉄バスから移管されたため「綾」系統)
(小02)小田急相模原駅 - 小松原入口 - ひばりが丘一丁目 - 南林間駅
(小03)小田急相模原駅 → 小松原入口 → イオンモール座間 → 小松原入口 → ひばりが丘一丁目 → 南林間駅
(小05)小田急相模原駅 -(直行)- イオンモール座間
(林03)南林間駅 - ひばりが丘一丁目 - 小松原入口 - イオンモール座間
(綾75)相模大塚駅北口 - さがみ野駅 - 南林間駅
過去に市内を運行していたが、市役所移転に伴い運行廃止となった。しかし現在は試験運行として復活。
(A)さがみ野コース
(B)小松原・相模が丘(循環右回り)コース(2007年11月に小松原・ひばりが丘コース、相模が丘コースを統廃合)
(C)小松原・相模が丘(循環左回り)コース
(D)東原・ひばりが丘南コース
(E)西部方面循環コース(2009年11月に入谷コース、座間・新田宿・四ツ谷コースを統廃合)

タクシー

  • 相模中央交通
  • 座間交通

名所・旧跡・公園・観光スポット・祭事・催事

特産品

  • やまといも
  • 純米吟醸いさま
  • ひまわり焼酎
  • 熟成焼酎“冬のひまわり”
  • 石川のとん漬け
  • どんぶり豆腐
  • 大凧最中
  • 大凧煎餅
  • 座間音頭(和菓子)
  • 銘菓 むかしむかし
  • 凧サブレ
  • 谷戸山公園ポテト(洋菓子)
  • 谷戸山公園石畳(生チョコ
  • 座間ひまわり畑(洋菓子)
  • ざまみず

公園・観光スポット

  • 座間谷戸山公園
  • 座間公園
  • 富士山公園
  • ひまわり公園
  • かにがさわ公園
  • 芹沢公園
  • 大坂台公園
  • 立野台公園
  • 相模川河川敷
  • 座間温泉
  • 湧水(市内15箇所)

祭り

座間の大凧祭り

例年5月4日 - 5日相模川河川敷の相模川グラウンドで開催。神奈川県のまつり50選に選ばれている。

大凧の文字
  • 昭和
    • 40年 清和
    • 41年 青嵐
    • 42年 飛揚
    • 43年 祝明治百年
    • 44年 慶雲
    • 45年 慶瑞
    • 46年 待望
    • 47年 瑞雲
    • 48年 勢嵐
    • 49年 凌雲
    • 50年 風飛
    • 51年 飛龍
    • 52年 暁雲
    • 53年 晴嵐
    • 54年 雄飛
    • 55年 瑞鴻
    • 56年 慶祝
    • 57年 雄翔
    • 58年 乾坤
    • 59年 芳春
    • 60年 清節
    • 61年 闘魂
    • 62年 和風
    • 63年 湘東
  • 平成
    • 元年 平成
    • 2年 翔空
    • 3年 座間 躍動
    • 4年 精魂
    • 5年 奉祝
    • 6年 慶福
    • 7年 瑞祥
    • 8年 祝竣
    • 9年 愛郷
    • 10年 国体
    • 11年 雄風
    • 12年 昇龍
    • 13年 座間 祝風
    • 14年 敬愛
    • 15年 勇翔
    • 16年 悠郷
    • 17年 翔湧
    • 18年 慶翔
    • 19年 翔雲
    • 20年 清風
    • 21年 輝郷
    • 22年 薫風
    • 23年 盛栄
    • 24年 興龍
    • 25年 祥風


その他の主な祭り

  • 座間市民ふるさと祭り – 11月上旬開催
  • さがみ野さくら祭 – 4月上旬さがみ野桜並木で開催
  • 相模が丘さくら祭 – 4月上旬相模が丘桜並木で開催
  • 日米親善盆踊り大会 – 8月上旬から中旬「米軍座間キャンプ」内で開催
  • 座間キャンプ桜まつり – 4月上旬「米軍座間キャンプ」内で開催
  • アメリカ独立記念日 – 7月上旬「米軍座間キャンプ」内で開催
  • 緑化まつり – 4月下旬「かにが沢公園」で開催
  • ZAMA燦夏祭 – 9月日産座間事業所及び近辺道路で開催
  • ふれあい農業祭 – 4月第4土曜日「JAさがみ座間支店」で開催
  • 座間ひまわり広場祭 – ひまわり開花時期
  • 座間神社例大祭 – 8月下旬開催
  • 鈴鹿明神社例大祭 – 8月1日開催
  • 栗原神社例大祭 – 9月上旬開催
  • 座間ハイツ盆踊り祭り – 8月に開催

旧跡

文化

出身の有名人

脚注

  1. 自衛隊法等の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(平成25年1月23日公布)
  2. “座間市が市制施行40年で式典、マスコットキャラは「ざまりん」に/神奈川|カナロコ|神奈川新聞ニュース”. 神奈川新聞社. (2011年11月3日). http://www.kanaloco.jp/article/41745 . 2015閲覧. 
  3. 『座間の地名』p32
  4. 『皇国地誌村誌』p39
  5. 『語り伝え村制編1』p2
  6. 『皇国地誌村誌』p23
  7. 『座間の地名』p38,p72
  8. 『皇国地誌村誌』p49
  9. 『座間の地名』p108
  10. 『皇国地誌村誌』p61
  11. 『座間の地名』p94
  12. 『皇国地誌村誌』p71
  13. 『座間の地名』p102
  14. 『座間の地名』p26
  15. 『座間の地名』p27,p119
  16. 『座間の地名』p27,p25
  17. 『座間の地名』p124
  18. 『座間の地名』p28,p68
  19. 『座間の地名』p28
  20. 『座間の地名』p50
  21. 『座間の地名』p123
  22. 『座間の地名』p122
  23. 『座間の地名』p30
  24. yaokami
  25. 猫の足あとyaokami
  26. yaokami
  27. 猫の足あとyaokami
  28. 公式yaokami
  29. 座間市[1]ブログ
  30. yaokami
  31. Facebook公式谷津建設株式会社yaokami小桜姫伝説で知られる水上山龍源院の本堂上棟式
  32. 土木学会選奨土木遺産 - 土木学会
  33. 文化遺産オンライン 基線中間点 - 文化庁
  34. 市指定重要文化財(建造物、史跡) - 座間市

参考文献

  • 語り伝え聞き取り調査団、「座間の語り伝え〔7〕村制編1」、1986
  • 座間市立図書館市史編さん係、座間市史資料叢書6「皇国地誌村誌」、1992
  • 座間市文化財調査員協議会、「座間の地名」、2005

関連項目

外部リンク

  • オープンストリートマップには、座間市に関連する地理データがあります。
  • [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト]
  • 座間市観光協会


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