徳川家康

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とくがわいえやす

[生] 天文11(1542).12.26. 三河,岡崎
[没] 元和2(1616).4.17. 駿府

江戸幕府初代将軍 (在職 1603~05) 。岡崎城主松平広忠の長男。母は水野右衛門大夫忠政の娘。幼名は竹千代,初名を元信,のち元康といった。院号は安国院。織田信秀,次いで今川義元の人質となったが,永禄3 (1560) 年義元が桶狭間の戦いで敗死すると,岡崎に帰り,織田信長とも親交を結び戦国大名として成長。豊臣秀吉の天下統一に協力,五大老の筆頭として重きをなしたが,秀吉の死後,石田三成と反目して慶長5 (1600) 年関ヶ原の戦いに三成を破って,天下の覇権を握った。慶長8 (1603) 年2月 12日征夷大将軍宣下。同 10年将軍職を子秀忠に譲って大御所として駿河に引退したが,なお幕政を後見した。大坂冬・夏の陣 (大坂の陣 ) で豊臣氏を滅ぼし,幕府の基礎を築いた。元和2 (16) 年3月太政大臣となる。墓所は初め久能山,のち日光山 (輪王寺 ) 。