御香宮神社

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御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は京都市伏見区にある神社である。式内社で、旧社格府社。通称御香宮御幸宮。伏見地区の産土神である。

神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。 また社務所内に小堀政一(遠州)が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。

由緒

初めは「御諸神社」と称した。創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されている[1]。ボトルを持参して取水する地元民も多い。[2]菟芸泥赴によれば筑紫国香椎宮から勧請したという記録がある。 全国にある「香」の名前のつく神社は、古来、筑紫の香椎宮との関連性が強く神功皇后を祭神とする当社は最も顕著な例である。

豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした(現在でも古御香宮として残っており、また伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている)。

後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。

明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍薩摩藩)の本営となったが、本殿等は無事であった。

昭和に入ってからはすぐ東を通る国道24号線の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、その際に元伏見奉行所の跡で、米軍のキャンプ地の跡である桃陵団地建設の際に発見された小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家・中根金作の手によって、社務所の裏側に再現された。

本殿には、菊の御紋五七の桐紋葵の御紋が見られる。

拝殿を中心とした境内のパノラマ

年中行事

  • 1月1日 若水神事
  • 1月7日 七種神事(七草粥)
  • 2月中卯日 御弓始め神事
  • 4月17日 例大祭
  • 7月31日15時、23時 茅の輪神事
  • 9月第3土曜日 神能奉納
  • 10月上旬(年によって変更有り) 神幸祭
最終日の神輿巡幸では、3基の神輿のほか、獅子若、猿田講社、武者行列(奴振りを伴う)、稚児行列の行列が時間差をもって氏子地域を終日、巡行する。
  • 11月15日 御火焚祭
  • 12月中卯日 醸造初神事

文化財

重要文化財
その他
  • 拝殿 - 京都府指定有形文化財。寛永2年(1625年)、徳川頼宣の寄進によって建立による割拝殿の構造となっている建物。中国の登龍門の故事に基づいた極彩色彫刻が唐破風元にある。
  • 算額 - 文久3年(1863年) 西岡天極斎奉納 。絵馬堂に掲額。
  • 算額 - 天和3年(1683年) 山本宗信奉納(復元)、 絵馬堂に掲額。八坂神社に答えの算額がある。

境内

  • 本殿
  • 拝殿
  • 九社殿(能舞台)
  • 表門
  • 絵馬堂
  • 庭園
  • 摂社
    • 弁天社
    • 松尾社
  • 御香水

交通

脚注

  1. 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p.207 ISBN 9784569616186
  2. 平成23年(2011年7月31日の水質検査の結果、基準値より下回ったことが分かり、現在は濾過装置を通したきれいな水を提供している。

外部リンク


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